エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
文化史07 内裏から京都御所へ
内裏(だいり)と大内裏(だいだいり) 内裏とは,天皇が住み,儀式や執務などを行う宮殿のことで,禁中・禁... 内裏(だいり)と大内裏(だいだいり) 内裏とは,天皇が住み,儀式や執務などを行う宮殿のことで,禁中・禁裏・御所などともいいます。平安宮内裏は延暦年間(782~806)に造営されました。内裏の周囲には朝堂院(ちょうどういん)・豊楽院(ぶらくいん)や二官八省をはじめとした官庁が並び,諸官庁のまわりは大垣(築地)で囲まれていました。その囲まれた区域を大内裏あるいは平安宮と呼んでいます。 大内裏という呼び方は,六国史(りっこくし,勅撰の6つの国史)などには見えず,12世紀頃の記録から使われはじめます。ちなみに,それまでは大内裏を指す言葉としては「大内」(おおうち)という語がよく使われていました。 大内裏の四面には合せて14の門が設けられ,南面中央の朱雀門(すざくもん)を入ると朝堂院(ちょうどういん)がありました。朝堂院の北東には内裏があり,内裏の西には「宴の松原」(えんのまうばら)という空閑地が広
2024/03/10 リンク