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戦前の大阪のチャイナタウン(中華街)【後編】ー川口華商の生きた跡を探訪する
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戦前の大阪のチャイナタウン(中華街)【後編】ー川口華商の生きた跡を探訪する
前回、戦前の川口(大阪市西区)に「中華街」があったことを記事にまとめました。 前編はその歴史の概要... 前回、戦前の川口(大阪市西区)に「中華街」があったことを記事にまとめました。 前編はその歴史の概要を書きましたが、今回はフィールドワークと実際に川口を歩いてみました。その繁栄は空襲で灰と化したと言われていますが、もしかして、カケラでも残っているかもしれない、そんなわずかな期待を込めて。 川口を歩く川口の中華街は、中央大通りより北のエリアです。 現在でも国道172号線が本田地区を串刺しするように走っていますが、川口華商たちが行き交っていた時代も本田のメインロードでした。 前回に出した、昭和14年(1939)の川口の風景です。 長いワンピース風の中国服を着た母子が道を渡ろうとし、大阪市電(路面電車)が道の真中を走っています。写真奥の左側にうっすら見える四角い大きな建物は、現在でも残る住友倉庫の上屋です。 住友倉庫はコンクリート製で味気なく、外見だけはレトロ建築愛好家の興味をそそるものではありま