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池田新地(大阪府池田市)|遊郭・赤線跡をゆく|
(出典:『大阪府統計書』) 数字だけの規模としては小さい方で、市内にあった同じ花街の南陽新地や曾根... (出典:『大阪府統計書』) 数字だけの規模としては小さい方で、市内にあった同じ花街の南陽新地や曾根崎新地はもちろん、泉州の岸和田花街をも下回ります。 その中でも、昭和11年(1936)だけ、遊客数と売上がなぜか爆上がりしているのですが、理由はわかりません。 そんな池田花街ですが、戦争による贅沢や享楽が締め付けられ、ついに昭和18年(1943)には法律でおおっぴらに営業が不可能となりました。 それと入れ違いなのか、大阪府の資料には陰で売春行為を行う小料理屋があったと書かれています。それと花街の関係はわかりません。が、この売春行為を行う小料理屋が、今回の主役「池田新地」の母体と推定できます。 赤線の成立、そして廃廓へそして終戦直前から戦後にかけ、戦争で焼け出された大阪他の遊郭の業者が若干数池田に移ったようで、戦争中から存在した在来の小料理屋と共に「池田新地」を形成しました。 そしてそれがのちの