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大江千里がオンリーワンになれなかった理由 - 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ
80年代のJ-POPを語る上で欠かせない存在といえば 男ユーミンとの異名を持つ大江千里の存在であろう。 大... 80年代のJ-POPを語る上で欠かせない存在といえば 男ユーミンとの異名を持つ大江千里の存在であろう。 大江がデビューした80年代初頭といえば、女子大生ブームが起こった年でもある。関学在籍中にデビューした大江はこの時代の追い風を受けて、「私の玉子(たまご)様」のキャッチフレーズにウソ偽りのないアイドル顔負けの王子様ぶりであった。「十人十色」などのスマッシュヒットなどでその知名度も右肩上がりとなっていった。 そんな最中やってきたのが、バブル景気であった。 みんながそこそこの金持ちになり、大学に行くことも珍しいことではなくなり、彼の関学出身という売りも徐々に色あせていった感がある。 自分のイメージが時代と合わなくなった事を察したであろう大江は、ここで楽曲を提供することで自分の活路を見いだしていった。 1989年 光GENJIに提供した大ヒット曲「太陽がいっぱい」での売り上げを考えればその戦略は
2008/03/08 リンク