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もちつけblog(仮)、、、の跡地(はてなダイアリーに移転。) (西)ドイツの長い戦後、そのキレイではない泥臭い道程 石田勇治『過去の克服』を読む(後編)
ヤスパースについて。 彼が1945年に「責任」について講義(ドイツ人自らが内面的な転換を図るもの)を行っ... ヤスパースについて。 彼が1945年に「責任」について講義(ドイツ人自らが内面的な転換を図るもの)を行った時は、実は、その主張は世間の受け入れる所とはならなかった。 むしろ根拠のない誤解と批判に晒され、その真意、特に「形而上学の罪」について理解されるようになるのは、1960年代半ば以降である(75頁)。 ドイツでさえ、それだけの時間を必要とした。 1960年代後半、ヤスパースは「人道に対する罪」の概念をドイツ法に導入して、時効問題に根本的解決を図ろうと呼びかけている(194頁)。 ヤスパースは、きちんと現実へアンガージュした知識人でもあった。 では、ヤスパースを受け入れなかった当時のドイツの世論とはどのようなものだったか。 終戦直後からユダヤ人を標的にした暴力事件はドイツ各地で頻発しており、ユダヤ人墓地荒し事件は1949年だけで100件を超えた。 一方、1948年世論調査では、「ナチズムは
2013/01/14 リンク