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:作家事典:ほら貝
生涯 1904年12月31日、下関に林キクの私生児として生まれる。本名フミコ。母のキクは鹿児島の桜島で家庭... 生涯 1904年12月31日、下関に林キクの私生児として生まれる。本名フミコ。母のキクは鹿児島の桜島で家庭をもっていたが、実家の宿屋に逗留していた若い行商人の宮田浅太郎とねんごろになり、下関に駆け落ちしたもの。7歳の時、事業に成功した宮田が家に芸者をいれたために、キクは芙美子をつれて出奔、宮田の店に出入りしていた20歳年下の沢井喜三郎と入籍する。一家は各地を行商して歩いたので、小学校は十以上変わった。 一時、桜島の母親に実家にあずけられるが、尾道で小学校を終え、尾道高等女学校に入学。学資を稼ぐためにアルバイトの毎日だった。 1922年、尾道高女を卒業。恋人の明大生をたよって上京し、同棲をはじめる。林は結婚するつもりだったが、卒業して郷里に帰った彼は家族の反対を理由に結婚を拒絶。この時のショックを癒すために日記を書きはじめる。 関東大震災にあって、一時、関西にもどるが、すぐに東京にもどって、