「この国には何でもある。ただ希望だけがない」と村上龍が看破したのは1998年のことだ(※1)。明治維新から太平洋戦争開戦までの時代、日本は欧州の列強諸国を追いかけていた。敗戦からバブルまでの時代、日本はアメリカの繁栄を追従していた。日本人にとって、欧米諸国は目指すべき「未来」であり「希望」だった。ところが80年代に日本経済は絶頂を極め、目標地点を通り越してしまった。「希望」にすべき対象を失った。 そしてバブルが崩壊し、現在、世界でも例を見ない少子高齢化社会へと突き進んでいる。日本の未来を占うような「実例」が、いまの地球上には存在しない。こうして「何でもあるが希望だけがない」という社会が完成した。日本人は、自分たちの力で「未来像」を作らなければいけないのだ。 ところが今の日本の「えらい人」には、それができない。 なぜ日本の伝統的メーカーは「エラい人のキーワードでモノつくる構造」を早くやめられ
今日は小倉で「わっしょい百万夏祭」があるそうな。。。 けれども今日は夜もアルバイトというわたくし、黒紅茶(苦笑)。 とりあえずバイトまでゆっくりと読書でもして時間を過ごそうと思うのだが、 その前に紹介したい本がある。 「機動戦士ガンダム」の監督である富野由悠季氏の著書、「だから僕は…」だ。 ほんとうはアマゾンで購入しようと思っていたのだが、たまたま寄った中古本屋で なんと500円で購入した。しかも初期の徳間書店バージョンである。 内容: アニメーション監督である富野喜幸(現:由悠季)によるノンフィクション。 コンプレックスを抱えた学生時代。虫プロでの葛藤。オオタキプロでの 仕事。人間関係でのいざこざなど。「機動戦士ガンダム」に至るまでの富野の 生き方が赤裸々に記されている。 (↑)清き一票と温かいコメントをください!!!
■編集元:萌えニュース+板より「【告白】アニメ制作会社を辞めました」 1 名前:衛星軌道中立帯@はやぶさφ ★ :2012/07/13(金) 18:25:59.60 ID:??? 役職は制作進行でした。 辞めた会社は、規模的には業界の十指に入る会社のはずです。 辞めた理由を、あえて悪い点ばかり選んで書きますが、大きな理由はひとつに集約されています。 とにかくあらゆる面でお金がない 金回りが悪い、という言い回しがしっくりくる業界です。中小規模の制作会社は自転車操業が基本でしょう。 大手の制作会社も一般的な企業と比べれば、動いているお金は中小企業並です。社員の給料が少ないのは当然です。 わたしの1年目の年収は200万円ちょっとでした。基本給が勤続年数に比例して上がっていき、年収も300万円少々 まで上がってはいきましたが、3年目からはほぼ変わらず、季節ボーナスと決算賞与の兼ね
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