<特別編・前編>宮台真司の『ミッドナイト・ゴスペル』評:サラダボウルの中にいた「見たいものしか見ない」主人公が「倫理」に気づく リアルサウンド映画部にて連載中の社会学者・宮台真司による映画批評。今回は特別編として、6月1日放送のミュージシャン・ダースレイダーとのライブ配信企画「100分de宮台」の第4回目を対談形式にて掲載する。前回の『呪怨:呪いの家』評(参照:宮台真司の『呪怨:呪いの家』評:「場所の呪い」を描くJホラーVer.2、あるいは「人間主義の非人間性=脱人間主義の人間性」)では、汎システム化による1988年以降の日本社会の劣化を指摘した宮台。本稿の前編では、アメリカに目を向け、黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官に殺害された事件を発端とする「Black Lives Matter」運動で揺れる社会の分断に始まり、そんな「脆弱さ」を露呈したリベラルの現状を90年代から予測していた