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読み物と漫才に関するmido1903のブックマーク (2)

  • M-1に出たんだ。|ヤーレンズ 出井隼之介

    あっと言う間に、2024年も3ヶ月が経った。 当に、会う人会う人に 「M-1お疲れ様」 「良かったなあ!」 と労ってもらったし、街中でも 「M-1観ました!」 「惜しかったですね!」 と声をかけられる事が増えた。 何もなかったおじさんは、一夜にして"惜しかったおじさん"になった。 お笑いで、ほんの数時間で人生が変わるなんて事が他にあるだろうか。M-1当にビッグコンテンツ。 全ては今まで戦ってきた諸先輩方のお陰。感謝。 中学生の頃観た、第一回のM-1の事を今も鮮明に覚えてる。質素なセットに殺伐とした空気の中、大方の予想通り中川家さんが優勝した。 「漫才師かっこいい」 と初めて思ったし、憧れた。 あそこからずっと続いている歴史の一部に、一応加われたことはとても嬉しい。 今まで何度も聞いた「M-1が全てじゃないよ」という慰めの言葉。 出てない人はそりゃそう言うけど、漫才すればするほど「あの

    M-1に出たんだ。|ヤーレンズ 出井隼之介
  • 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第1回】 - 集英社新書プラス

    今年も8月1日から、いよいよお笑い界の最大の祭典「M-1グランプリ」の予選が始まった。M-1の13回の歴史の中で、関西出身以外の芸人が優勝したのは、04年のアンタッチャブル(関東出身)、07年のサンドウィッチマン(東北出身)、09年のパンクブーブー(九州出身)の3例だけ。そこで関東芸人の聖地・浅草を拠地にし、漫才協会の副会長を務めるナイツの塙宣之に、「関東芸人M-1必勝法」を探ってもらった。インターネットで調べた様々な知識を披露するも、どれも微妙に間違っている塙に土屋がツッコむ「ヤホー漫才」で一躍有名になったナイツは、M-1が始まった年、01年にコンビを結成し、以降、M-1に出場し続けた。そして3度、決勝の舞台に立ち、08年には最終決戦にも進んだ。優勝こそ無いものの、芸歴をM-1とともに歩んだ彼らは、「浅草の星」にして、まさに「裏・M-1の申し子」とでも呼ぶべき芸人でもある。 大阪はブラ

    関東芸人はなぜM-1で勝てないのか?【第1回】 - 集英社新書プラス
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