昨日、来日したドイツ人と話す機会があった。 そいつが「ドイツの技術は世界一!東洋モンには負けへんでぇ~」っていうオーラを出してたから 「たしかに、コッチにはバームクーヘン級においしい物ないしな」って返した。 すると「バームクーヘン?あ~バームか…クーヘンなぁ……」と渋い顔をされてしまった。 良かれと思ってバームクーヘンの名前を出したのにこの態度、ドイツと日本ではバームクーヘンの評価が違うのだろうか。
東京は音がやばい、つらい 本当にキツい 渋谷のスクランブル交差点にある音声付き映像広告 あれ音量もありえないくらい大きいけど、何よりそこかしこで色んな広告が爆音で鳴ってて ミックスされてる グッチャグチャに聞こえる 俺のいた時には鳥のさえずりも爆音で鳴ってた カオス 癒しの効果のかけらもない その場にいた群衆で気にしてる人は誰もいない あの空間に普段からいる人達が文化形成の一部を担っているとしたら 耳は確実に腐っている 音楽とか語れない身体になってるよたぶん フェス向きの4つ打ちEDMしか理解できないチンパンジーみたいになってる原因が分かった気がする ごめん言いすぎた でも東京で音楽やってる人はメジャーな人でも音キツくないか? そういう原因の一つだと思うんだよ まあもう二度とあそこには行かねえ あと電車な JR爆音で音鳴らしすぎなんだよ お知らせの音声と音楽と車掌の声がでかいし入り乱れてる
一部で話題になっているので、まとめます。私なりの見解はありますが、ここでは全てソースがはっきりしている事実のみを書きます。前提スカパーで放送中の「DHCシアター」というチャンネルで、平日の8時から『虎ノ門ニュース』という番組がやっている同番組はyoutube、ニコ生で同時生放送している登場人物香山リカ氏:金曜日のパーソナリティ須田慎一郎氏:金曜日のパーソナリティサンキュータツオ氏:金曜日の司会青山繁晴氏:木曜日のパーソナリティ山田プロデューサー:番組のプロデューサー4/24(金)番組内で以下のようなやりとりがあり。(番組視聴率の話になり)香山「ニコ生だといつが一番多いんですか?」スタッフ「木曜日」香山・須田「青山さんの時?」スタッフ「青山さんは個人的にファンが」香山「まあね、信者みたいな人たちがね、いますから」須田「宗教だから」タツオ「まあ、ネトウヨもついてますしね」スタッフ「追っかけでな
私はいつも仕事が終わるとスーパーで半額の弁当を中心に買い物をし家に帰る。 そこには毎日顔をあわせる店員が3人くらいいる。 レジの経験があるので、会計が終わったらできるだけ笑顔で「ありがとうございます」と言ってきたつもりだ。 しかし彼らは私の善意をフイにした。 今日、たまたま定価の弁当をカゴに入れてしまっていたのだ。 他の弁当には半額シールが付いていたが、おそらくその弁当だけ付いていなかった。 しかしレジ係は何も指摘することなく、私は家に帰って弁当を食べるその瞬間まで気づかなかった。 確かに私の落ち度があることは否めない。 それにしてもその会社のカードで買い物もしているのに。 ロボットが仕事をしているなら何も期待することはない。 でも相手はよく顔を合わせる人間だ。 おかしいとは思わなかったのか。 相手も疲れていると思うが、こっちだって疲れている シールの中に一つだけ貼っていないのを見極めるこ
サブカルクソ女のTwitterアイコンにおける自分の爪先率なんなの? なんでみんな切って揃えたように2、3回洗濯したら破れそうな素材のスカートを纏いかかとの低いパンプスを履いて写真全体を淡い色に加工しているの? なんでみんなニギハヤミコハクヌシが毛先を丸めたような髪型なの?量産型なの? なんで淡い色に加工した写真を好むくせに一眼レフをぶら下げて歩くの?ファッソンなの?林家夫妻リスペクトなの? 頭のネジが陥没したようなふわふわツイートの中に稀に意識高いツイートを紛れさせるのは何のためなの?天敵の目をごまかしているの? 夜のベランダで前髪の長い寡黙そうな男と静かな時間を過ごす的なシチュエーションを好むのはなぜなの?ふたりきりの世界で、煙草が静かに点滅する、そんな幸せ。なの? なんなの?サブカルクソ女は互いに記憶を共有しているの?ロビタ?ロビタなの?ひとりのサブカルクソ女が死刑判決を受ければ日本
世の中には善人も悪人も性別に関わらず両方おり、一部のゴミの性別が男だからって、全部の男がそいつと同じゴミじゃないことは頭で分かっている。 だが先日、柏の通り魔に不運な男性数名が襲われひとりが殺されてしまったとき、被害者を素直に悼む思う一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。 「そんな暗い夜道を歩いていたからいけないんだ。殺されるようなお前に落ち度があったんだ」 女に産まれていれば腐るほど聞かされる、犯罪の被害に遭った女性を嘲笑い落ち度を責める言葉をそっくりそいつらに投げ返してやりたい衝動で胸が一杯だった。 被害に遭った男性がたはそんな酷いことを考えるような人たちではなかったかも知れないのに。 木島香苗の事件やそれに類する保険金殺人が起きたとき、人を騙して殺すなんて最低の女だと犯行を憎む気持ちの一方で、間違いなく自分の心の中に闇があった。 「そんな女に騙されて付き合う方が悪い。犯罪者だと
―――坂本龍一がサントリーホールでオーケストラと共演する華々しい日に愛をこめて。かつて、坂本龍一は反体制が売りだった。新宿高校でバリケードを組み、全共闘のデモで警官と取っ組み合い、騒乱の景色をthatness and therenessと歌った。それが今や、反原発という旗印のもと、坂本は権威となってしまった。かつて彼自身が唾棄すべきとした権力の側に成り下がったのである。極めつけは「たかが電気」発言である。「電気」と「いのち」などという原理的に比較不可能な概念を対置する、その思考回路は正常か? 「経済」とは本来、経世済民。富を循環させて民の苦しみを救うことに本義がある。その「経済」を蔑ろにする社会が「いのち」を守れるのか? これを妄言と呼ばずなんと言おう。そもそも言葉の人ではない坂本にスピーチをさせた時点で間違っていた。「いのち」なんていうダサい言葉、村上龍なら選ばなかっただろう。まあ別に、
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