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ヒーリングの検索結果1 - 40 件 / 311件

  • 風邪 vs. ヒーリング - ぷちリチュアルな日々

    こんにちは、麻夢です♪ 前回記事にもチラッと書きましたが、麻夢さん、先週、風邪を引いてました。 2年ぶりくらいのダウンです (T T) ここ1ヶ月ほど、旦那くんが毎週のように風邪をもらってきて、でも前回も前々回も私にはうつらなくて、もしかして「馬○は風邪ひかない」ってヤツかしら?とか、そろそろ心配になってたので、とりあえず風邪ひいたってことは、私 "馬○" じゃなかった~なんて、ちょっと安心したりして… って、うんにゃっ!! 多少 "馬○" でもいいけど、風邪の方がやっぱイヤじゃーっ!! 私の症状は、前週の旦那くんと全く同じ症状です。 インフルエンザでもコロナでもなく、熱も大して出ない(最高37.5℃)ですが、あらゆる風邪の症状と倦怠感がハンパない… 12日の日曜日までは全く何ともなくて超元気だったのですが、月曜日の朝、喉が痛くなりました。 でもすぐに気付きました「これヤバいヤツ!」 ウイ

      風邪 vs. ヒーリング - ぷちリチュアルな日々
    • ヒーリングでコロナと戦ってみた #スピ戦記 - ぷちリチュアルな日々

      こんにちは、麻夢です♪ ふぅ…美しい夕焼け (^^) お外に出れるって、なんて素晴らしいことなのでしょう♡ 流行病で12日間、おうちに引きこもっていましたが、 お陰様で、無事に復活しました!! 今日のお話は、流行病とのスピ戦記です p(‵□ ′ )q ・.*...☆...*.・.*...☆...*.・.*...☆...*.・ 私の流行病の発症は… 実は、ちょびっと自業自得でした (- -;) 先に旦那くんが感染して、5日間の自宅療養を経て、なんとか回復☆ 私はその間ずっと無症状♪ 「もぅ発症せんっちゃない?!」なんて高を括った日曜の夜、ガソリン注入!!(瓶ビールを2本飲みました) お酒大好き人間は「アルコール消毒」なんて言い訳しがちだけどね、身体はホントはむっちゃ負担… 通常業務(日々の解毒作用)に突発的な緊急業務(アルコール分解)が上乗せされて、そのシワ寄せで、何もなければ問題の起きない

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      • コロナを通して、ヒーリングの大きな学び#ヒーリング#自己犠牲 - ぷちリチュアルな日々

        こんにちは、麻夢です♪ 先週、フラ~っと長崎県(雲仙方面)へ行ってみたら、緋寒桜がちょうど見頃を迎えていて、とーってもキレイでした (^^)♡ 着々と春が近づいていますね! ・.*...☆...*.・.*...☆...*.・.*...☆...*.・ 前回は、スピ戦記のお話をしました(↓) 流行病関連の記事が続いてますが、今回までご容赦くださいね☆ この流行病から、私にとっての大きな学びが2つありました。 ・.*...☆...*.・.*...☆...*.・.*...☆...*.・ 1つ目は、ヒーリングは(ヒーリングに限らず何でもそうだけど)その状況に最適なものを使い分けられるように、色んな方法を身につけておくべきだということです。 元々そう思ってはいましたが、今回のことでホントに痛感しました。 ヒーリングしたくても、瞑想するのが辛かったし、身体が痛くて動かせなかったし、声が潰れて出なかったし

          コロナを通して、ヒーリングの大きな学び#ヒーリング#自己犠牲 - ぷちリチュアルな日々
        • 操れる系と「禍福は糾える縄の如し」 - 『クリアー整体ヒーリング』です

          人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで何かと繋がって最後は『大きな一つの絵』になるのです。 その大きな一つの絵を人は『運命』と呼ぶのだろうと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の運というのもまた同じジグソ

            操れる系と「禍福は糾える縄の如し」 - 『クリアー整体ヒーリング』です
          • 神秘体験にのめり込むと魔境に至る - 『クリアー整体ヒーリング』です

            スピリチュアル好きな人の多くが心の奥で『神秘的な覚醒経験』みたいなモノを望んでいるんじゃないでしょうか? 「神秘体験を通して万能感みたいなモノを得たい」って気持ちが強いということです。 でもね、神秘体験って一歩間違えれば危険なマヤカシに呑み込まれるキッカケになるんですよね… 古くから『魔境』って呼ばれている『心の迷い家』の入り口になってるのは確かです。 主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、本人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 例によって例のごとく独断と偏見で申し上

              神秘体験にのめり込むと魔境に至る - 『クリアー整体ヒーリング』です
            • 「人は自分が強く深く意識を向けたモノになる」という話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

              以前「自分にとって良いことばかり引き寄せられる所謂『引き寄せの法則』というのはない」って話を書きました。 それは今でも変わっていません。 でも、人は自分の意識を向けているモノを引き寄せるということはあります。 意識を強く長く向ければ向けるほどそのモノを引き寄せるのです。 ただ、これは所謂引き寄せの法則みたいに、自分に都合の良いモノだけを引き寄せられるわけじゃありません。 意識が向いたのが自分にとって良からぬモノであっても引き寄せられるってことです。 それに、意識を向けるといっても人間はその時の自分のレベルに見合ったカタチでしか意識を向けられないものです。 だから、自ずとその時の自分の波動のレベルに見合ったモノが引き寄せられないのです。 例えば他人の悪口ばかり言ってる人間はその悪口のネタにいつも意識が向かっているので、その想念エネルギーに見合ったモノが引き寄せられます。 それがご本人にとって

                「人は自分が強く深く意識を向けたモノになる」という話 - 『クリアー整体ヒーリング』です
              • 仮定盛りとフワフワした万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「これはそうに違いない!」という思い込みを土台にして、「これがそうなら、やがて必ずこうなっていくはずだ!」という風に、仮定の話をまるで『ブレない真実』のように盛り付けていくやり方を表す言葉です。 で、そうやって盛り付けた仮定の話は、直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に新たなる仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションなんですけどね… で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、根拠のないことを盛りつけることより『自分がどこまで話を盛っているのか、ご本人さえ分別出来なくなること」です。 話を盛ってる意識が薄くなっていくなくなるのでし

                  仮定盛りとフワフワした万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                • 「どうやったら成仏できるか?」本当の答えを知る者はいない - 『クリアー整体ヒーリング』です

                  ヒーリングなんてことをしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくありません。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… 所謂『成仏』してないヒトの多くが生きていた時の刷り込みとそれに基づく条件反射でほぼ動いているようにお見受けします。 「死んだらお墓に行かなくちゃ!」とか「仏壇に居なくちゃ!」とかいう想いでズルズルと動くのです。 『線香の煙』や『読経の声』にも亡くなられた方は反応して寄って来ます。 そういうモノによって「自分も成仏出来るはずだ!」という生前の刷り込みの結果なのかなと感じます。 あと、自分が亡くなったこと自体分かってない人も大勢いらっしゃいます。 そういう人はあちこちの道端などにぼーっと立ってたりします。 いわゆる『地縛霊』ってヤツです。 本当は場所に縛られてるわけではなく、ご自分が死んだことを認識出来ないので動けないのだと思います。 ことほ

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                  • 悪魔の契約と心を健やかにするクセ - 『クリアー整体ヒーリング』です

                    ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに物の怪とギブアンドテイクの関係になることです。 念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。 ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないのです。 亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどなどの『人外のモノ』が悪魔の契約の相手です。 『悪魔の契約』ってのは、そういったモノに呼びかけ、願いを叶えたならその代償を支払わなければならなくなるってことなのです。 『悪魔の契約』みたいなことをしたがる人ってのは古今東西大勢いらっしゃいます。 それを

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                    • 呪いの言葉を常用すると『呪い人』になる - 『クリアー整体ヒーリング』です

                      ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。 『呪詛』を行う場合の技術や方法論が一番大事と考えられているのです。 でも、呪いの方法が古来からのやり方に合ってるから『呪詛』なのでは

                        呪いの言葉を常用すると『呪い人』になる - 『クリアー整体ヒーリング』です
                      • 憑かれやすいココロと偏った心 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                        所謂『憑かれる』といってもオカルト系の漫画みたいにド派手な怪奇現象が起こるなんてことはそうそうはありません。 もし起こったとしても随分状況が進行した段階でのことです。 それも誰にでも分かることってのは少ないでしょう… 憑きモノってのは最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食していきます。 浸食した部分はその人じゃないモノにアハ体験のように差し替えられていくのです。 アハ体験というのは、差し替えられた部分がご本人からは分かりづらくなってるという意味です。 意識して見れば違うのでしょうが、意識しなければ中々違いが分からないでしょう。 差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかにオカシク見えるようになります。 良くない意味で変化が表面にまで現れるってことです。 ただ、幾らオカシクたってその人が自分のオカシイことにピンと来なければそのおかしさに遅かれ早かれ慣れてしまいます。

                          憑かれやすいココロと偏った心 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                        • 心のドーピングは長く続けない方がいい - 『クリアー整体ヒーリング』です

                          ここでいう『心のドーピング』というのは、心を不自然なやり方で一気に高活性の状態にしようとする行為のことを指します。 スポーツのドーピングもそうですが、一時的に無理やり心や身体の機能を活性化するようなことを繰り返せば、そのツケはいつか何処かで払わなくちゃならなくなります。 身体でいえば人より早く機能がボロボロになるでしょうし、心にもそれと似たようなことは起こるでしょう… 似たようなことというのは一つには『電池切れ』みたいになることです。 ドーピングで得られていたギラギラしたエネルギッシュさはそれをしなくなると急激に失われてしまいます。 その「誰にでも分かるほど心も身体も動かなくなった状態」を『電池切れ』と呼んでいます。 もっと激しくなればメンタルヘルスに明らかな問題が現れる場合も少なくないでしょう。 心が潤いも養分もない『出汁ガラ』のようになってしまうからです。 今の世の中は、多くの人々が自

                            心のドーピングは長く続けない方がいい - 『クリアー整体ヒーリング』です
                          • 生きることのハードルと純度100%の完璧さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

                            ぶっちゃけた話いまの世の中生きることのハードルを上げすぎな気がします。 それは個人的にも社会的にも「純度100%の完璧さ』みたいなモノをみんなが求めすぎてるってことです。 だから、「昔の人はこんなお粗末クンではなかった!」とか「日本人 (或いは人間) は驚くほど劣化してしまった!」とかおっしゃって嘆かれるのです。 「そんなにハードル上げたら、そりゃ色んなことにガッカリして当然だろうな」と感じます。 人間というモノに対する期待値があまりに高すぎるのです。 人間に対する期待値を上げるってことは、自分に対する期待値を上げてるということでもあります。 自分に対して『純度100%の完璧さ』を求め続ければ、そりゃ生きづらくもなりますよねぇ。 それでも世の中には、生きることのハードルを上げるのに熱心な人々は数限りなくいらっしゃいますが、その反対を目指す人はあまりお見受けしません。 それだけ「純度100%

                              生きることのハードルと純度100%の完璧さ - 『クリアー整体ヒーリング』です
                            • 勘を大切にすることが最後には自分を助ける - 『クリアー整体ヒーリング』です

                              波動的な変化を知るためのサインの一つとして『耳鳴り』があります。 いつでもどこでも誰にとってもサインになるとは限りませんけどね。 単に体の不調のサインである場合もありますし。 ただ、何かいつもと違うことが起こり、それに引っかかるモノを感じる時は、何であれ「変化の兆し」として気を付けておいたほうがいいでしょう。 そこんところを「単なる気のせいにして無視してしまうか、それとも少しでも心に留めるようにしておくのか」が運命の分かれ目になるなんてことも十分あり得ることですので。 「単なる気のせいにして無視してしまうか、それとも少しでも心に留めるようにしておくのか」どちらを自分の心のクセにするかで五感の鋭さに差が現れます。 五感の鋭さの差というのは、勘の鋭さの差を生みます。 繰り返しになりますが以上を改めていうと、感覚に引っかかるモノをおざなりにせず、何かあるのかなぁと心の眼を凝らしてみることをクセに

                                勘を大切にすることが最後には自分を助ける - 『クリアー整体ヒーリング』です
                              • 『絶対正義』は『暴力的なモノ』である - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが、実は潜在意識やら先入観やらによって恣意的に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されずコーディネートもされない純粋に客観的な『事実』など何処にも存在しないのです。 別の言い方をすれば「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が標準装備している」ということです。 つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。 以上を一言でいえば「人間は元々主観的な存在だ」ってことです。 純粋に客観的な視点を持つ人間などというものは何処にも存在しません。 主観というものには大なり小なり偏りが存在します。 一人一人が見ている『世界』というの

                                  『絶対正義』は『暴力的なモノ』である - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                • 運命は巡る因果のルーレット - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                  人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は『運』といいます。 つまり、『運』とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。 それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な「世界というパズル」のささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても時空を跨ぐ途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の『運』というのもまたそ

                                    運命は巡る因果のルーレット - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                  • 正しいにこだわるほど人は『不寛容』になる - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                    目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 みんな自分が正しいと思っているからです。 もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。 知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。 『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ないのです。 じゃあ、『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ってのはどういうことかというと正しい!って想いは自己完結しないモノであるということです。 「正しい!って想いは自己完結しないモノである」

                                      正しいにこだわるほど人は『不寛容』になる - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                    • 「自分で自分に呪いをかける」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                      ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 でも、呪いの方法が古来からのやり方に合ってるから呪詛なのではありません。 人を呪う心のカタチが即ち『呪詛』なのです。 少なくともここでいう呪詛とはそういう意味合いのモノです。 ここで特に申し上げたいことは二つあります。

                                        「自分で自分に呪いをかける」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                      • 仮定盛りとマウンティングは親和性が高い - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                        私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… 思い込みと決めつけのコラボはやがてイリュージョンへと成長していきます。 そのイリュージョンは成長を続ければ、映画マトリックスに出でくるような本物と見紛うばかりの『仮想現実』にまで盛り上がります。(その人にとってはですが) で、この仮定盛りに

                                          仮定盛りとマウンティングは親和性が高い - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                        • ヒーリングと危険な万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                          世の中には時々何の注釈も無しで独自の用語とか考え方を語られる方がいらっしゃいます。 特にスピリチュアル〜な世界には多い気がします。 まぁ、スピリチュアルに限ったことではありませんがね。 「みなさんご存知のように」みたいな前置きをおっしゃるならまだマシで、ご自分の頭で考えた通りをいきなり文章にしてドヤ顔をされたりされるのです。 つまり、『認識の共有』を非常に軽視するわけです。 例えば『ヒーリング』だの『波動』だのと書いてあってもそれぞれの語っている意味は相当違ってたりします。 だから、私の場合は「ここでいう〇〇はこういうことを表しています」みたいに前提を付けて語ります。 そうしないと最低限の『認識の共有』も出来ないと思うからです。 ハッキリ言って、スピリチュアル〜な世界ってのは、ただでさえ世間一般から見れば『怪しげで眉唾なこと』を語ってるわけです。 そこにある言葉や概念は誰もが「ああ、あれか

                                            ヒーリングと危険な万能感 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                          • 創造主というモノを設定した人類と眼に見えない大きな存在 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                            ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。それ以上でもそれ以下で

                                              創造主というモノを設定した人類と眼に見えない大きな存在 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                            • 『マヤカシの知』に囚われると心は鈍感になる - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                              そもそも所謂『スピリチュアル』界隈の人々というのが人間という種族に対する万能感が半端なく強いんだろうなぁと感じるのです。 逆にいえば人間のバカさ加減をナメてるんだと思います。 「俺たち人間ってのはきちんとスピリチュアルな理解を得られさえすればテクニカルに何でも出来ちまうんだぜ!」みたいな感じと申しましょうか… 何処かそういうニオイを漂わせているのが所謂『スピリチュアル』な人達ではないでしょうか? 「スピリチュアルな叡智をお手本通りキチンと持てるようになれば、最終的には何でも『分かる』ようになりますよ」って風なね… 神秘的な現象を体験してスピリチュアルな叡智を得たと思い込んで浮き足立ってしまう人は後を絶ちません。 しかし、その体験の多くはマヤカシであったりします。 『マヤカシの知』は人に万能感を与えます。 簡単に言えば何もかも分かったような気にさせるということです。 でも、実際はそうなればそ

                                                『マヤカシの知』に囚われると心は鈍感になる - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                              • 「チカラに頼る」ということと「修羅場にいる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                スピリチュアルな世界には「見えない世界に悪いモノが全くいないないわけではないだろうが、自分には十分制御可能だ」と根拠もなく信じてるタイプの方がいらっしゃいます。 そういったモノをすごくナメてるんですが、ご本人はナメてるとは思っていないみたいです。 何故だか「相手は最初からそういう(自分がコントロール出来る範囲内にある)モノだ」と思い込んでるのです。 マトリックスの映画のような『マヤカシ』の世界に迷い込んでしまっているので、そういう風にしか思えないんでしょうかねぇ… 波動エネルギー的なこととかをご自分の方法でペラッと表層的に確認して『全部』分かったつもりになるのはご本人たちには想定外かも知れませんが、危険が危なくてデンジャラスなことなのです。 危ないことを「危ないのだ!」とちゃんと認識することが危険を回避するための第一歩だと思います。 そもそも人間に分かることなんて、たかが知れてるんですから

                                                  「チカラに頼る」ということと「修羅場にいる」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                • いわゆる『応援団のヒトたち』と人の運命 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                  個人的に『応援団のヒトたち』と呼んでいる存在があります。 文字通りその人の後ろで人知れず応援してくださる眼に見えない人々のことです。 所謂成仏していて、それでもこの世の人間の手助けをしてやろうという奇特な方々です。 そういうヒトたちはアチラから「この人間なら応援してやろうかな」と見定めて来ています。 こちらの勝手な都合で来てもらえるものではありません。 来るか来ないかはあくまでも応援団のヒトの側の『都合』によります。 応援団のヒトの『都合』で、その人間の生きざまを気に入って手助けしようと来てくれてるわけです。 逆にいえば気に入らなくなったらそこからは居なくなります。 つまり、応援団のヒトは多くなったり少なくなったりするモノです。 別にそれはその人が良からぬ方向へ向かっていってるからとは限らないです。 生きる方向性か変われば別のヒトたちが来たりもしますので。 ただ、応援団が一人もいない人はど

                                                    いわゆる『応援団のヒトたち』と人の運命 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                  • 「日にちを記念する」というのは所謂ひとつの呪術である - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                    森羅万象すべてのモノには波動エネルギーがあります。 だから、当然言葉にも波動エネルギーがあるのです。 今まで何度か申し上げてきた「呪をかける」という行為もまたその言葉のエネルギーを使っています。 ここでいう「しゅをかける」とは強い言葉で相手に衝撃を与え心に『隙間』を作り、そこに不安や恐怖を打ち込んで縛ることです。 『言葉』のチカラを使って人の心をコントロールするために為されるモノです。 それは『他者』の心を支配し、時に『場の空気』まで支配しようとする呪術です。 なので、「呪をかける」という行為は最初は特定の個人なり集団によって行われるものです。 ただ、繰り返しかけれた呪はいつしかそれ自体が独り歩きし出します。 個人の手を離れ、社会的な禁忌になり、エネルギー的には人を縛るモノとして眼に見えない効果を発揮することもあるようです。 「呪をかける」というのは言葉に特別な『意味』を与えることとも言え

                                                      「日にちを記念する」というのは所謂ひとつの呪術である - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                    • 自分が亡くなったことをきちんと認識すると成仏できる - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                      ヒーリングなんてことをしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくありません。 珍しくないというのも随分控えめな言い方ですけどね… 所謂『成仏』してないヒトの多くが生きていた時の刷り込みとそれに基づく条件反射でほぼ動いているようにお見受けします。 「死んだらお墓に行かなくちゃ!」とか「仏壇に居なくちゃ!」とかいう想いでズルズルと動くのです。 線香の煙や読経の声にも亡くなられた方は反応して寄って来ます。 それによって「自分も成仏出来るはずだ!」という生前の刷り込みの結果なのかなと感じます。 あと、自分が亡くなったこと自体分かってない人も大勢いらっしゃいます。 そういう人は道端とかにぼーっと立ってたりします。 いわゆる地縛霊です。 地縛霊といっても、実際は場所に縛られてるわけではありません。 ご自分が死んだことをきちんと認識出来ないので動けないのです。 昔話などでも時々「生き

                                                        自分が亡くなったことをきちんと認識すると成仏できる - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                      • 煌びやかな饒舌と体感のある言葉 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                        散々繰り返し痛い目にあってやっと少しだけ骨身に染みて『分かる』のが人間というものです。 頭の中で考えただけでスルスル何でもピンと来るほど人間という生き物は出来が良くないんじゃないでしょうかね〜。 ただ、世の中には「ぼぼノーリスク・ハイリターン」みたいなの棚ぼたな思考をしている人が結構いらっしゃいます。 そういうほど『人間』という存在を過信している気がします。 「頭で考えて知識や経験を積み上げさえすればそのうち何でもスルスルと出来るようになるはずだ」と考えがちなのです。 繰り返し申し上げますが、人間は本来そんなに『出来のいい生き物』ではないんじゃないでしょうか? あっちでぶつかり、こっちでつまづきながら、やっと少しだけ「分かるということ』の意味が分かるのです、 端から出来ないことをやろうとすればそりゃ心も迷うってものです。 痛いのは誰だって嫌ですし、苦しいことは一つも経験したくありませんよね

                                                          煌びやかな饒舌と体感のある言葉 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                        • 所謂一つの『ライン』と「人を支配したい」という欲望 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                          ここでいうところの『ライン』というのは何らかのエネルギーの送受信を可能にするために仕掛けられた隠された装置のようなモノのことです。 例えて言えば蟻の分泌するフェロモンみたいにA地点とB地点を眼に見えない道で結ぶようなモノです。 その眼に見えない道が一度結ばれるとそれを通じて色んなエネルギーがやって来るようになります。 そして、知らず知らずのうちに様々な影響を受けるのです。 この『ライン』というのはこの世界の至る所に当たり前のように仕掛けられています。 実に多種多様なカタチの『ライン』が世の中にはあるのです。 コードのようなモノもあれば、無線LANのようなモノもあれば、盗聴機のようなモノもあります。 もちろん物理的にそんな形をしているわけではないですがね… じゃあ、何故そんなモノ達が仕掛けられているかというとエネルギー的にあちこちをナニカを繋げるためです。 そんで上手いこと繋がったら自分たち

                                                            所謂一つの『ライン』と「人を支配したい」という欲望 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                          • コダワリと嫉妬心の相関関係 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                            今の世の中には嫉妬の想念エネルギーが溢れています。 嫉妬といえば色恋沙汰を連想される方もいらっしゃるでしょうが、妬みの感情といっても実際は多種多様です。 特定の人間に向かう場合もありますが不特定多数に向かう場合もあったりしますし… 当然ですが、妬みという感情の性質上その人の外側へと向います。 基本自分を妬む人はいないからです。 つまり、妬みの想念エネルギーというのはベーシックに「誰か他人にネガティブな影響を与える可能性が高い」ってことです。 しかも一人だけではなく複数の人間に継続的にね。 誰かを妬む人がたった一人だけしか妬まないってことはまずあり得ないからです。 だから、嫉妬のエネルギーの影響は限定された小範囲に止まらず加速的に広範囲に広がっていきます。 最終的には手当たり次第って感じになっていくのです。 で、そんな妬みが起こるのは心にコダワリがあるからです。 ここでいうコダワリとは「何か

                                                              コダワリと嫉妬心の相関関係 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                            • 一度精神修養とか目指した人ほど波動のレベルは一気に落ちやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                              波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 親近感を持つということはつまりウエルカムな心の状態になっていくということです。 何が怖いってその心の状態が一番怖いわけです。 何故なら他人からすればドン引きするようなモノを自慢して見せるような『鈍感さ』を手に入れてしまうからです。 つまり、波動のレベルの高いモノに対する共感性が鈍るということです。 波動の低くなった人が行き着く果てを一言で表すなら「ストーカー的な気質」です。 ストーカー的気質になると「相手の気持ちを察することが出来ない、自分本位、事実・発言を歪曲して解釈する

                                                                一度精神修養とか目指した人ほど波動のレベルは一気に落ちやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                              • 何でもむやみに繋がらない方がいい - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                生き物というものは、エネルギーの出し入れを行うことで『生きるチカラ』を得ています。 分かりやすい例は『呼吸』です。 「吸って吐いて」の繰り返しを絶え間なく行わなければ生きていけません。 でも、『呼吸』というモノは、自分の周りにある空気を分別せずに吸い込むことしか出来ないのです。 身体に良い成分のみを先に選別して吸い込むなんてことは到底無理です。 眼に見えないエネルギーに関しても最初から自分に都合の良いとこだけ分別してから取り入れるなんてことは出来ません。 取り入れるか取り入れないかの選択権は持っていますがね。 「良からぬエネルギーだけ選り分けてから取り入れる」なんて芸当は不可能です。 何か眼に見えないモノに繋がるってのも同様なんですよね。 同様ってのは構造が同じってことです。 ここでいう『繋がる』とはエネルギー的な回線が通るということです。 エネルギー的な回線が通ると「影響を与え合う関係」

                                                                  何でもむやみに繋がらない方がいい - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                • 憑かれることと心の安定 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                  「身も心も支配されて完全に操られている状態」を所謂『憑依』とするならそういった人はごく少数でしょう。 ただ、様々な波動エネルギーの影響を受けて、心や身体に大きく変調を来たしてしまう人というのは世の中には大勢いらっしゃいます。 そういった状況をここでは一応『憑かれた状態』としておきます。 『憑かれた状態』といってもオカルト映画みたいな誰でも分かるド派手な怪奇現象が起こるなんてことはまずありません。 見た目はもっとずっと地味です。 最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食されていきます。 浸食された部分は本来のその人では無いモノに差し替えられていくのです。 差し替えられた部分は元からある部分と比べると擬態したカメレオンみたいになっています。 よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いがわからない感じと申しましょうか… 差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかに言ってるこ

                                                                    憑かれることと心の安定 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                  • 「人は本来ブレる存在である」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                    森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。 そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。 生あるものにとって「不変とは澱むこと」に他なりません。 生きてきた時間のある一ヶ所に踏みとどまろうとすれば劣化していきます。 つまりは未来へ向かって進んでいくしか『手』はないのです。 この世で生き続けるにはそれしか『道』はありません。 けれど、その『道』を進めば必ずブレます。 「自分は決してブレない!」って宣言するのは「自らの生きる『道』を捨てた」と言ってるのに等しいのです。 古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識

                                                                      「人は本来ブレる存在である」ということ - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                    • 心のノスタルジー濃度を濃くしすぎない方が生きやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                      とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。 昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。 「時代を経るにつれ世界は段々ダメになる」って考えるのは仏教の末法思想やユダヤ・キリスト教の終末思想もそうですし、古今東西よくある考え方なのでしょう。 私からしたら時代が進むほど世の中なり人間なりがダメになるって考えるのは、「現在進行形の『世界』を呪詛してるだけだろう」と感じてしまいます。 本当は大して良くもなかった『過去』を持ち上げることで、今ここにある自らの不遇を『世界』のせいにしようとしているだけだとね。 非常時の今の世の中においては、理想郷であった『過去』は『古き良き日本』として表現されたりします。 そして、「昔の日本は今のような『堕落した道徳なき国』などでは決し

                                                                        心のノスタルジー濃度を濃くしすぎない方が生きやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                      • 波動のレベルと荒々しさがもてはやされる時代 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                        波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 日々の何気ない言葉や行動の集積がその人の波動のレベルを形作っていきます。 そうやって形作られた波動のレベルがまた次の波動のレベルの土台となるのです。 日常的に言葉が荒々しいというのはその人の波動が荒々しいということです。 波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことを指しています。 日ごろから荒っぽい言葉を使い続けていると意図せずとも波動のレベルが下がりやすい心のカタチになっていきます。 言葉の荒々しさには荒々しい想念エネルギーを増幅させやすい性質があるからです。 実際荒々しい行動や言動を繰り返す人の波動のレベルはドンドン低くなっていくものです。 だから、その人の

                                                                          波動のレベルと荒々しさがもてはやされる時代 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                        • 『ブレない自分』を目指すのは混迷と狂乱への道 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                          人間生まれた時はみんな赤ん坊で、あっちへ頭をゴチンとやり、こっちでドタンとコケながら大きくなっていくものです。 大怪我しない程度にそういうのを体験しなければ歩けるようにはなりません。 マトモに歩けるようになるためには、そういう痛い思いを味わいながら『学習していくこと』が必要ってことです。 試行錯誤を繰り返しながら前へ進むしか人の生きる道はないのです。 それは身体だけではなく、心もまた同じです。 試行錯誤を捨てさるのは、生きながら死んでいるのと同じことです。 どんな進歩でも進歩ってのは、あっちへぶつかりこっちで躓きながら、その結果として何かを掴むことで初めて成り立ちます。 たまたまでは無く必然としてね。 それでも、世の中には試行錯誤を何とかして放棄して楽に世渡りをしたいって人々が絶えることがありません。 『ブレない自分』とか追い求める方々もその中の一つです。 「ずっとブレない」というのは「自

                                                                            『ブレない自分』を目指すのは混迷と狂乱への道 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                          • 『オラオラ系の物言い』と『分相応の物言い』 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                            自分の意見をハッキリ表明すること自体はなにも悪くありません。 ただ、自分の意見だけが唯一絶対の真実のように語るのは如何なものでしょうか? いや、単に人に語って聞かせるだけなら、まだマシな気がします。 問題はそれをむやみに振り回して他人を攻撃するための武器にすることです。 個人的には表向きだけでも〇〇説みたいに主張すれば随分マイルドな感じになるのになぁって考えるんですけどねぇ… 少なくともそういう言い回しをすれば相手の意見を100%否定することにはならないので。 例えば古代史好きなら邪馬台国の所在地には畿内説と九州説があるのをご存知でしょう。 二つの説を提唱する人々が、それぞれ長い間自説の正当性を主張して来ました。 それでも、それはあくまでも仮説です。 ご本人たちに幾ら確信があったとしてもです。 自分の正しさを主張したい方々も、そういうスタンスで自己主張されたらいいのになぁと感じるのです。

                                                                              『オラオラ系の物言い』と『分相応の物言い』 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                            • 「自分が正しい!」っていう思いが激しくなるほど生きづらくなる - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                              人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。 ここのところは非常に重要な部分だと思います。 簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界も歪む」のです。 ていうか誰しも大なり小なり見方は歪んでいます。 そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほどそれを正当なモノだと信じだすのです。 歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。 どんな歪みであれその歪みが当たり前になった時点で「慣れた」ということです。 人は自分の『慣れ』に対して無自覚になればなるほど、それが「絶対正しい!」と思い込みます。 単なる『慣れ

                                                                                「自分が正しい!」っていう思いが激しくなるほど生きづらくなる - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                              • 因果のツケと運命の支配者になりたがる人々 - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                                何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。 ただ、一人の人間の中にスッポリ収まるとは限りません。 また一人の人間の中に収まっても特定の時間の中だけに分かりやすく収まるとは限らないのです。 でも、因果応報って言っても悪いことばかりを指すわけじゃありません。 その人の積み上げてきたことは吉凶禍福どちらにでも転がります。 その人の選び取ってきたことの『報い』としてね。 何が言いたいかというと今まで生きてきた分はどうしたってチャラには出来ないということです。 良い意味でも悪い意味でも『報い』は受けるってことです。 でも、スピリチュアルな人々の中にはそういうシステムを改ざんしたいと思ってる人がいるんだろうなとは感じるのです。 「

                                                                                  因果のツケと運命の支配者になりたがる人々 - 『クリアー整体ヒーリング』です
                                                                                • チカラを求めるのもほどほどに!(霊能力篇) - 『クリアー整体ヒーリング』です

                                                                                  世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。 そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 一つには人間が生き物として生まれながらにして持っている所謂『第六感』というヤツです。 一般的には勘とか呼ばれるモノです。 個人的には勘は他の五感と並列的に在るものだと思っています。 特別な人間に特別に与えられた特殊なチカラではなくね。 ここで五感というのは誰もが日々ごく普通に感じている感覚のアレヤコレヤのことです。 それぞれに個体差はあっても人が生まれた時から持っている『感じるチカラ』全般を指しています。 第六感を含んだ人間の感覚は身体の衰えとともに劣化していきます。 しかし、その100%全てがなくなるということは死ぬまでないでしょう。 っていうかそれが完全に無くなるってのが「亡くなること」ですからね。 もう一つには『物の怪』など人外のモノから何かの拍子に後天的に与え

                                                                                    チカラを求めるのもほどほどに!(霊能力篇) - 『クリアー整体ヒーリング』です