江戸時代より花の名所と称され、夕暮れともなると料亭に明かりが灯る情緒豊かな向島。江戸から見て、隅田川の向こうにみえる島のような土地ということから、その名がつけられたと言われています。その昔、遠目には島と見紛う風情をみせていたのでしょう。 文化元年(1804年)、佐原鞠塢(さはらきくう)という風流人が「向島百花園」を開き、花見の名所に仕立て上げました。8代将軍徳川吉宗が100本の桜を植えて以来の桜道として知られる墨堤(ぼくてい)の桜とともに、江戸っ子憧れの行楽地として、その名を轟かせました。風流を好む多くの文人墨客が訪れ、明治以降になると政府の高官や豪商なども向島で遊ぶようになります。