宮台真司の『呪怨:呪いの家』評:「場所の呪い」を描くJホラーVer.2、あるいは「人間主義の非人間性=脱人間主義の人間性」 【かつてのJホラーVer.1とは何か】 『リング』『らせん』(1998年)の原作者・鈴木光司とはよく交流した。この要素とあの要素をこう組み合わせたら怖いといったシナリオ学校的な鉄則を多数持ち、文学的というより建築的で、従来の日本の怪談の要素を的確に掴まえる頭のいい人だ。だからこそ、彼の作品は小道具にテクノロジー機器を使う点で新しく見えて、実は古いモチーフを反復する。 但しデヴィッド・クローネンバーグ監督『ヴィデオドローム』(1982年)にも、鈴木光司的な「つけっぱなしのテレビから何かが出て来る」というモチーフがある。三池崇士監督『着信アリ』(2003年)まで含めて、1980~90年代にはテクノロジー機器をホラーに取り入れる世界的な流れがあった。時代を現代に設定する以上