やはり、ビジネス本をレビューするとアクセスが伸びるのです。 僕は単純に、読み物としては読みやすく、おもしろいので勉強のためと言うよりかは、娯楽のために買ってます。 皆様はいかがでしょうか。 コメントが集まった場合、お礼として最新の売れ筋のビジネス本、またはベストセラーのビジネス本を何冊か読破して記事に致します。 よろしくお願い致します。
読んだ本 宮台真司『<世界>はそもそもデタラメである』メディアファクトリー (2008) 松本卓也『享楽社会論ー現代ラカン派の展開』人文書院 (2018) 山口尚『人が人を罰するということ:自由と責任の哲学入門』ちくま新書 (2023) フローベール『感情教育(下)』光文社古典新訳文庫 (2014) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 てきとうに手帳をパラパラめくっているとザミャーチンの言葉が書かれていたので、覚えるつもりで再度書き残したくなった。 ザミャーチン「真の文学は、勤勉で従順な役人からではなく、狂人、隠遁者、異端者、夢想家、反逆者、懐疑論者から生まれる」 今日は自分なりの小説の書き方の型ができてきたように思う。 自分は劇的に展開するミステリーは絶対に書けないことは分かっている。 自分には自分なりに考えたこと、感じたことがある。それ
僕から提案したいのはたったひとつです。 「まわりに歩いている人を気にしない生き方を見つける。」です。 それだけです! ではその理由を心理学を中心に詳しくお伝えします。 アリストテレスは、あらゆる行為は「善」へと繋がると考えました。 最高善というものですが、それが「幸せな生き方」だと解釈できます。 家族を養うためにはお金が必要だ、だから仕事をする必要がある、仕事を探す、面接するために電話する、ボールペンを買う、コピー用紙を買う、、、、、、、 最終的には「幸せ」に繋がると僕は考えます。 ではなぜ「まわりに歩いている人を気にしない」になるのでしょうか。 まず、人は退屈に耐えられません。 つまり、退屈な時間を減らすことが賢い判断になります。 しかし、人はかんたんには退屈を克服できません。 「飽きる」からです。 なので、「一生飽きない行動パターン」を見つける必要があると言えます。 そのためには「自分
読んだ本 永井敦子・畑亜弥子・吉澤英樹・吉村和明共編『アンドレ・マルローと現代:ポストヒューマニズム時代の<希望>の再生』上智大学出版 (2021) 引用元:版元ドットコム 引用元:版元ドットコム 池澤夏樹『楽しい終末』中公文庫 (2012) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ "『文学の新時代』においてプーライユは、この世には二種類の作家が存在することを示し、一方を人間的に読み手を感動させる作家、他方を知的に私たちに触れるだけの作家とし、前者は「まさにそうだ、その通りだ、まったくだ」と読者に感じさせ、後者は「善」、「美」を感じさせるだけで心に訴えかけるものはないとして、前者のタイプの作家を特権視している。(・・・)その意味において、『征服者』を刊行したマルローは、一九三0年代初頭のプーライユにとって輝かしい存在に見えたのだろう。" P34
マルクス・ガブリエルといえば『私は脳ではない』が有名だ。 新実在論を唱える、現代の若き天才哲学者と呼ばれる。 この方と池田晶子氏が共通の考えを持っていることが分かった。 池田氏は深海魚に眼がない生き物がいることを指摘してこう言う。 「光が先にあって、そこから眼が生まれた」 光がない深海には眼が要らない。故に眼がない魚がいても不思議ではない。 この考えを応用させていく。 つまり、先に「考え」があり、「精神」があり、そこから「脳」が生まれた。 この論理構造は決しておかしなものではない。 マルクス・ガブリエルの本は難しくてまだ読めていないが、このことがわかった僕は、彼の本に興味が湧いた。 哲学は独自性が問われるが、こと真理に関してはやはり独特な哲学者といえど同じ「点」を辿るのかもしれない。 つづく
エリック・ホッファー『エリック・ホッファー自伝』作品社(2016) つづきを読み終えた。 nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想 独特な考えの持ち主だと感じた。 労働と思索の反復で若い時代を過ごしたが、労働は一日六時間以上するべきではない、等と語る。 幅の広い人間との交流を通じて、また、幅の広い読書経験を経ていろいろなものを吸収し、物事を広い視野でみている様子が伝わってくる。 ホッファーは、書くことは肉体的欲求のひとつだと語る。 これは同感する。 ただ、できればペンで書くべきである。 読んでいて、幼い頃の時のような好奇心を取り戻すべきであると感じた。 大人になれば形式や評価にとらわれて独創性を剥奪される。 そして表現力の幅が狭まっていく。 また、ホッファーは、D・H・ロレンス(小説家)が書くこ
読んだ本 林達夫『林達夫評論集』岩波文庫(1982年) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ なし ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 落合勝人『林達夫 編集の精神』だけでは林達夫という人物の人柄が見えにくいように感じたので、本書と併せて読むことにした。 nainaiteiyan.hatenablog.com 子供について、養鶏について語られたあとに大学論の話になる。 やはり、穏和な人柄が伝わってきたが大学論になるとやや辛辣で手厳しい一面も見せているように感じた。 60ページあたりから学問の公共性と私有性について語られた。 ここには資本主義に対する半ば諦めのようなものを感じさせられた。 学問の発達はすなわちの文明の発達でもある。(例えば蝋燭⇒LEDのように) 林達夫は学問の公共性と私有性のジレンマを語
プラトン『法律 (上) 』のつづきをよむ。 第一巻、約90項までを読み終えた。 nainaiteiyan.hatenablog.com 『国家』と比べるとだいぶ抽象度が増しているように感じた。 何回もページを戻り、文脈を捉えるのに苦戦。 なんとか論旨は掴めた。 酒を飲んで愉快に酔っぱらうことは善いことか、悪いことかをしつこいまでも論じる。 決定的な結論は第二巻に持ち越しとなった。 酔っぱらうと人は感情が高まる。 喜びは大きな喜びとなり、悲しみは大きな悲しみとなる。 また、概ね記憶力や思慮を奪うとされる。 これを、「勇気・大胆・恐怖」の観点から彼らは吟味する。 恐怖には二種類ある。 苦痛の未来形が恐怖。つまり、未来に苦痛が来ると分かると恐怖になる。 ちなみに、快楽の未来形は大胆であると書かれている。 人は評判の低下や悪評を恐れる。プラトンはそれを羞恥心と呼んだ。 羞恥心は目の前の快楽に対し、
本はデジタルで読むか、紙で読むか。 現代に課された問いである。 例えば持ち歩く場合。 質量0のデジタルは圧倒的に有利である。 紙とデジタルのメリットとデメリットはそれぞれの次元で複雑に絡み合う。 記憶に関しては圧倒的に紙のほうが強いのではないだろうか。 本も当然、触れば触るほど、時間が経てば経つほどに変形し、変色する。 時系列的に変化するということと、変化しないことが記憶にどう影響を与えるか。 これはハッキリしていないだろうか。 人も時系列的には必ず外見は変わる。 昔の履歴書を見れば別人の自分がそこにいる。 アナログは振り返る力を与える。 回帰。 デジタルにはその僅かな、一見取るに足らないと思われるような出来事が存在しない世界でもある。 ここがポイントではないだろうか。 つづく
岡崎乾二郎『抽象の力:近代芸術の解析』亜紀書房(2018年) エリック・カンデル『脳はなぜアートがわかるのか:現代美術史から学ぶ脳科学入門』青土社(2019年)を読む。 『抽象の力』によれば、日本においても発生したキュビスムは、単に西洋を模倣したのではなく、なかば必然的に発生したのだそうだ。つまり同時発生的に日本いおいてもキュビスムが確認された。 本書によれば、日本にもキュビスムが生まれる土台は整っていたとされる。 『脳はなぜアートがわかるのか』においては、脳のボトムアップ処理とトップダウン処理が視覚システムとして説明できるとされる。 低次と中間の情報は先天的なもので、魔術的に視野を作り出す。トップダウン処理は後天的なもので、これは解釈にあたる。 顔の識別機能に関しては、幼少期から驚くべき能力を人間はみせつける。 光学、神経科学などあらゆる領域からその原理に関して説明がなされる。 脳科学と
アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ『私はゼブラ』のつづきと、 nainaiteiyan.hatenablog.com ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』と、 スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ』河出書房新社 (2018年) を読む。 ニーチェは善悪の二分法を否定している。 「持つべき善は存在しない」と述べている。 その理由を、ソンタグの本で回収することができた。 ニーチェは反プラトン主義者であったとされる。 「神は死んだ」が本当に意味するものについてはまだ分からないが、「プラトンは死んだ」なのだろうか。どうなのか。 そのあと、ニーチェの思想を継承しつつ、文学で武装する『私はゼブラ』の主人公を眺める。 文学のほうが現実よりも真実に近い。 そのように語る。 形而上学的な見方だ。 ノヴァーリスは「哲学はホームシックだ」と言った。 いかなる時も動じず、穏やかな精神を保とうとす
今は再び休職中です。 でもしっかり税金は納めていますし、本を買って経済に貢献し、消費税を通して国にも貢献しています。文句を言われる筋合いはないです。働きたい人だけ働いて下さい。 この膨大な時間をただ寝るというだけで過ごしたくはありません。もちろんうつを治す努力は必要です。でも、ここまで来ると、アドラー心理学的には、「うつでいることによって生かされている」今の自分がいるような気がしないでもないです。 もちろん、今はあまりできていないのでしょうが、いずれまた社会貢献はしていきます。どんな形になるかわかりませんが。福祉の力をお借りして、なんとか生きます。 ただ、今までの頑張り方のずれによってこうなってしまっているとも考えられるので、まずは一カ月、好きなことだけして生きます。すとどうなるのでしょうか。ちまたに溢れるこの魔法の言葉。 僕が証明します。 【中古】 #生きていく理由 うつ抜けの道を、見つ
今日読んだ本: 森岡督行『荒野の古本屋』 ルイス・ボルヘス『記憶の図書館』 松岡正剛『全然アート』 松岡正剛『編集力』 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ 松岡正剛「現代アートは商品になっている」 「表象とはsubstitution (代理形成力)だ」 ⇒概ね柄谷行人氏の見方と同じ nainaiteiyan.hatenablog.com ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 この数週間は、自分のなすべきことについてひたすら自問を続けた。 このブログではまだ書いていないが、シェア本屋に参加したり、個人的に気になっていたお店にも訪問した。 今日はそれがようやく解決しつつある。 今年中にやりたいことがパッと具体化した。 それを実行に移していく。 その行動に関連する本を5、6冊調達し足りないものをAmazon
読んだ本 引用元:版元ドットコム 引用元:版元ドットコム 引用元:版元ドットコム 引用元:版元ドットコム ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー メモ "すぐれた資質に恵まれて、いきいきとしているひとりの人間に対し、十人は凡庸で生活力に乏しい。そしてすぐれた政治の目的は、後者が、自分よりすぐれている者が当然就くべき社会秩序における地位を絶対に奪わぬようにすることである。" (マイケル・ヤング『メリトクラシー』P50) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 執行草舟氏の働きかけによって本書が復刊されたとされる。 Amazonのレビューにはマイケル・サンデルの『実力も運のうち』が話題を呼んでいることから復刊に至ったのではないか、と見ている人間がいるが、恐らく関係ない。 執行草舟氏が本書を強く推しているのは平等主
間違って削除してしまいました。 もう一度書きます。 画像引用:映画.com http://www.eiga.com/movie/96337/ あらすじ(ざっくり) 主人公は作家になることを夢見る。 大学に合格したあとはシドニーという女性に惚れる。 しかし、ことごとく振られる。 そこで作家になって大成すれば振り向いてもらえると勘ぐる。 そしてニューヨークタイムズの記者になるべく面接へ・・・ 僕は端的に、記者と作家は違うと思っている。 たしかに両者は「もの書き」である。 しかしジャンルが違う。 書く内容も全く違う。 「経験がない」 そう指摘される主人公。 経験。 記者に経験は必要。 でも作家はどうなのだろうか。 作家になるにはどうすれば良いのか。 実は「運」でしかないことは某作家が言っている。 とはいえジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』のように努力が形になった例もある。 作家とはなにか
読んだ本 デューイ『民主主義と教育 上』岩波文庫 (1975) フリードリヒ・フォン・シラー『改装版 人間の美的教育について』法政大学出版局 (2017) 福嶋亮太『百年の批評:近代をいかに相続するか』青土社 (2019) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 つい最近まで本を理解しよう、理解しようという気持ちが先行し、読みながら自分で物事を考えるほうに重点を置けなくなってしまっていたように思われた。 今日は意識的にそのことに留意し、要所要所で時間を作り自分である程度深く考える、精読に近い読み方で読書を行った。 ・・・ 『書物というウイルス』などの著者、福嶋氏は文学について次のように語った。 「文学とは徹頭徹尾、自己形成的な「プロジェクト」なのであり、多元的なプレイヤーの相互批評によってはじめて相続できるものである。」 その後福嶋氏の夏目漱石論
個人的に思うのは、100円コーナーに読みたい本が少ない。 これは錯覚なのだろうか。 100円という安すぎる値段ゆえに内容も浅く見えるのだろうか。 正直なところ、専門書で100円はほとんど有り得ない。 だいたいは文庫か新書である。 そして、新書はたいてい、なんらかの入門書である。 もちろん、『バカの壁』のようなベストセラーや、古くなった岩波文庫の本もある。 ただ、本に100円しか出せないような、教養にケチな人がこれらの良書の内容を理解できるとは思えない。 100円コーナーは、個人的にはやはり金銭的に制限のある学生さんが積極的に利用すべきだと考える。 僕は新品でないと読む動機付けがなくなるので100円コーナーはあまり利用しない。
読んだ本 ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』河出文庫 (2022) 大澤真幸『新世紀のコミュニズムへ』NHK出版新書 (2021) 佐々木中『踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ』河出書房新社 (2013) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 日記 『新世紀のコミュニズムへ』を読み終えた。 内容は高度であり、全体をまとめるには力不足であることを痛感。 本書に書かれているのは、20世紀の考えとしては民主主義と資本主義が車輪のような関係にあり、それが資本主義の定石であるというのが通説であった。しかし中国が経済的に大きく成長しその定石を崩してしまった。 資本主義は民主主義と関係を保ちながらも権威を必要としている。という主旨のことが書かれていたが、本書における最後のあたりのヘーゲルとマルクスに関する理論と大澤氏の理論がいまいち掴めなかった。 力不
昨日買った、松岡正剛『感ビジネス』を読み進めた。 この方、僕が畏敬の念を抱く仲正昌樹氏の本を「文章がヘタクソ」と批判していたが、確かに松岡正剛氏の本は読みやすい。 文章の書き方は松岡氏を真似すれば良いと思う。 心理学コーナーに『報酬主義をこえて』(法政大学出版局)という本がある。 これがコンサルへの批判でもあるということを今日知った。 『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です』の書評のページに面白いことが書いてあった。コンサルは評価項目を多く設定しすぎたり、企業の最適化への過信や予測的ビジネスモデル主義には大きな過ちがあったとのこと。 最後の最後で、結局、「早い失敗が良い」ということであった。 それはさておいて、コンサルは胡散臭さとブルシットジョブ感が否めない。 とりあえず、僕は「自己啓発を読んでおけば安心 = コンサルに任せておけば安心」と解釈した。 中国にまつわる面白い諺も教えてくれた。
プラトン『法律 (上) 』のつづきを読む。 nainaiteiyan.hatenablog.com 今日は240項まで読み進めた。 第三巻は読み終えたので、三巻の内容をざっくりまとめ、四巻の内容にも少し触れて終わりとしたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 三巻では統治者に対していかに教育が大事となるかが語られた。 プラトンによれば、ペルシアはカンビュセスの時に衰亡し、ダレイオスの時に再興したとされる。 カンビュセスを育てたのはキュロスであった。 キュロスは教育を女性に任せた。 しかしながら、子供は十分にもう幸せだからという理由で甘やかしたとされる。 それが故に、思慮が育たず衰退に至ったとされる。 一方、ダレイオスは王の息子として生まれたわけでもなければ、甘やかされた教育も受けていなかったとプラトンは語る。 歴史的にも「正しく」教育され、思慮を伴っていなけ
ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を読む。 文学と政治の接点を勉強するために、マイケル・ノース『一九二二年を読む モダンの現場に戻って』水声社(2021年)という本を買ってみたものの、内容があまり頭に入ってこなかった為、論考の対象となっていたユリシーズという文学に触れてみることにした。 かなり分厚く長編小説であるので、ゆっくり読み進めたい。 クセジュ『スピノザ入門』のつづきを読み進める。 nainaiteiyan.hatenablog.com 『神、人間、および人間の幸福に関する短論文』において、「真の自由とは知性と神が結合することである」と書いてある。 個人的な解釈では、「神=自然」と置き換えて読めば理解が進むと思っている。 スピノザは人間が持つ観念を3つに分類した。 虚構された観念、虚偽の観念、疑わしい観念。 ここでいう観念とはおそらく「常識」とか、「価値観」のようなものだろう。 幸福
全員規則を破ることは全員規則を守ることでもある。 さて何のための規則だろう。 メタ的に考える。 僕が規則を作る側になってみる。 規則の目的を考える。 人の役に立つ規則であれば善いことになりそうだ。 しかし、誰かにとって善いことは誰かにとって悪いことになりそうだ。 「自由にスケボしましょう」という規則はスケボが好きな人には善いことである。しかし迷惑だと思う人には悪いことである。 じゃあと、迷惑だと感じる人が多ければこの規則は悪いことになるのだろうか?となる。 それでは多数決をとろう。迷惑だと思う人が多かった。結局、自由にスケボをしましょうという規則は立案の失敗に終わった。 しかし、少数派だからといって排除されてしまうのはどうなのだろう。 少数派より多数派の意見を尊重しましょう。という規則が実は既にあるのではないだろうか。 当たり前かもしれないが、これは大事なことである。 民主主義は規則なのだ
Rasさんのこの言葉を勝手ながら検討させてもらいます。 そもそもですが、このタイトルの意味自体わかりにくいものですが、おそらく通りすがりの方のコメントである、 "他者の意見をある意味うまく利用することで自身の主張に説得力を持たせることができるわけで、、” を受けてのことかと思われます。 私の勝手な推測ですが、要するにこういうことでしょうか。 「他人の意見に耳を傾け、自分を内省し、そこから成長の糧とせよ。」 ここで私が提案したいのは、ポパーの反証主義を参考にすると良いかと思われます。 相手の主張を吟味するには、まずその反証可能性について検討しなければなりません。 通りすがりの方のコメントの真偽を問うわけです。 まずは全面的に肯定し、その説を受け入れて多角的に物事を検討するべきです。 そのうえで矛盾点や論旨のズレなどが見受けられれば「偽」となり、根拠がありかつ整合性も取れていて正しいようであれ
これから書くのは、もし読書がつまらなくなってしまった自分へのメッセージである。 決して自己啓発的な、ハウツーにならないように留意する。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ・小説を読むことは時に映画以上の感動をもたらす 映画は長くても3時間である。 ところが、小説は3時間では読みきれないことが大半である。 これは、換言すれば、物語と向き合う時間が相対的に長いことを意味する。 映像を眺めつづけることと、文字を追い続けることは、それぞれがお互いに異質の経験である。 小説には退屈がつきものかもしれないが、夢中になって読みきったあとにはなんとも言えない充足感、カタルシスを覚えることがある。 これが、想像以上に心に影響を与えることがある。 これが何を意味するのか。 そもそも、人はどのようなときに本を読むのだろうか。 それはただ「読みたい」からではないだろうか。
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