田島正樹先生の『文学部という冒険』、掉尾を飾る大童澄瞳『映像研には手を出すな!』批評は見事だが、その伏線としてのカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』読解にはやや首をひねる。いやたしかにこの作品のいかがわしさの核心部分に触れてはいるが、肝心なところで外しているように思われる。しかし着眼はたしかに圧倒的に優れている。 『わたしを離さないで』のいかがわしさの一端はSFのフェイクであるところ、SF的意匠を単なる寓話として用いていて、真剣なSFではないところに由来する。あれを真剣なSFとして読むなら、主人公たちが置かれた不条理な状況への告発が作品の主題ということになり、物語の動力はその構造への主人公たちの反逆か、あるいは悲劇的な挫折かということになる。しかしそんな風にはあの作品は読めない。 トリヴィアルなところでしか現実世界と変わらない世界を舞台とする普通のリアリズム小説とは異なり、SFはシステマ