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  • 8月15日(火)/1⃣毎日チェック/2⃣0次マルシェ/3⃣終戦記念日/4⃣白い水晶の魔法使い/2023年 - 勉強で悩む子・神経発達症・不登校の塾

    2023年8月15日(火)です。 おはようございます! 【朝のHR】の時間です。今日も短縮授業です。 【0時間目】今日のプチ有益情報「Bit Walk」 Bit Walkもmove to reanの一つです。 歩くだけで無料でビットコインが たまっていきます。 当然無料なので少しずつですが… 今日のラインナップです。 【1時間目】ミニコラム ~毎日チェック 【2時間目】0次マルシェ 【4時間目】今日は? 終戦記念日 【4時間目】マヤ暦的…白い水晶の魔法使い 【1時間目】ミニコラム ~毎日チェック 毎日チェックはする側は とても負担が大きく大変です。 授業の合間を縫っての電話なので うまくいかないこともあります。 それでも今のところ面談などで できないときを除けば 毎日電話して、今日の様子を聞いています。 foulesourire.com at-school.jp 【2時間目】0次マルシェ

      8月15日(火)/1⃣毎日チェック/2⃣0次マルシェ/3⃣終戦記念日/4⃣白い水晶の魔法使い/2023年 - 勉強で悩む子・神経発達症・不登校の塾
    • 終戦記念日!平和は自分たちの力で守るもの! | はるりんの不動産広場

      終戦記念日 2020年8月15日、75回目の 終戦記念日です(^^)/ 75年前の 1945年8月15日正午 昭和天皇が戦争後の日本の在り方を定めた ポツダム宣言 の受諾を日本国民と大日本帝国軍人に 『玉音放送』 という形で直接語り掛けました。 戦争が終わった瞬間です(^^)/ その後75年間 日本は戦争をしていません(^^♪ 世界に誇れることですよね(^^)/ ご先祖様に感謝 今の日本が平和なのは ご先祖様のお陰です(^^♪ ご先祖様に感謝! でも 最近心配していることがあります(>_<) 感謝の気持ちが薄れてきてる気がしませんか? こんなニュースを見つけました。 ※2020年8月15日のニュースです 小泉氏ら4閣僚が靖国参拝 終戦の日、4年ぶり閣僚参拝 自国の神社に参拝することは とても良いことですよね(^^)/ でも ニュースの内容を見てみると 現職閣僚が終戦の日に参拝するのは201

        終戦記念日!平和は自分たちの力で守るもの! | はるりんの不動産広場
      • 「最低の人間や。あいつが発明したから死なないといかん」“人間爆弾”と呼ばれた特攻兵器「桜花」発案者に元隊員がぶつけた“容赦ない言葉” | 終戦、78年目の夏 | 文春オンライン

        1994年5月、大阪市東淀川区に住む大屋隆司の父親・横山道雄が突然、失踪した。この失踪騒ぎの後、みるみる衰弱していく父を看病する中で、隆司はこれまで知らなかった父の過去を知る。 父の戸籍上の名前は「大田正一」といい、死亡により除籍されていた。大田正一といえば太平洋戦争末期に「人間爆弾」と呼ばれた特攻兵器「桜花」を発案したとされる人物である。なぜ彼は、戸籍を変え、別人になってまで生きようとしたのか? ここでは、カメラマン・ノンフィクションライターの神立尚紀氏が、大田正一の謎多き生涯を追った渾身のノンフィクション『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』(小学館)より一部を抜粋。神立氏と大屋隆司・美千代夫妻は、大田正一の実像に迫るため、戦時中の大田を知る人物を訪ね始めた——。(全2回の1回目/2回目に続く) 「人間爆弾」と呼ばれた特攻兵器「桜花」(写真=『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』よ

          「最低の人間や。あいつが発明したから死なないといかん」“人間爆弾”と呼ばれた特攻兵器「桜花」発案者に元隊員がぶつけた“容赦ない言葉” | 終戦、78年目の夏 | 文春オンライン
        • 終戦75年 「米国は原爆投下を謝罪すべきではない」と米専門家が言う理由 (飯塚真紀子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

          終戦75年。 米紙マイアミ・ヘラルド電子版(8月10日付)に「アメリカは原爆投下に対する謝罪をせずに、日本ととともに、未来を見るべきだ」と題された論説文が掲載されている。戦争における謝罪の問題について論じたものだ。 著者のシンクタンク「アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート」の研究員ザック・クーパー氏は、その中でこう訴えている。 「アメリカには、日本に原爆を投下したことを公式に謝罪すべきだと主張する者がいる。しかし、第二次大戦で亡くなった人々を追悼する最善の方法は、戦争に繋がるような間違いを繰り返さないことだ。日米の指導者は過去ではなく、現在の課題を重視すべきだ」 クーパー氏は「トランプ氏が原爆投下を謝罪することはありえない」と断言している。確かに、トランプ氏がアジア歴訪を前にハワイの真珠湾攻撃の追悼施設「アリゾナ記念館」を訪れた際に「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな

            終戦75年 「米国は原爆投下を謝罪すべきではない」と米専門家が言う理由 (飯塚真紀子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
          • 終戦直後、上海で姿を消した父…写真と記録から浮かび上がる“エリート貿易商”の別の顔

            【読売新聞】 戦中に中国・上海で貿易商をしていた父は、戦後まもなく「南京に行く」と言い残し、消息不明となった。貿易商の長女は、軍や政界の要人らと並ぶ父の写真を眺めながら、「父は上海で一体どんな仕事をしていたのか」という疑問を抱き続け

              終戦直後、上海で姿を消した父…写真と記録から浮かび上がる“エリート貿易商”の別の顔
            • tn53.「終戦直後を知らない子供たち」でいいですか? 平和と沈黙(2021) - tn198403s 高校時代blog

              終戦の年に20歳であったなら(2) 1945年に20歳であったなら、徴兵されていた可能性は高いです。戦地で命を落とした可能性もありますが、生き残ったとしてその後をどう生きただろうかと考えました。 まず、どこで終戦を迎えたかで大きく変わります。日本本土なら、何日かけてでも家まで帰れる気もしますが、当時の植民地、満州や台湾だったらと考えると、果たして無事に日本に帰れるだろうかと不安に襲われます。日本に向かう船が運行されるかというところから怪しい上、周囲には日本を憎む人が大勢いるのです。これが東南アジアの戦地だったら、南洋の孤島であったなら、帰国できるかどうか以前に終戦を知ることすら無かったでしょう。 20歳の時、この辺りまで考えただけで、途方にくれました。 この記事は前回の続きです。 tn52.『戦争を知らない子供たち』でいいですか? 平和と沈黙(2021) 終戦の年に20歳であったなら(2)

                tn53.「終戦直後を知らない子供たち」でいいですか? 平和と沈黙(2021) - tn198403s 高校時代blog
              • OGAWA Kandai on Twitter: "これはかつて調べたんだが、戦前、日清・日露戦争が終わった日に靖国神社に大勢の人が集まるような現象は確認できないのである。「終戦の日に靖国に集まる」ことは極めて戦後的な現象で、かつ靖国自体がその戦後的現象に安住した風があり「近代の戦死者を包括的に検証する施設」たろうとはしなかった。"

                これはかつて調べたんだが、戦前、日清・日露戦争が終わった日に靖国神社に大勢の人が集まるような現象は確認できないのである。「終戦の日に靖国に集まる」ことは極めて戦後的な現象で、かつ靖国自体がその戦後的現象に安住した風があり「近代の戦死者を包括的に検証する施設」たろうとはしなかった。

                  OGAWA Kandai on Twitter: "これはかつて調べたんだが、戦前、日清・日露戦争が終わった日に靖国神社に大勢の人が集まるような現象は確認できないのである。「終戦の日に靖国に集まる」ことは極めて戦後的な現象で、かつ靖国自体がその戦後的現象に安住した風があり「近代の戦死者を包括的に検証する施設」たろうとはしなかった。"
                • mugi on Twitter: "祖父のタバコケース… これは私の祖父の鉄のタバコケース 終戦間近、当時青年だった祖父は日本陸軍の最前線にいた… そして、銃撃戦の中、胸に衝撃が走る…敵に撃たれた…瞬間 「あ、死んだな…」と思ったらしい そのまま地面に倒れて、ふと気… https://t.co/vDEzUYj9vN"

                  祖父のタバコケース… これは私の祖父の鉄のタバコケース 終戦間近、当時青年だった祖父は日本陸軍の最前線にいた… そして、銃撃戦の中、胸に衝撃が走る…敵に撃たれた…瞬間 「あ、死んだな…」と思ったらしい そのまま地面に倒れて、ふと気… https://t.co/vDEzUYj9vN

                    mugi on Twitter: "祖父のタバコケース… これは私の祖父の鉄のタバコケース 終戦間近、当時青年だった祖父は日本陸軍の最前線にいた… そして、銃撃戦の中、胸に衝撃が走る…敵に撃たれた…瞬間 「あ、死んだな…」と思ったらしい そのまま地面に倒れて、ふと気… https://t.co/vDEzUYj9vN"
                  • 血で染まった甲板、母親の目の前で冷たい海に消えた子供たち…1700人もの命はなぜ奪われてしまったのか | 76年目の「終戦」 | 文春オンライン

                    2021年夏に戦後76年を迎える日本。戦争中には、忘れてはならない数々の悲劇があった。終戦直後、樺太(サハリン)から引き揚げる途中の小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸が旧ソ連軍の潜水艦に相次いで攻撃を受け、1700人余りが犠牲となった三船遭難事件も、その一つである。 昭和史を長年取材するルポライター・早坂隆氏の『大東亜戦争の事件簿』(育鵬社)より、一部を抜粋して引用する。 ◆◆◆ 第二号新興丸の航海士だった中沢宏は、船が留萌港に入ってからも、すぐには下船せずにそのまま船上に残っていた。その時、中沢は不意に遠くの海上から砲声を聞いた。艦橋から双眼鏡を覗(のぞ)くと、日本の船舶が自分たちと同じように潜水艦に襲撃されている光景が目に入った。 この船が「泰東丸」であった。 泰東丸は本来、貨物船である。しかし、大泊港に避難民が溢れている状況を受けて、引揚船に転用されたのだった。 泰東丸が大泊港を出港した

                      血で染まった甲板、母親の目の前で冷たい海に消えた子供たち…1700人もの命はなぜ奪われてしまったのか | 76年目の「終戦」 | 文春オンライン
                    • 『終戦記念日の今日、イタリアではフェラゴストの祭日』

                      ローマより徒然なるままに 〜料理覚書(Ricordi Culinari)〜 12年間のCA生活に終止符を打ち、ローマの片田舎へ。オリーブオイル、10種以上のフルーツもすべて自家製。添加物フリーの生活をしつつ、イタリア料理オンライン教室、コングストを主宰。 ローマの片田舎より発する私の想い、美味しいもの、こと。

                        『終戦記念日の今日、イタリアではフェラゴストの祭日』
                      • 終戦まぎわの西鉄電車への銃撃 犠牲者の名前を探し続けて|戦跡 薄れる戦争の記憶 NHK|

                        終戦まぎわの西鉄電車への銃撃 犠牲者の名前を探し続けて(2020年8月14日 福岡局 松木遥希子記者) 「仕事で県庁まで」 「夜勤明けで自宅へ」 「恋人の見送りに」 75年前も今と同じような電車の日常がありました。それが突然奪われたうえに、事実が語り継がれず風化してしまったら。 昭和20年、終戦の1週間前に福岡県の小さな村で起きた戦闘機による銃撃事件を、公的な記録が残さていない中で調査を続ける男性は、犠牲者の「名前」にこだわり、何が起きたのか明らかにしようとしています。 「車内は血の海、地獄絵図」 アメリカ軍の戦闘機に取り付けられたガンカメラの映像です。画面中央を走行中の電車に向かって、おびただしい数の銃弾が降り注いでいます。 アメリカ軍は、軍の司令部だけでなく輸送ラインや工場も主要な攻撃目標とし、終戦末期のこの時期には、町や村の民間施設にも攻撃を広げていました。 昭和20年8月8日午前1

                          終戦まぎわの西鉄電車への銃撃 犠牲者の名前を探し続けて|戦跡 薄れる戦争の記憶 NHK|
                        • 終戦記念日に書き留めておきたいこと - 如是我我聞

                          終戦記念日。 父方の祖父母は私が話を聞ける年になる前に亡くなってしまったが、母方の祖父母から聞いた話を書き留めておきたい。 祖父の話。 祖父から戦時中の話を聞くことはなかった。聞いてもはぐらかして話さなかった。そんな祖父が癌になり、寝たきりになった床で、様子見の番をしている孫の自分に話をしてくれた。 第二次世界大戦中は、衛生兵として東南アジアを軍隊と一緒に回っていた。たくさん歩いた。知らないところを延々歩いた。前線に行くことはなかったが、傷つき、亡くなっていく兵士をたくさん見送った。食料が少なくなると、みんな何でも食べた。蛇の味噌汁が忘れられない。あの時はぜいたく品だった。 あるとき、敵兵と鉢合わせした。祖父は武器を持っていなかったので殺される!と死を覚悟したが、別の角度から味方の兵士が相手を銃で撃って殺した。自分は生き残ったが、敵兵は死んだ。自分が殺したと思った。 祖父はこの話をしながら

                            終戦記念日に書き留めておきたいこと - 如是我我聞
                          • 終戦記念日を前に~凄惨な「共産主義者による虐殺」を忘れるな【橋本琴絵の愛国旋律㉟】

                            今年もこの季節がやってきた。8月6日の広島原爆投下、同9日の長崎原爆投下、そして15日の終戦記念日である。戦後76年目にあたる今年も、メディアはこぞって「あの戦争」の犠牲者と反省を声高々に叫ぶ。しかし、そこには奇妙なことに一つの視点が抜け落ちている。「共産主義者に殺害された日本人」の存在である。 私たちは初等教育から「アメリカに殺害された日本人」の実態を学ばされてきた。前述した原爆投下や、本土空襲、終戦間際の機銃掃射である。例えば、東京都八王子市泉町にある相即寺には「ランドセル地蔵」がある。当時、小学四年生だった神尾明治くんのランドセルを背負った地蔵がある。昭和20年7月8日、米陸軍のP51マスタング戦闘機が登校中の小学生の列へ機銃掃射をして、神尾明治くんは12.7mm弾に身体を貫かれて絶命した。

                              終戦記念日を前に~凄惨な「共産主義者による虐殺」を忘れるな【橋本琴絵の愛国旋律㉟】
                            • 「女性の大きな悲鳴が…」満州で終戦を迎えて見た“悲惨” 96歳男性が語る戦争の現実【愛媛発】(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

                              終戦から77回目の夏を迎えた。 世界が平和を祈る一方で、ロシアのウクライナ侵攻など侵略の歴史は繰り返されている。 その争いの裏では、女性や子どもなど、必ず犠牲になる市民がいる。 77年前、陸軍の偵察機操縦士として中国で終戦を迎えた男性が、いま戦争被害の現実を語った。 【画像】“戦争の記憶”がびっしりと記された2冊のノート 「国のために死ぬのが当たり前やった」丁寧な字で書き記された2冊のノート。 中には戦争の記憶がびっしりと詰まっている。 ノートを書いたのは愛媛・今治市波方町に住む桧垣静男さん(96)。当時19歳で終戦を迎えた、戦争を知る最後の世代。 桧垣さんは大正15年生まれ。物心ついたころには日本は戦争に突入していて、昭和18年、17歳の時に陸軍特別幹部候補生に志願した。 17歳の少年が戦争に志願した当時の日本について、こう振り返る。 桧垣静男さん: ずっとそういう教育を受けとったから、

                                「女性の大きな悲鳴が…」満州で終戦を迎えて見た“悲惨” 96歳男性が語る戦争の現実【愛媛発】(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
                              • 「きのこ雲」後方 串木野空襲の煙 長総大・大矢名誉教授ら特定 「終戦直前まで全土に空襲」(長崎新聞) - Yahoo!ニュース

                                米軍機が長崎原爆の投下直後に撮影した「きのこ雲」の映像に、米軍が原爆投下の約1時間前に鹿児島西部の旧串木野町(現いちき串木野市)を空襲した際に発生した黒煙が、写り込んでいることが分かった。長崎総合科学大の大矢正人名誉教授らが特定した。 大矢氏は「終戦直前まで日本全土に空襲が広がっていた」と話している。 大矢氏らは2014年、米軍が長崎原爆投下直後に上空約9キロから「きのこ雲」を撮影した約3分間の映像を米スタンフォード大のフーバー研究所から入手。映像を活用し、きのこ雲を撮影した米爆撃機B29の飛行ルートを割り出した。 大矢氏らは研究過程で、きのこ雲の右後方に写り込んでいる小さな黒煙に着目した。当初は鹿児島・桜島の噴煙と推測したが、当時の気象記録では1945年の噴火は確認できなかった。 大矢氏と長総大の学生チームは、きのこ雲後方に映る陸地の海岸線や島の形状を、米グーグルの衛星写真を利用したサー

                                  「きのこ雲」後方 串木野空襲の煙 長総大・大矢名誉教授ら特定 「終戦直前まで全土に空襲」(長崎新聞) - Yahoo!ニュース
                                • 制裁「非常に甘い」、でも想定以上の影響も 識者が読む終戦シナリオ:朝日新聞デジタル

                                  ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><div class=\"naka6-banner\" style=\"margin:0 0 15px;\">\n<p style=\"display:block;margin:0 auto;\"><a href=\"https://www.asahi.com/special/bucha/?iref=kiji_bottom_banner\" style=\"display:block;\"><img src=\"https://www.asahicom.jp/special/bucha/images/banner/bucha-tokusyubanner_660x100.jpg\" alt=\"ウクライナ侵攻

                                    制裁「非常に甘い」、でも想定以上の影響も 識者が読む終戦シナリオ:朝日新聞デジタル
                                  • 立川談四楼 on Twitter: "昭和天皇が「国民に深い悔恨と反省の気持ちを表明したいと強く希望」していたことが、初代宮内庁長官の田島道治氏が遺した『拝謁記』によって判明した。終戦7年後の独立回復を祝う式典で表明したいと願ったが、吉田茂総理に阻まれたという。以来、昭和天皇が公の場で悔恨や反省を語ることはなかった。"

                                    昭和天皇が「国民に深い悔恨と反省の気持ちを表明したいと強く希望」していたことが、初代宮内庁長官の田島道治氏が遺した『拝謁記』によって判明した。終戦7年後の独立回復を祝う式典で表明したいと願ったが、吉田茂総理に阻まれたという。以来、昭和天皇が公の場で悔恨や反省を語ることはなかった。

                                      立川談四楼 on Twitter: "昭和天皇が「国民に深い悔恨と反省の気持ちを表明したいと強く希望」していたことが、初代宮内庁長官の田島道治氏が遺した『拝謁記』によって判明した。終戦7年後の独立回復を祝う式典で表明したいと願ったが、吉田茂総理に阻まれたという。以来、昭和天皇が公の場で悔恨や反省を語ることはなかった。"
                                    • 終戦の日の備忘録 2023 - もみじの備忘録

                                      今日は「戦争」のことを書きます。 終戦の日くらいは、そういうことを考えてみようというわけです。 2021年、2022年に考えてたこと 非戦争局面での国と国との競争 戦争局面(戦争に近い局面)で大事な事 麻生さんの「闘う覚悟」発言 2021年、2022年に考えてたこと 終戦の日の備忘録も、3年目になりました。 2021年に考えてたことはこんな感じです。 負けたことが全て。戦争では敗戦国が悪。 敗戦した太平洋戦争のイメージを戦争ととらえてはダメ。あの戦争は特殊過ぎ。 戦争の歴史に対する捉えは左右両極端過ぎる、バランス良い情報源が欲しい。 ウクライナ侵攻後の2022年に考えてたことはこんな感じです。 現代の戦争は、太平洋戦争のイメージでは全くない。 戦争しない(攻められない)ためには、集団安全保障の枠組みに入る必要大。 そのためには、日本も極端な戦争アレルギーから抜け出さないと。 これらの考えは

                                        終戦の日の備忘録 2023 - もみじの備忘録
                                      • 『終戦の日』に思う。 - 女のため息

                                        終戦から75年が過ぎ、戦争を体験した人が少なくなりました。ここからの話は、93歳の母が戦時中に体験した話です。 B29が集団で、ゆっくりと帰って行く光景を防空壕から外に出て近所の人と見上げていたところ、最後の一機が焼夷弾を落として行ったそうです。 その焼夷弾の行方を追うと、何と自宅の屋根を突き抜けました。驚いて家に向かうと、居間の仏壇に焼夷弾が落ちていたそうです。焼夷弾からは、煙が出ていて、慌てて座布団で包んで外に出し、近所の男性に渡して処分してもらったと言います。 当時は、若い男性は皆戦争に取られ、居るのはそれこそ、女・子供、それと、年配の男性のみ。 焼夷弾は、不発弾で事なきを得たのですが、小ぶりの水筒位の大きさで、油でベタベタだったと言います。 その仏壇は、数年前迄、母の実家に有りました。少しの焼け焦げた跡を残して………。 召集令状に従わなかった人が近所に居たそうですが………。 その若

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                                        • <社説>戦後78年の「終戦の日」 「新たな戦前」を拒否する - 琉球新報デジタル

                                          1945年に日本が敗戦して78年目の「終戦の日」である。政府が大軍拡に乗り出そうとしている今、「絶対に戦争はさせない」決意を確認する日にしなければならない。 昨年末のテレビ番組でタレントのタモリ氏が「新しい戦前」と語って注目された。「新しい」という言葉は前向きなニュアンスも含んでいないか。再来させてはならないという意味を込めて「新たな戦前」と言いたい。 敗戦の78年前に当たる1867年の大政奉還以降、日本は近代国家の歩みを始めた。天皇を頂点とする中央集権体制を「国体」として、軍事大国化を目指して戦争に明け暮れ、国家の破綻に至った。 戦後の78年間は「戦後の国体」(白井聡京都精華大准教授)として対米従属体制となり、基地の提供などで米国の戦争に加担し続けた。アジア太平洋諸国への加害責任、空襲被害者への賠償、遺骨収集、原爆被爆者援護の拡充など、戦後処理の問題は今も未解決のままだ。 最近の世論調査

                                            <社説>戦後78年の「終戦の日」 「新たな戦前」を拒否する - 琉球新報デジタル
                                          • 終戦直前に満州で産まれた母の話

                                            こんな時期でもあるし母も病気やってしまって長くなさそうだからここにでも記録しておこうかな 増田はまだ30代だけど両親が戦時中産まれの超高齢出産で母は満州で産まれた。 小学校とかで「お祖父ちゃんお祖母ちゃんから戦争のこと聞いてきて発表してね」なんてあるけど増田だけ両親から聞いた話を発表して戦争って以外と身近なんだよって理解してた記憶がある。 戸籍を確認するとほんとに母は満州産まれだし母の父親の記載がない。そういう時代なのだ。 満州では素晴らしい生活が待っているよ、と地域ごとに募集された開拓民として満州に行った二世ということだ。 増田の母の母は現地で別のところから来た男性と恋に落ち、結婚はしていなかったけど子どもを身ごもり終戦の数か月前に出産した。だから父親の記載がなかった。 そして8月、日本は終戦を迎えた。 が満州ではまだ戦闘が続いていた。 というよりも満州での地獄は終戦後からなのかもしれな

                                              終戦直前に満州で産まれた母の話
                                            • 昼食後に姿を消した3人の日本人捕虜…シベリア収容所の“人肉事件”はこうして始まった | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン

                                              ユーラシア・中央アジアの考古学・文化史研究の先駆者である加藤九祚氏は、戦時中、学徒動員で出征。満州国の敦化(とんか)で終戦を迎えた。直後、加藤氏はソ連軍捕虜となりシベリアに抑留されるが、そこで「どうしても忘れ切ることのできない記憶」となる異様な出来事と遭遇した。 多くの日本人が辛苦を味わった「シベリア抑留」の現場で、一体何が起きていたのか。文春ムック『奇聞・太平洋戦争』より、加藤氏が1970年に執筆した「日本人は同胞の肉を喰うのか?」の一部を抜粋して掲載する。(全2回の1回目/後編に続く) ◆ ◆ ◆ わたしがここで語ることは、シベリア抑留中の1946年の出来事である。あのときからすでに24年の歳月が流れ、当時の記憶もまたうすらいで、俘虜(ふりょ)生活のすべてが夢の一こまであったように思われることがある。歳月は一切を洗い流すものかも知れない。しかしわたしには、どうしても忘れ切ることのできな

                                                昼食後に姿を消した3人の日本人捕虜…シベリア収容所の“人肉事件”はこうして始まった | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン
                                              • プーチン 「終戦しようぜ。結論を妥結する用意ができている」 ウ・米国「その手に乗るかよ馬鹿」 : 痛いニュース(ノ∀`)

                                                プーチン 「終戦しようぜ。結論を妥結する用意ができている」 ウ・米国「その手に乗るかよ馬鹿」 1 名前:ウンブリエル(栃木県) [BY]2022/12/26(月) 08:55:50.48ID:0mZqC9TT0 プーチン露大統領、停戦への意向示唆 ウクライナや米国は懐疑 ロシアのプーチン大統領は、25日に放映された国営テレビのインタビューで、 ウクライナ侵略に関し、ウクライナや同国を支援する米欧と「結論を妥結する 用意ができている」と述べ、停戦への意向を示唆した。プーチン氏は22日にも停戦に言及していた。 ただ、プーチン氏はロシアの要求を認めさせる形での停戦を念頭に置いているとみられ、 ウクライナや米国は懐疑的な見方を崩していない。 プーチン氏は、ウクライナとの停戦交渉や、ウクライナ侵攻に先立って 北大西洋条約機構(NATO)に提案した相互安全保障体制の確立について「ロシアには 全ての当事

                                                  プーチン 「終戦しようぜ。結論を妥結する用意ができている」 ウ・米国「その手に乗るかよ馬鹿」 : 痛いニュース(ノ∀`)
                                                • 「ヒトラーがユダヤの血を引く?」手塚治虫が『週刊文春』で描いた“オトナの”戦争マンガをご存知ですか? | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン

                                                  『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』……数々の名作を遺した“マンガの神様”手塚治虫。その手塚が「週刊文春」で連載をしていたことをご存知だろうか。『アドルフに告ぐ』――第2次世界大戦前後の日本とドイツが舞台の大人向けのマンガであり、手塚の“最高傑作”と推す声もある。 1983年~85年にわたって連載され、コミック累計450万部超えを記録する同作、手塚はどういう思いで描いたのか? 単行本発売から35年、『アドルフに告ぐ』の資料を読み解き、解説する。 (全3回の3回目/#1、#2を読む) ◆ ◆ ◆ 東京・椎名町のトキワ荘といえば、1950年代から60年代にかけて、「マンガの神様」手塚治虫が住んで以来、彼を慕って、寺田ヒロオ、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など当時の若きマンガ家たちが入居したアパートとして知られる。 最近になって本来の所在地付近に復元され

                                                    「ヒトラーがユダヤの血を引く?」手塚治虫が『週刊文春』で描いた“オトナの”戦争マンガをご存知ですか? | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン
                                                  • 門田隆将 on Twitter: "終戦記念日に思うのは、リベラルを称する人々が無念を呑んで未来の日本の為に死んでいった先人への感謝を口にしないこと。GHQによるWGIPに洗脳され、偏った歴史観から一歩も出られない不幸がそこにある。NHKが未だにヴェノナ文書を特集し… https://t.co/zdeFshxAg0"

                                                    終戦記念日に思うのは、リベラルを称する人々が無念を呑んで未来の日本の為に死んでいった先人への感謝を口にしないこと。GHQによるWGIPに洗脳され、偏った歴史観から一歩も出られない不幸がそこにある。NHKが未だにヴェノナ文書を特集し… https://t.co/zdeFshxAg0

                                                      門田隆将 on Twitter: "終戦記念日に思うのは、リベラルを称する人々が無念を呑んで未来の日本の為に死んでいった先人への感謝を口にしないこと。GHQによるWGIPに洗脳され、偏った歴史観から一歩も出られない不幸がそこにある。NHKが未だにヴェノナ文書を特集し… https://t.co/zdeFshxAg0"
                                                    • 早川タダノリ on Twitter: "「2021-1945=76 終戦時0歳でも76歳なんですよぅ。」というアホな書き込みからすると、やはり「帰還兵」の収容/療養は戦後わずかな期間で終わったかのように考えているということか。先日も紹介したように1937年に被弾して以降… https://t.co/zzC4NMEIO2"

                                                      「2021-1945=76 終戦時0歳でも76歳なんですよぅ。」というアホな書き込みからすると、やはり「帰還兵」の収容/療養は戦後わずかな期間で終わったかのように考えているということか。先日も紹介したように1937年に被弾して以降… https://t.co/zzC4NMEIO2

                                                        早川タダノリ on Twitter: "「2021-1945=76 終戦時0歳でも76歳なんですよぅ。」というアホな書き込みからすると、やはり「帰還兵」の収容/療養は戦後わずかな期間で終わったかのように考えているということか。先日も紹介したように1937年に被弾して以降… https://t.co/zzC4NMEIO2"
                                                      • トランプ前米大統領、ウクライナ戦争終戦へ領土割譲案、外交専門家は武力による領土侵犯を看過になると懸念

                                                        【ワシントン共同】米紙ワシントン・ポスト電子版は7日、ロシアのウクライナ侵攻を巡り、トランプ前米大統領がウクライナに南部クリミア半島や東部ドンバス地方(ドネツク、ルガンスク両州)の国境地帯をロシアに割譲するよう圧力をかけることで終戦に持ち込めると周囲に語ったと報じた。関係筋の話としている。 共和党のトランプ氏は11月の大統領選で返り咲けばロシアの侵攻を終わらせることができると豪語しているが、具体的な方法が報じられたのは初めて。外交専門家は実際に割譲すればロシアのプーチン大統領を利し、武力による領土侵犯を看過することになると懸念を示している。 トランプ氏は非公開の場で、ロシアとウクライナの双方が「メンツを保ちたいと考えており、解決策も求めている」と述べ、ウクライナの一部地域にいる市民はロシア領になってもかまわないと考えているとの見方を関係者に示したという。 トランプ陣営の報道担当者は「トラン

                                                          トランプ前米大統領、ウクライナ戦争終戦へ領土割譲案、外交専門家は武力による領土侵犯を看過になると懸念
                                                        • 8月15日終戦記念日と父の写真 - うちのみかん

                                                          うちのみかんです。 今日は終戦記念日ですね。 上の写真は父のアルバムの写真を拝借して載せました。 父は戦死はしておりません。 30年前に医者のミスで亡くなりました。 今生きていたら98歳です。(大正9年生まれ) 父は海軍でした。 父は私に戦争の話は一切しませんでした。 今になってみたら、聞いておきたかったと思います。 あまりにも顔が小さすぎて、父がどこに写っているのか分かりません。 私が小さい頃、母に「お父さんはどれ?」と聞いても分からないで終わりました。 戦争がない、平和な世界を切に願います。

                                                            8月15日終戦記念日と父の写真 - うちのみかん
                                                          • “プーチンの後継者”候補に挙がった「無名の36歳」の正体…“真の黒幕”が終戦のため狙う交代劇 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

                                                            “プーチンの後継者”候補に挙がった「無名の36歳」の正体…“真の黒幕”が終戦のため狙う交代劇 社会・政治 投稿日:2022.05.25 06:00FLASH編集部 「5月9日の戦勝記念日のプーチン大統領の演説は、事実上の“敗北宣言”でした」 ロシア政治のスペシャリストで、ロシアから入国禁止にされた筑波大学の中村逸郎名誉教授が言い切った。 「驚いたのは、プーチンがウクライナとの戦争でロシア兵に犠牲者が出ていることに初めて言及したことです。実際2万人近い死者が出て、兵力全体の25%が失われたともいわれ、それを認めたことは『もう戦えない』とプーチン自身が表明したに等しい」 【関連記事:プーチン大統領160万円ダウン着用に批判殺到!ロシア国民の平均年収は77万円…「北朝鮮と似てきた」の声も】 侵攻に執念を燃やしてきたプーチンに何があったのか。 「ひとつは体調の問題。プーチンはがんを患っているという

                                                              “プーチンの後継者”候補に挙がった「無名の36歳」の正体…“真の黒幕”が終戦のため狙う交代劇 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]
                                                            • 「鉄道旅行は不要不急だ」「機関士が運転台で撃たれて死んだ」戦争中、鉄道マンはいかに列車を走らせた? | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン

                                                              75年前の夏は、特別な夏だった。戦争が終わりに近づき、蒸気機関車が噴煙を上げて走る鉄道はB29の格好のターゲット。たびたび空襲の的となって我が国の鉄道網は文字通りズタボロになっていた。それでも、空襲の間隙を縫いつつ列車は走り、軍事輸送と通勤通学輸送、そして疎開輸送などを担っていた。もちろん、気軽な鉄道旅行などまったくままならない時代である。 いったい、戦時中の鉄道はどのようなものだったのだろうか。人々の鉄道旅行はいつ頃から窮屈なものになっていったのか。そして戦火の中で鉄道マンたちはいかにして鉄道を走らせていたのだろうか。いくつかの資料や書籍をもとに、探ってみることにしよう。

                                                                「鉄道旅行は不要不急だ」「機関士が運転台で撃たれて死んだ」戦争中、鉄道マンはいかに列車を走らせた? | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン
                                                              • アメリカ識者「ムン・ジェインの『まず終戦宣言を出そう』という演説はアメリカの立場とかけ離れすぎている。こんな演説見たことない」

                                                                文大統領の終戦宣言に「米国の立場とこれほど大きく外れた演説見たことない」(中央日報) 元高官は、文大統領の今回の国連の終戦宣言の提案で、既存とは異なり北朝鮮の非核化措置を連携していないことについて一斉に批判した。 1994年の米朝ジュネーブ合意を導いたロバート・ガルーチ元国務省北朝鮮核特使は、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)放送の「公式な韓国・北朝鮮・米国の韓国戦争(朝鮮戦争)終戦合意は、南北、米朝関係正常化の重要な部分」としつつも「関係を正常化させるには、北朝鮮の核兵器プログラムの廃棄と核拡散防止条約(NPT)の復帰が必要」と述べた。 ガルーチ元特使は「順序を決めるのが問題」とし「終戦宣言の議論を始めてすぐ、我々は対北朝鮮制裁と核廃棄の手順、北朝鮮の人権の懸念を解消する措置についても問われるだろう」とした。そして、「文大統領の提案は良いことだが、核兵器を含む既存の紛争状況の解決ができる措

                                                                  アメリカ識者「ムン・ジェインの『まず終戦宣言を出そう』という演説はアメリカの立場とかけ離れすぎている。こんな演説見たことない」
                                                                • 韓国文大統領は米韓同盟が邪魔なのか?「南北終戦宣言」を元駐韓大使が解説

                                                                  むとう・まさとし 1948年生まれ、1972年横浜国立大学経済学部卒業。同年、外務省入省。在ホノルル総領事(2002年)、在クウェート特命全権大使(07年)を経て10年より在大韓民国特命全権大使。12年に退任。著書に「日韓対立の真相」「韓国の大誤算」「韓国人に生まれなくてよかった」(いずれも悟空出版)「真っ赤な韓国」(宝島社、辺真一との共著)など多数。 元駐韓大使・武藤正敏の「韓国ウォッチ」 冷え込んだままの日韓関係。だが両国の国民は、互いの実像をよく知らないまま、悪感情を募らせているのが実態だ。今後どのような関係を築くにせよ、重要なのは冷静で客観的な視点である。韓国をよく知る筆者が、外交から政治、経済、社会まで、その内側を考察する。 バックナンバー一覧 文在寅大統領が米国と相談なく 国連演説で南北終戦宣言に言及 文在寅大統領は9月22日、テレビ会議形式で開かれた国連一般演説で、南北終戦宣

                                                                    韓国文大統領は米韓同盟が邪魔なのか?「南北終戦宣言」を元駐韓大使が解説
                                                                  • 終戦の日に「避けられた戦争」が避けられなかった理由を考えて見える今(立岩陽一郎) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                                                    終戦の日とは、第二次世界大戦が終わった日ではあるが、これは世界どこでもそうだというわけではない。アメリカでは9月2日が「戦勝記念日」、つまり日本の「終戦の日」にあたる。この日に戦艦ミズーリ上で降伏調印式が行われたからだ。 それでもこの「終戦の日」が意味を持つのは、多くの日本人にとってその日以前の過去をかえりみる一日となっているからだろう。この機会に戦争にいたった道を考える人も多い。 その際、一橋大学名誉教授で世界史の研究で知られる油井大三郎氏の近著「避けられた戦争」(ちくま新書)は、100年前の当時の状況を分析していて示唆に富む。当時の日本、各国の主要人物の言葉から、国際的に平和を希求した時期である1920年代から戦争に向けた動きが加速する1930年代への流れを分析している。 避けられた戦争(ちくま新書)そこで油井氏は、「新外交」と「旧外交」が当時の各国の選択を分けたと指摘している。前者は

                                                                      終戦の日に「避けられた戦争」が避けられなかった理由を考えて見える今(立岩陽一郎) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                                                    • 武田アナ「祖父は靖国神社に祀られている。私がそこに参る事は、決してない」 終戦の日、戦死した祖父への思い:中日スポーツ・東京中日スポーツ

                                                                      続けて「熊本・阿蘇の蒟蒻屋を営む商家の長男で、四人の子を抱える普通の父親が、何故、三度も最前線に送られなくてはならなかったのか。三度目の召集令状が届いた時、祖父は『またか…』と天を仰いだという。その心中を慮ると胸が張り裂けそうになる。戦地からの手紙が残っている。遅れがちな給料の督促手続きについて、度々、妻に指示する内容である。なるべくカドの立たぬよう、穏便に粘り強く申し出るよう…と。これが当時の祖父に対する日本国の扱いである。私は決して忘れない。祖父は靖国神社に祀られている。私がそこに参る事は、決してない」としぼり出すように言葉をつづった。 戦死者「遺族」が明かした思いに、フォロワーは「このお話を読んだ私も、決して忘れないようにします。大切な投稿をありがとうございます」「私の祖父も靖国神社に祀られています。満州に渡りシベリアで戦死しました」「戦争をまったく知らない私ですら、その足跡に絶句し

                                                                        武田アナ「祖父は靖国神社に祀られている。私がそこに参る事は、決してない」 終戦の日、戦死した祖父への思い:中日スポーツ・東京中日スポーツ
                                                                      • 今の時期は毎年「芙蓉録」を見ながら終戦について思いをはせています - やね日記

                                                                        今の時期はX(旧Twitter)においても、太平洋戦争に関するポスト(旧ツイート)がよる見られますが、中でも毎年楽しみにしているのが「芙蓉録」によるポストですね。 太平洋戦争に関する出来事が同日同時刻にポストされていて、リアルタイムで当時の出来事を追体験できるようになっています。 個人的には、さすがに日中は仕事なのでリアルタイムで追えませんが、一連のポストを見て当時の歴史に思いをはせることが多いですね。 1945年8月10日00:03 宮城地下御文庫附属室で、天皇臨席のもと最高戦争指導会議が始まる 出席者 総理大臣:鈴木貫太郎 外務大臣:東郷茂徳 陸軍大臣:阿南惟幾 海軍大臣:米内光政 参謀総長:梅津美治郎 軍令部総長:豊田副武 枢密院議長:平沼騏一郎#芙蓉録— 芙蓉録 (@Fuyo1945) 2023年8月9日 特に8月10日未明の昭和天皇ご臨席の最高戦争指導会議から15日までの流れが、

                                                                          今の時期は毎年「芙蓉録」を見ながら終戦について思いをはせています - やね日記
                                                                        • 戦争の意味のなさ、身に染みた 終戦インタビュー 作家のムツゴロウこと畑正憲さん | 47NEWS

                                                                          Published 2021/08/18 10:00 (JST) Updated 2021/08/18 10:28 (JST) のどかな酪農地帯が広がる北海道中標津町。札幌市から東に約300キロ離れたこの地で、「ムツゴロウ」の愛称で親しまれる作家の畑正憲さん(86)は馬や犬に囲まれ穏やかに暮らしている。子どものころ、太平洋戦争中の満州(現中国東北部)で過ごし、終戦前に帰国。戦後、満州時代の友達には誰ひとりとして会えなかったという。(共同通信=大日方航) ▽「つらら」割り ―戦争の記憶は。 6歳のころ、おやじが満蒙開拓団の医師になることが決まり、当時住んでいた博多から家族で海を渡りました。満州の大連に到着後、奉天や新京を通り、トラックの荷台に揺られ、北西部の開拓団の村に着きました。粗末な土作りの豚小屋のような家以外は何にもありませんでした。 ―どんな暮らしだったか。 日課は便所の「つらら割り

                                                                            戦争の意味のなさ、身に染みた 終戦インタビュー 作家のムツゴロウこと畑正憲さん | 47NEWS
                                                                          • 北朝鮮 韓国大統領の朝鮮戦争終戦宣言提案に「時期尚早だ」 | NHKニュース

                                                                            韓国のムン・ジェイン大統領が朝鮮半島の平和のためには朝鮮戦争の終戦宣言を行うべきだと提案したのに対して、北朝鮮外務省は「時期尚早だ。アメリカの敵視政策が変わらなければ、何も変わらない」として、終戦宣言には応じないとする立場を強調しました。 韓国のムン・ジェイン大統領は今月21日、国連総会で演説し「朝鮮半島の平和のはじまりはいつでも対話と協力だ」と述べて、70年近く休戦状態が続いている朝鮮戦争の終戦宣言を改めて提案しました。 これに対して、北朝鮮外務省のリ・テソン次官が24日、国営の朝鮮中央通信を通じて談話を発表し「われわれの国防力強化を挑発だと罵倒し、アメリカとその追従勢力の軍備増強は抑止力だと美化されている」として、アメリカと韓国への不信感をあらわにしました。 そのうえで「終戦宣言は時期尚早だ。一触即発の状況では紙にすぎない。われわれに対するアメリカの敵視政策が変わらないかぎり、宣言を行

                                                                              北朝鮮 韓国大統領の朝鮮戦争終戦宣言提案に「時期尚早だ」 | NHKニュース
                                                                            • 772 終戦の日なので、もう少しだけ。 - さるきちのしっぽ

                                                                              みなさん、こんにちは。 あ~!休みが終わる~! 明日は仕事なんですよね~! なんで盆休みが2日しかないんだ~! ・・・、でもね、フッフッフ・・・、明後日からまた2日休みなんですよね~♪ まぁ、仕方がないので明日は仕事に行ってやることにしますか。(罰当たりですか?) さて、今日は終戦の日でした。 正午、TVの合図にハッと気づいて黙祷しました。 昨日、終戦の日のことはちょっと書いたんですが、もう少し思うことがあるので、ちょと書きます。 毎年夏になると、日本は過去の戦争を扱う番組が多くなりますが、戦後復興期の日本の様子を扱う番組って少ないですよね。 あれ、なんで? だって考えてみてください。 敗戦、占領を経て、ようやく独立国に戻してもらってからわずか20~30年で世界第2位の経済大国になっちゃったんですよ。 勤勉で犠牲を惜しまず、さらに非常に精度の高い仕事をしていたからでしょうか? 戦後の混乱や

                                                                                772 終戦の日なので、もう少しだけ。 - さるきちのしっぽ
                                                                              • 東京の寺に眠る父、韓国に帰る日は…終戦直後に輸送船沈没 いまだ返還実現しない275人の遺骨:東京新聞 TOKYO Web

                                                                                終戦直後の1945年8月24日、朝鮮半島に帰郷する労働者ら数千人を乗せた輸送船浮島丸が、京都府舞鶴沖で爆発、沈没した。命を落とした朝鮮半島出身者のうち275人の遺骨が、東京都目黒区の祐天寺に残されている。戦後77年を経ても、韓国の遺族が願う遺骨返還は実現していない。(ソウル・木下大資)  浮島丸事件 朝鮮半島から徴用などで動員され、帰還しようとする朝鮮人ら数千人を乗せて青森県大湊港から現在の韓国・釜山へ向かっていた日本海軍の輸送船浮島丸(4730トン)が1945年8月24日、京都府の舞鶴湾内で爆発、沈没した。当時の日本側の発表では朝鮮人524人と乗組員25人が死亡した。

                                                                                  東京の寺に眠る父、韓国に帰る日は…終戦直後に輸送船沈没 いまだ返還実現しない275人の遺骨:東京新聞 TOKYO Web
                                                                                • 葉真中顕 on Twitter: "私、今「小説新潮」で 終戦時のブラジルで敗戦を信じずテロ事件を起こした「勝ち組」を題材にした小説連載してるんだけど(↓の連ツイにあらましがあります)、 今回の米大統領選のトランプ支持者と当時の「勝ち組」の振る舞いには、かなり共通… https://t.co/UjFi4TsaIz"

                                                                                  私、今「小説新潮」で 終戦時のブラジルで敗戦を信じずテロ事件を起こした「勝ち組」を題材にした小説連載してるんだけど(↓の連ツイにあらましがあります)、 今回の米大統領選のトランプ支持者と当時の「勝ち組」の振る舞いには、かなり共通… https://t.co/UjFi4TsaIz

                                                                                    葉真中顕 on Twitter: "私、今「小説新潮」で 終戦時のブラジルで敗戦を信じずテロ事件を起こした「勝ち組」を題材にした小説連載してるんだけど(↓の連ツイにあらましがあります)、 今回の米大統領選のトランプ支持者と当時の「勝ち組」の振る舞いには、かなり共通… https://t.co/UjFi4TsaIz"