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記事は読んでないの検索結果1 - 7 件 / 7件

  • 「これはステマ?」「PR表記はいる?」と思ったら参考になるかも? ステマに詳しい弁護士の解説記事を読んだら、ステマのことがちょっと分かった気がする

    mana fk(まなふく) 編み物作家 @manafknit とりあえずPRって書いておけば安心!という感じなハンドメイド界隈の流れに疑問🤔 ステマって、お金もらって写真や文章にクライアントのチェックが入ってから投稿するものですよね? 作家がお金払ったわけでもなく、何のチェックもしていない投稿にPRって付けられちゃうのは、むしろ逆効果では💦 2023-10-01 17:33:32 TSUNA @tuna_cun ふと疑問に思った こうして番組で秋の新作チョコを紹介してるけど、もしこれを紹介するためにメーカーからテレビ局が金銭を受け取ってる場合は画面に「PR」って表示させないとステマ法にふれてしまうのかな🤔 #ウワサのお客さま 2023-10-13 19:15:55

      「これはステマ?」「PR表記はいる?」と思ったら参考になるかも? ステマに詳しい弁護士の解説記事を読んだら、ステマのことがちょっと分かった気がする
    • ブロ友さんの記事を読んで作った料理 - temahime’s blog

      お越しいただきありがとうございます。 こんにちは! またまた投稿が滞ってしまいました。 ちょっと休憩が必要な時期だったのだと思います。 目の調子は少しずつよくなりましたが、眼科に検診に行ってきました。 10年振りの眼科だったので診察券を新しくしてもらいました。 片方の目の視力が少し落ちているけどまだまだ視力は出ているので大丈夫だそうです。 まだ老眼鏡も要らなそうですが、半年後にまた検診に行こうと思います。 すごく安心しました。 定期的に検診を受けていれば安心ですよって教えてくれたブロ友さんに感謝です。 もうひとつ問題があって、大袈裟ですが。。 実は親指と手首を痛めました。 キーボードを触ると痛かったりするので、PCを触る時間を制限していました。 早く治すには安静が一番だと思っています。 あ~、これは大人の階段をまたひとつ登ったんだなぁと自覚しました(/_;) 少しブログ投稿の間が開くとお料

        ブロ友さんの記事を読んで作った料理 - temahime’s blog
      • 支那の匪賊についての新聞記事を読む その3

        満州における匪賊・共匪との戦い 前回記事で昭和10年ごろに支那共産党が匪賊を取り込んで北支(現在の華北で、河北省、山西省、山東省、河南省)に移動させたことで北支の共産化が進み、一方ソ連も満州の匪賊を取り込んでいて、日本軍が駐留していた満洲においても、共匪に襲われて日本人の犠牲者が出た事件が何度か起きたことが新聞で報じられていることを書いた。その後満州はどのようになったのか。満州に関する記事を中心に見ていくことにする。 「神戸大学新聞記事文庫」朝鮮・台湾・満州16-18 上の画像は昭和11年3月6日の満州日日新聞だが「三月四日現在関東局調査による匪賊状況は、活動匪首三十三名、その匪数一千百七十四名、同集団数二十五名」とあり、随分匪賊が少なくなっているように読める。 しかながら匪賊というものは、捕まえられそうになれば逃げて姿をくらまし、さらに平民の姿に変身してしまえばまず捕まることはないし、安

          支那の匪賊についての新聞記事を読む その3
        • 『死亡記事を読む / 諸岡達一』(新潮新書)を読んだ感想 - 世界のねじを巻くブログ

          訃報の裏側を知る 諸岡達一という死亡記事専門家の本『死亡記事を読む』を読み終えた。 個人的に印象に残った部分をいくつかまとめていこうかなと。 死亡記事は、新聞の紙面割で言えば、おおかた社会面の最下段に載っている。小さい記事ではあるが実は読み応えがある。いや、ありすぎる。さまざまな情報が書きこまれており、仔細に行間まで読み込むと、意外な事実が現われてくるからだ。 位置55 死亡記事で注目すべきは、各紙によって扱いが大きく異なるコトだ。その死した人物への価値判断が紙面に如実に表れるのである。訃報を取り扱う新聞社の(とっさの)態度は興味深い。さらに死亡記事からは、現代性・社会性の濃淡を垣間見ることもできる。 具体的な死亡記事でいうと、 中埜又左エ門氏(なかの・またざえもん=ミツカングループ本社社長) の死亡記事から、落語家や、美空ひばりさん、 寅さん役をしていた渥美清さん、 オードリーヘップバー

            『死亡記事を読む / 諸岡達一』(新潮新書)を読んだ感想 - 世界のねじを巻くブログ
          • 支那の匪賊についての新聞記事を読む その1

            琿春(こんしゅん)事件 前回の歴史ノートで支那や満州における匪賊(土匪ともいう)について書いたが、多くの日本人が匪賊によって殺害されたことが最初に新聞に報じられたのは、大正九年(1920年)の琿春事件(間島(かんとう)事件ともいう)であろう。この事件の半年ほど前に、アムール川河口にあるニコラエフスク(尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ)で、赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件(尼港事件)があり多くの日本人居留民が虐殺されたばかりだが、琿春事件でも多くの日本人及び朝鮮人の犠牲者が出ている。尼港事件についてはこのブログでも書いているので、興味のある方は以下の記事を参考にしていただきたい。 戦後の長きにわたりタブー視されてきた尼港事件の新聞記事を読む~~尼港事件1黒龍江がオホーツク海に注ぐ河口にあるニコラエフスク(尼港)には7百人を超えるの日本人が住んでいたが、1920年1月に共産パル

              支那の匪賊についての新聞記事を読む その1
            • 徳丸 浩 on X: "ITmediaのAIの記事を読んでいて、次のページを読もうとしてうっかり広告のボタンをクリックしたらこれが出た。閉じようとして色々なショートカットを試すもだめで、CTRL-ALT-DELを使うしかなかった。 https://t.co/ZGEZBVds6z"

              • 支那の匪賊についての新聞記事を読む その2

                満州馬賊の頭領 前回記事の最後に昭和8年(1933年)3月19日から連載された満州日報の武装苦力の話の一部を紹介させていただいたが、支那で匪賊の討伐軍を起こし匪賊の根拠地に向かわせたところ、討伐軍が「匪賊平定」を声明したので確認すると、匪賊の頭目はその日から官軍の将官になっており、部下の頭目たちはそれぞれ将校に任ぜられ、手下の匪賊どもはすべて官軍に編入されていたという話には多くの読者が驚かれたと思う。彼らは実際には戦わず、勝ったことを演技で伝えて報奨金を受取ろうとするのだ。 「神戸大学新聞記事文庫」軍事(国防)29-26 彼らの支那の戦争の仕方については次のように記されている。 彼等は戦争の前に、チャンと勝利計画というものを造って置く。支那の戦争は選挙のようなもので最大多数の兵数を集めたものが勝と決っている。戦争が始まると、先ず型通り相手の軍備の欠点を数え上げ、こっちがこの位優勢だというこ

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