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阪神・淡路大震災の検索結果81 - 120 件 / 568件

  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 2/5 - 森の奥へ

    今(※この文章を書いたのは2004年です)私には息子が二人いる。上の子が幼稚園の年中組に通っていて、下は次の震災の日の翌日、二歳になる。二人の名前は長男Mと次男Kという(※二人とも漢字一文字の名前です)。 そう、君たちのことだ。 ところで私の祖父、つまり君たちにとっては曾祖父にあたる人だが、保(たもつ)という名前で、私の父、君たちのおじいちゃんの名前は毅(つよし)という。そして私がK(※漢字一文字です)。これで一文字が四代続いたことになる。 いつか自分に男の子が生まれたら、必ず一文字の名前を付けたい、これだけはずっと若い頃から決めていた。 そのくせ私には、三十を過ぎても結婚する気などまるでなくて、いわゆる世間並みの幸せを息子に期待していた母からは、ずいぶんと小言を言われてきたものだ。 ついでに書いておくと、「山猫」(※わざわざ断らなくてもいいと思いますが、仮名です)の家系は私の祖父、保の前

      震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 2/5 - 森の奥へ
    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***27日目(2月12日)*** - 森の奥へ

      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から27日目です。 2月12日(日) 8時起床。 家から徒歩3分ほどのところに月極で借りている駐車場に行ってみると、出入口の鎖に鍵がかかっている。近所の美容室がオーナーで、電話をかけるとおじさんが慌てて自転車で来てくれた。このところ、勝手に駐車する人が後を絶たなくて、おまけに注意すると逆に開き直られることもあるので鍵をつけたとのこと。 昨日は母親の誕生日だった。地震で割れてしまったので、新しい茶碗と湯飲みとお箸をプレゼントすることにする。 ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net ※今日はもう一つ記事を投稿しました。よかったらご訪問ください<(_ _)> www.keystoneforest.net よければtwitterものぞい

        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***27日目(2月12日)*** - 森の奥へ
      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***33日目(2月18日)*** - 森の奥へ

        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から33日目です。 2月18日(土) 寒い一日。午前中6軒、午後5軒、被災家屋の再調査に回る。最後に一昨日尋ねた楠堂(※和菓子店)のおばあちゃんに書いてもらっていた書類を受け取りに行き、まんじゅうを貰う。 会下山(※兵庫区、わたしの自宅があります)に復旧工事の手が入り始めた。兵庫区内のインフラは徐々に戻りつつあるのに、倒れた家が多く路地を入っていけない会下山の復旧は、ずいぶん遅れていた。 家の水はまだ出ない。帰宅後、消防署(※兵庫区役所と同居)へ水汲みに行く。消防署は区役所と同じ建物にあり、いつでも自由に水をもらうことができる。 D本先生、N村先生(※前任校の同僚)に電話。明日お風呂を借りに行くことにする。 広報こうべ 兵庫区版「ひょうご」(1995年2月18日) 写真

          震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***33日目(2月18日)*** - 森の奥へ
        • 『被災地で起きたDVや「性被害」はなぜ伝えられなかったのか…阪神・淡路大震災25年、根深い理由|まいどなニュース』へのコメント

          世の中 被災地で起きたDVや「性被害」はなぜ伝えられなかったのか…阪神・淡路大震災25年、根深い理由|まいどなニュース

            『被災地で起きたDVや「性被害」はなぜ伝えられなかったのか…阪神・淡路大震災25年、根深い理由|まいどなニュース』へのコメント
          • 新型コロナ禍の中で迎える阪神・淡路大震災26年、改めて感じる過密都市の怖さ(福和伸夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース

            震度7の強烈な揺れと危機管理 兵庫県南部地震(災害名は阪神・淡路大震災)から26年が経ちます。1995年1月17日の未明、午前5時46分に、明石海峡の地下16kmを震源とするM7.3の地震が発生しました。六甲断層系と野島断層が活動した地震で、淡路島から阪神地域にわたって50程度の震源断層が最大数mずれ、阪神地域を強烈な揺れが襲いました。 当時は、震度は人間の体感で測られており、震度6と震度7を区別することが難しいため、震度7は現地の被害調査に基づいて家屋倒壊率30%を目安に定めることになっていました。このため、観測史上初めての震度7が公表されたのは地震発生3日後でした。神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市、北淡町、一宮町、津名町の帯状の地域が震度7となり、震災の帯と呼ばれました。 激震地域の震度情報の遅れは、初動対応にも影響を与えました。このため、震災後、震度観測が体感から地震計による計測に代わ

              新型コロナ禍の中で迎える阪神・淡路大震災26年、改めて感じる過密都市の怖さ(福和伸夫) - エキスパート - Yahoo!ニュース
            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***34日目(2月19日)*** - 森の奥へ

              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から34日目です。ようやく家の前まで水道が復旧しました。 2月19日(日) 朝、入口の路地に水道工事の人が3人来ていた。道路に出てみると秋田市水道局の車が止まっていた。 帰宅すると、隣のアパートに住むおじさんが事情を説明してくれた。 家の前までは水道を復旧したが、家の中のどこかで漏水しているようなので給水はできない、とのこと。これから先は水道屋さんに連絡して個人的に修理して欲しいとのことだった。とりあえず、路地の入り口に共同で使う臨時の蛇口が取り付けられた。これでもう水で心配する必要はなさそう。 昼頃、区役所にM田氏(※職場の同僚)より電話があった。ちょっとのどが痛く風邪気味なので、来週の日曜日に新神戸で待ち合わせることになった。地下鉄は16日から復旧している。 夕方6

                震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***34日目(2月19日)*** - 森の奥へ
              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***38日目(2月23日)*** - 森の奥へ

                26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から38日目です。 2月23日(木) 今日からM川さん(※本庁からの応援職員)に代わり、以前一緒だったS谷氏(※本庁からの応援職員)が来る。本庁から派遣された他の職員とは少し雰囲気が違う人だ。いわゆる「お役人」ぽくない。口数が少ないだけ信頼できる気がする。 午前1軒、午後7軒回る。無口だという先入観があったのだが、話題を提供すると堰を切ったようにしゃべり始める。それが専門らしく、人口統計、仮設住宅のことなどなかなか鋭い。判定の甘さも見逃さない。区役所に戻った後も、なかなか帰ってこないK上氏(※本庁からの応援職員)を待って6時過ぎまで二人で話をする。 ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net よければtwitterものぞいてみてくだ

                  震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***38日目(2月23日)*** - 森の奥へ
                • 阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは

                  25年前の阪神・淡路大震災は、6000人を超える犠牲者と全半壊家屋約25万棟、10兆円を超える甚大な被害をもたらしました。しかし、「負の遺産」だけでなく「正の遺産」も残しました。大震災がもたらし、私たちが引き継いだ「正の遺産」とは何でしょうか。 阪神・淡路大震災をきっかけに災害ボランティアが定着したため、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれています。ボランテアの延べ人数で、阪神・淡路大震災が167万人、東日本大震災が550万人など復興の助けになっています。地震だけでなく、豪雨被害でも民家の泥かきなどに活躍しています。 【震度階級に「5強」などを新設】 震度0〜7の8段階が設けられた1949年は観測員が体感で測っていましたが、1980年代後半から震度計による計器観測を取り入れました。阪神・淡路大震災時、震度階級は8段階のままでしたが、1996年4月に体感による観測を全廃し、震度計による観

                    阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは
                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***43日目(2月28日)*** - 森の奥へ

                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から43日目です。2週間遅れのバレンタインチョコをもらいました。 2月28日(火) 久しぶりに南蛮美術館(※当時の本来の職場)に出勤する。決済の山をこなす。書類の横に何か置いてあった。袋を開けてみるとバレンタインのチョコだった。アルバイトの女性3人からの分が入っていた。 昼食は近くの喫茶店でカレーを食べる。長らく食べてないので、今日は絶対にカレーを食べようと思っていたのだ。 午後からは久しぶりに本業の方の打ち合わせ。広報誌の原稿のことで神戸大学のM上先生と会わないといけない。区役所応援の仕事をK芝先生と交代してもらうことになった。区役所では明日から編成替えになるので、様子をみて来週くらいに交代することにする。 来年度の予算がほとんどカットされてしまったので、アルバイトの

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                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 4/5 - 森の奥へ

                      * 『震災通信』後記1/5~『震災通信』後記3/5の記事は、阪神淡路大震災から10年近く経った2004年11月10日発行の同人誌に掲載したものです。今日は2021年3月12日。『震災通信』を書いてから、さらに16年あまりが過ぎました。 その間に、大きな被害をもたらした地震だけでも 2011年3月11日東日本大震災最大震度7、死者・行方不明者約2万2000人 2016年4月14日熊本地震前震、最大震度7 2016年4月16日熊本地震本震、最大震度7、前震を含めて死者273人 2018年9月6日北海道胆振東部地震、最大震度7、死者42人 2021年2月13日福島県沖地震、最大震度6強、死者1人 などが、この国を襲いました。 つい先日起きた2021年2月13日の福島県沖地震は、東日本大震災の余震だと言います。日本の観測史上最大規模の東日本大震災はいまだに活動を終えていないということです。なんと不

                        震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 4/5 - 森の奥へ
                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***9日目(1月25日)*** - 森の奥へ

                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から9日目です。この日から兵庫区役所への応援出務となりました。 1月25日(水) 本日より兵庫区役所に出務。家から歩いて5分だ。9時区役所に集合。地震後の交通手段が寸断された中で、歩いて通勤できるこの環境は恵まれすぎ、というしかない。 南蛮美術館(※中央区、本来の勤務地)は市の総務局(※仮称です)の一部署なので、僕も身分上はその所属になっている。その総務局から兵庫区役所に派遣された応援職員は、(N芝、Y田、M上、わたし)チームと、(Y村、T井、T田、D東)チームの二班に分かれる。この二班で24時間交替。係長のN芝さん以外は二十代から三十前後くらいか。他のメンバーはみんな本庁(※市役所)の職員なので、面識のある人はいない(※わたしの勤務地・南蛮美術館は本庁からの出先機関で

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                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***44日目(3月1日)*** - 森の奥へ

                          26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から44日目です。 3月1日(水) 今日から新体制。20人くらい応援部隊が増強された。一応、僕も家屋再調査の経験者ということで、新メンバーとペアを組むことになる。1時間ほど説明があった後、Y口さん、F川さんと一緒に午前中2軒ほど回る。 午後からはF川さんと湊川10丁目から氷室町、山王町まで歩く。F川さんは北区役所所属で、北区でも再調査をしていたとのこと。そのせいか、仕事は早く進んだ。ほぼ順調にこなして6時頃帰宅。しばらく遠ざかっていたパソコン通信で因幡さんにメールを書く。 #山猫        M*I00*04 95/03/01 20:55 題名:応援、ご苦労様でした。 東灘には行っていないので、様子はよく判りませんが、 高速道路が倒れたほどで、 かなりひどい被害だとい

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                          • 🌻 @222Minette 阪神淡路大震災で起きていた性暴力 ・大人が出勤して人気の疎らな避難所で、幼児に性器を露出、触らせるなどの行為が頻発 ・トイレに立った男性が眠っている女の子の胸や性器を触り歩く ・乳児に添い寝をしていた母親が外からの侵入者にレイプされ、止めに入った巡回中の教員が暴力を振るわれ大怪我

                              🌻 @222Minette 阪神淡路大震災で起きていた性暴力 ・大人が出勤して人気の疎らな避難所で、幼児に性器を露出、触らせるなどの行為が頻発 ・トイレに立った男性が眠っている女の子の胸や性器を触り歩く ・乳児に添い寝をしていた母親が外からの侵入者にレイプされ、止めに入った巡回中の教員が暴力を振るわれ大怪我
                            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***37日目(2月22日)*** - 森の奥へ

                              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から37日目です。被災家屋再調査が続きます。人間の嫌な部分にも出会います。風邪がなかなか治りません。 2月22日(水) 罹災証明がなくて、再調査の予定にも入ってなかった人がいきなり家をみて欲しいと言う。こうした便乗組を扱っていると、その日予定していた人の家を回れなくなる。やんわりと断り、一度はそのことを分かってもらって諦めたようだったが、電話で息子さんらしい人と相談したらしく、代わって話をしろと言う。受話器をとるといきなり、あのなぁ、という口調。それだけでもう話す気がなくなった。固いことを言うな、案の定、そんな内容。 最後に回った家でも、その家の人じゃない第三者から、国から出る金だからお前らの懐が傷む訳じゃないだろう、というような言い方をされる。 自分だけが被災者だと思

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                              • ほころぶ、阪神淡路大震災から26年-内野日誌

                                ▽1月17日は東日本大震災と並ぶ大きな地震災害の阪神淡路大震災が起きた日だ。あれから26年。私は直接体験したわけではないけど、映像で見るその衝撃的な光景は未だに記憶に残っている。犠牲者は6434人。ケガをしたり、心に傷を負ったり、住居を失ったり、被害を受けた人の数は計り知れない。ただただ悼むばかりです。 日本は阪神淡路大震災以降も多くの災害にみまわれている。地震だけでなく台風も来たし、大雨も降った。これからもどんな災害がいつ、どこで起こるか分からない。南海トラフ地震はいつ起きてもおかしくないと言うし、富士山だっていずれ噴火するのだろう。日本はなぜ他国から侵略されなかったかというと、山ばかりで平地が少なく、台風や地震、洪水、津波、噴火など災害ばかりで価値がないとされたという話を聞いたことがある。 現代においては土木技術が発達し、災害の被害はだいぶ抑えられてはいるんだろうけど、やはり自然は驚異

                                  ほころぶ、阪神淡路大震災から26年-内野日誌
                                • 【1日の動き】阪神・淡路大震災から27年 次の世代へ記憶伝える | NHKニュース

                                  阪神・淡路大震災から、17日で27年です。 震災では建物の倒壊や火災などが相次ぎ、その後の「災害関連死」も含めて、6434人が亡くなりました。 地震が起きた午前5時46分、神戸市や淡路島など大きな被害を受けた地域で、遺族らが黙とうし、犠牲者を悼みました。 震災を経験していない世代が増える中、当時の記憶や教訓を伝える1日となりました。 東日本大震災の被災地の人たちとともに追悼 兵庫県三木市で活動するボランティア団体「神戸・心絆」は、毎年1月17日に、竹の灯籠を並べ、阪神・淡路大震災と東日本大震災の犠牲者を追悼しています。 去年は新型コロナウイルスの影響で、宮城県名取市閖上地区の人たちはオンラインで参加しましたが、ことしは10人が三木市を訪れました。 会場には「絆」や「つながり」などの文字が記されたおよそ1000本の灯籠が「ゆりあげ3.11」や「こうべ1.17」などの形に並べられ、火がともされ

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                                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***41日目(2月26日)*** - 森の奥へ

                                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から41日目です。 2月26日(日) 「自治労」の応援は今日はなし。いきなりペアがなくなってしまった。上からの指示もないので、ペアのいない同士で、本庁からの応援職員・I井さんと組んで被災家屋の再調査に午前中回る。いわゆる「できる」人だ。少し話しただけでもそれが察せられた。判定に納得しない人への説得の巧みだったこと。こっそりため息をつく。 午後からは一人で回る。途端に気が緩んでしまう。1軒目で便乗組を扱った疲れと、雨が降り始めたせいと。トイレにいきたかったから、一旦帰宅する。ちょっとサボってしまう。気を取り直してまた外に出たが、難しそうな家はパスしてしまった。やはり一人ではだめだ。午前中、I井さんと7軒まわったのに、午後は便乗組も含めて5軒しか行けなかった。 夜はM田氏(

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                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***36日目(2月21日)*** - 森の奥へ

                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から36日目です。メリケンパークにあるホテルオークラの壁面に「ファイト」の文字が点灯しました。 2月21日(火) 今朝はやや身体が軽かった。今日もM川さん(※本庁からの応援職員)と被災家屋の再調査に回るが、午後から熱が出てきたようだ。ちょっと辛い。メリケンパークのホテルオークラの壁面に、各部屋の照明を利用して「ファイト」の文字が点灯した。 大井通(※兵庫区)のクリーニング屋さんのおばちゃん、あなたみたいに優しい人が来てくれたらよかったのに。会下山3丁目のおばさん、絶対に半壊やろな、と何度も何度も念を押していた。5時に約束していた人に会って区役所に戻ると、他の本庁からの応援職員は一斉に帰ってしまう。M川さんも帰ってしまう。まぁこんなものか。 頭が痛い。 ※この頃から、わた

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                                      • 阪神淡路大震災27年忘れてはいけない大切なもの「明日で27年になります。」 - ありのままの自分が大好きです

                                        明日で阪神淡路大震災が起きて 27年になります。朝の5時過ぎでした。 私に父親が大声で。。。。。 「あああ!地震や地震や」 そう言いながら飛び起きて来ました。 私もそれできずかされたんですが。 私の家は被害は起きませんでした。 棚にあるものが落ちたほどです。 あの地震だけは恐怖がありますね。 一瞬の内にすべてのものが失われる。 今まで築き上げた物がなくなること。 尊い命が失われること。。。。 非常な悲しみが襲ってきます。 命の尊さと人間の弱さ 自然被害、この地震をとうして教えられる。 命の尊さと私達は日々神様に生かされてる。 そして神様はこの地震を通して何かを??? 私達に言っておられることです。。。 お互いに愛をもって、支え合って生きること。 そして罪を悔い改めること。。。。 高慢にならないで。。。。。 私達は日々神様に生かされてる。。。 その感謝を忘れてはいけないことです。 そして、自

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                                        • 神戸の地震を経験した当時小学生の記憶(阪神淡路大震災) - スキゾイドな「ウサキさん」の思考

                                          覚えてるけど忘れてしまう。子供の頃を思い出して書く(25年前) 生まれてから、今もずっと「神戸」に住んでいます。 阪神淡路大震災があった時は、まだ子供(小学生)でした。 家は「半壊」で中はぐちゃぐちゃ。 外は地面が割れていた。 余震が長く続いて、怖かった。 水を汲みに行ったのを覚えてます。 覚えてるけど忘れてしまう。子供の頃を思い出して書く(25年前) とにかく揺れた!!余震も続く… 家の中はぐちゃぐちゃ(半壊) 外は地面が割れていた 小学校は避難所になっていた 自分の家に戻ってからと学校再開 しあわせ運べるように(復活のシンボル曲) 自分が経験していても忘れてしまう とにかく揺れた!!余震も続く… 寝てる時に、いきなりドーンという衝撃!! 何が起こったのか、わからない… 縦揺れ、横揺れ、とにかく長い時間、揺れていた。 収まるまで、ジっとしてるしかなかった。 その後も、ずっと続く「余震」が

                                            神戸の地震を経験した当時小学生の記憶(阪神淡路大震災) - スキゾイドな「ウサキさん」の思考
                                          • 阪神淡路大震災以降の日本について - 昭和ネコ令和を歩く

                                            本日1月17日は阪神淡路大震災の起こった日。 かれこれ25年の月日がたち、現在五十代のわたしも当時はまだ二十代。 二十五年前の震災の記憶 阪神大震災が変えたもの 天災というものに関する意識 自衛隊(国防)に対する意識、 政府の災害対応に対する意識 東日本大震災が変えたもの 原発(エネルギー)に対する意識 火山の噴火もすごいですよ ☆本日の癒し~予知能力とかないの?~☆ 二十五年前の震災の記憶 住んでいたのは大阪。 被害のひどい地域とは若干ずれていました。 早朝のものすごい揺れ(後の発表では震度4)で起こされたものの、事態をすべて把握できたわけではないので、その後いつものように会社に向かいます。 近鉄奈良線は動いていました。 しかし難波まで行くとそこから先の地下鉄などが運休となっており、会社にはたどり着けず、仕方なく家に帰って会社に電話をするもつながらず…。 と、いうのが当時私が経験した震災

                                              阪神淡路大震災以降の日本について - 昭和ネコ令和を歩く
                                            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***20日目(2月5日)*** - 森の奥へ

                                              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から20日目です。 2月5日(日) 7時50分出勤。9時より家屋解体撤去申請の受付業務。かなり来庁者は少なくなってきたが、落ち着いてきたせいかかえっていろんな質問を受ける。こんなに困ってるんだから優先して欲しい、特別扱いして欲しい、、、自分だけが被災者、みたいな感覚の人がいる。市職員間の仲もいくらかぎくしゃくしてきた。ストレスのせいか。 I谷課長は、応援職員と区職員との関係をいろいろ気にしているが、どうもうまくいってないようだ。応援職員に対する待遇の悪さが原因の一つになっているとも思う。 夕方になって、本部の引っ越しが始まる。区役所地下の公会堂から湊川公園(※兵庫区役所に隣接する公園)に作られたバラックへと移る。かなり冷える。引っ越し終了後、夕食をとって、帰宅。 東山小

                                                震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***20日目(2月5日)*** - 森の奥へ
                                              • 晴れ☀ 阪神淡路大震災(二十八年) - makkosan70’s diary

                                                1月17日  明石の空です 朝から素適な晴れさんです 風は冷たく寒いです AM9時頃 AM10時頃 家の中 昨日 四苦八苦してた トートバッグ そこを 通り越してたら なぜか スムーズに 少し 徹夜して 進む所まで 午前中に 完成です たてまつりで 中綴じ 一応 出来上がりです 近い内に渡してきます(^・^) 阪神淡路大震災 あれから 二十八年 経っているんですね この日は 寒い日で雪が降ったり止んだりしていました この前の ような気がします 五時五十分に目覚ましセットして いました 起きないといけない時間だと 思いながら うつらうつらと 窓の隙間から ピカッーと光が 瞬間 ドーンと 横ゆれから 削岩機で たたかれている様な すざましい揺れでした タンスの扉は一瞬で開き 子供達が 大丈夫か声をかけ 冷蔵庫の中身もそこいらじゅうに 足の踏み場はありません 長女のいつもなら 寝てる所に スチー

                                                  晴れ☀ 阪神淡路大震災(二十八年) - makkosan70’s diary
                                                • 阪神・淡路大震災 まもなく27年 倒壊した高速道の橋脚など公開 | NHKニュース

                                                  今月17日で阪神・淡路大震災から27年になるのを前に、神戸市の施設では震災で倒壊した高速道路の橋脚などが特別に公開されています。 神戸市東灘区にある阪神高速道路の「震災資料保管庫」では、阪神・淡路大震災の記憶と教訓を伝えようと、倒壊した高速道路の橋脚や橋桁の一部など34点が保管されています。 去年のこの時期は新型コロナウイルスの影響で公開されませんでしたが、ことしは事前に申し込んだ人を対象に特別に公開されることになりました。 8日、訪れた人たちは震災で高架橋が倒壊した様子や、その後の復旧作業を記録した映像を見たあと、地震の揺れで亀裂が入った橋脚や大きく曲がった鋼材などを見学しました。 中には高さ4.5メートル、幅3.5メートルの巨大なコンクリートの橋脚部分もあり、斜めに入った大きなひびが震災のすさまじさを伝えています。 訪れた人たちは阪神高速道路の社員の説明を聞きながら、一つ一つの展示物に

                                                    阪神・淡路大震災 まもなく27年 倒壊した高速道の橋脚など公開 | NHKニュース
                                                  • E2411 – 地元テレビ局と連携した阪神・淡路大震災関連映像の公開

                                                    地元テレビ局と連携した阪神・淡路大震災関連映像の公開 神戸大学附属図書館・井庭朗子(いばあきこ) 神戸大学附属図書館(以下「当館」)では,阪神・淡路大震災の発生から26年を迎えるにあたり,2021年1月14日に,当館の震災文庫(CA1853参照)デジタルアーカイブにて,地元テレビ局サンテレビジョンが撮影・制作した映像「阪神・淡路大震災」(1995年6月29日制作)を公開した。本稿では,公開までの経緯と今後の課題について述べる。 今回の映像公開は,サンテレビジョンから本学の都市安全研究センター長へ,震災当時の取材映像の保存と防災教育等での社会的活用を視野にいれた公開について相談があったことが始まりだった。そこで同センター長から要請を受けた人文学研究科の地域連携センターに当館も加えた3者が,2020年9月にサンテレビジョンと協議し,震災文庫での映像の受入・保存・公開を進めることとなった。 対象

                                                      E2411 – 地元テレビ局と連携した阪神・淡路大震災関連映像の公開
                                                    • 阪神淡路大震災から25年 | はるりんの不動産広場

                                                      みなさん当ブログを読んで頂いてありがとうございます(^^♪ 今回の記事で185記事目です(^^)/ 題名は 『阪神淡路大震災から25年』 1995年1月17日5時46分 阪神淡路大震災 が兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源としてM7.3の大地震が発生しました。 ※引用元:『データでみる 阪神・淡路大震災 神戸新聞NEXT』 25年経ってもあの日のことは 鮮明に覚えています。 ※この記事は2020年1月17日の記事です 突然の大きな揺れ 当時私は高校3年生 岐阜県の可児市というところに住んでいました。 前日は大学受験に重要な意味を持つ センター試験 無事試験が終わったことに安堵して眠りにつきました(-_-)💤 … … … 冬の早朝 夜明けまでまだ一時間以上あり 辺りは真っ暗 そんな中で 突然の大きな揺れ に襲われました! 生まれて初めて感じる大きな揺れ( ゚Д゚) 『じ、地震だぁ~(;゚

                                                        阪神淡路大震災から25年 | はるりんの不動産広場
                                                      • 1/17 居原田麗氏ご逝去、阪神淡路大震災を忘れない - hajimerie’s diary

                                                        1/17美容ドクターである居原田麗氏が1/10永眠されたと知った。ご主人が先生のブログにアップ。言葉を失った。 ガンで余命1年の宣告から4年間も頑張っておられた先生。 痛みもあったろうに、享年42、3男1女の母まだ小さなお子さんがおられる先生、子を残すつらさを考えると心痛む。謹んでお悔やみ申し上げます。 美容にはあまり興味がなかった私が月に数回先生のブログを見ていた。 先生が子宮頸がん😥とブログにアップされてから更新のたびに拝見していた。 私の悩みなど居原田先生の痛み苦しみに比べたらほんの少し。落ち込む必要がないものだと思うようになっていた。 どうか安らかにお眠り下さい。 確か私、昨年末に市からがん検診を受けるようにと申込書が郵送されていたのを思い出した。 そうだな、がん検診に行ってくるかな。 1995.1/17阪神淡路大震災が発生、記憶に残る。 早朝から起きていた私、最初の被害状況が不

                                                          1/17 居原田麗氏ご逝去、阪神淡路大震災を忘れない - hajimerie’s diary
                                                        • 晴れ 阪神淡路大震災 - makkosan70’s diary

                                                          1月17日   明石の空です 晴れです 風が強いので 寒いよりも つめたい です! やさしい 太陽さんです 皮膚科さんへ 駅前まで 途中のお空さんを 火傷の方は 少しづつ 良くは なってきてます あかみは 当分は 残るそうです(>_<) でも 今日も グルグル巻きで 帰ってきました 帰りは 上ヶ池公園に 寄り道です お花さんのお出迎えです イチョウの樹さんも 三角の樹さんも 寒そうです 太陽さんを背に 暖かです 今日は 阪神淡路大震災の日です 月日が 経つのは 早いですね その当時の事は 忘れる事のない 衝撃でした 宮崎 長崎では わりと 小さい地震は ありました 前の日の 夜に 小さい地震があり 関西で 地震 めずらしいね と 目覚ましが 鳴る頃 と思ってたので うつら うつら している所に カーテンの隙間から 光が 見え その瞬間 ドーン ガタガタ 後は 削岩機に たたかれてる ような

                                                            晴れ 阪神淡路大震災 - makkosan70’s diary
                                                          • 兵庫県の珍スポット。神戸における明治期の三大土木事業と言われた湊川隧道で阪神・淡路大震災の追悼式に参加しましたよ。 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)

                                                            さてさて、今日は神戸市湊川町にある湊川隧道で行われる阪神・淡路大震災の追悼式に参加するためお出かけです。 大阪駅からこのTWILIGHT EXPRESS 瑞風(みずかぜ)に乗ってずいぶんとゴージャスな移動ですな。 お1人様30万円以上はする寝台列車ですよ。 ってまあそんなわけなく、大阪駅のホームで姫路行きの快速を待っていると、目の前にこの瑞風(みずかぜ)がホームインしてきたのでテンションがコパカバーナ! 私と同じく快速を待っていた中年のおっさん達は先頭車両へと大移動。 手にしているスマホで大撮影会だわ。 そこへ遅れてきた快速がやってきて、TWILIGHT EXPRESS 瑞風(みずかぜ)とほぼ並走する形で尼崎辺りまで走ったもんだから、TWILIGHT EXPRESS 瑞風(みずかぜ)の車両内部をゆっくりとのぞき見できたんだな。 いやいやこりゃとんでもないゴージャス列車だこと。 さてさて、三

                                                              兵庫県の珍スポット。神戸における明治期の三大土木事業と言われた湊川隧道で阪神・淡路大震災の追悼式に参加しましたよ。 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)
                                                            • 唯一とされる『震災当日の医療現場の映像』指揮した外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら、次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間 | 特集 | MBSニュース

                                                              唯一とされる『震災当日の医療現場の映像』指揮した外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら、次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間 阪神・淡路大震災が発生した28年前の1月17日に、兵庫・淡路島の病院で撮影されたビデオ。震災当日の医療現場を撮影した唯一とされる映像には、混乱する医療現場で『命の選択』を迫られる医療従事者の姿が映し出されていた。 県立淡路病院で撮影された阪神・淡路大震災『当日の映像』 (栗栖茂医師) 「これが私が撮ったオリジナルのフルカセットのテープです。(Q撮影した時のことは覚えていますか?)非常に新鮮に、というか鮮烈に覚えていますね」 当時の県立淡路病院で外科医として勤務していた栗栖茂さん。普段から手術や治療を記録用に撮影していたという。あの日も何気なくカメラを回し始めた。 震災当日の午前9時前、なだれこむように傷病者を運び入れる医師や看護師

                                                                唯一とされる『震災当日の医療現場の映像』指揮した外科部長が命じた蘇生中止「やることやって、あかんかったら、次の人を助けなあかん」阪神・淡路大震災トリアージの瞬間 | 特集 | MBSニュース
                                                              • 能登半島地震で政府は自衛隊をなぜ逐次投入 阪神・淡路大震災で「出遅れた」批判集中の教訓は?(石川慶子) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                                                元日に発生した能登半島での地震における救助活動について、自衛隊が「逐次投入」されたことへの批判が広がってきています。危機発生時は初動が重要であり、災害や遭難など人命にかかわる場合には、最初の72時間で救助しないと生存率が急落することは既によく知られています。当然、発災直後に多くの自衛隊が派遣され、救助活動をしていると信じていましたので、「逐次投入」だったとする報道には驚かざるを得ません。1995年に発生した阪神・淡路大震災(以下、阪神大震災)では自衛隊の派遣が遅かったのではないか、と批判され、それを教訓として、2011年の東日本大震災や2016年の熊本地震では迅速だったはずではないか、と多くの方が思ったのではないでしょうか。そこで今回は、阪神大震災を取材し、1月1日の夜にいち早くX(旧ツイッター)で「現地の部隊に任せるのではなく、速やかに第1空挺団や中央即応連隊をヘリコプターで珠洲市や輪島

                                                                  能登半島地震で政府は自衛隊をなぜ逐次投入 阪神・淡路大震災で「出遅れた」批判集中の教訓は?(石川慶子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                                                • 『本日は阪神淡路大震災から26年。』

                                                                  Welcome to kiyo1115's 食彩王国 … 愛犬と一緒に“食べ歩き” ジャンルを問わず、美味しさを求め東奔西走。選りすぐりのお店や逸品…特に「身の丈」すなわち、お小遣いで行ける(特徴的な)お店の食べ歩き、ペット同伴可能のお店などを中心にご報告。 日本ブログ村・人気ブログランキング『グルメ』部門全体ランキングTOP10ランクイン

                                                                    『本日は阪神淡路大震災から26年。』
                                                                  • 阪神・淡路大震災から25年 震災の記憶や教訓の継承 課題に | NHKニュース

                                                                    6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で25年です。神戸市など大きな被害を受けた地域では遺族らが地震が起きた午前5時46分に黙とうし、犠牲者を悼みました。 神戸市中央区の公園「東遊園地」には、およそ5000本の竹の灯籠が「1.17」や「きざむ」という文字の形に並べられました。 会場には、まだ暗いうちから、家族や大切な人を亡くした人たちが訪れたほか、震災後に生まれた若い世代の姿も見られました。 そして、地震が起きた午前5時46分に静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげました。 上野さんは、「お母さんが天国へ旅立ってからきょうでちょうど25年。まさか、地震が来るなんて思ってなかったし、まさか、自分の家がつぶれるなんて思ってなかってん。怖かったやろ、痛かったやろ」と語りかけました。 そして、父親のあとを継いですし屋になったことを報告し、「僕もお母さんが亡くなった年と同じ47歳になり、

                                                                      阪神・淡路大震災から25年 震災の記憶や教訓の継承 課題に | NHKニュース
                                                                    • 『宇崎ちゃんは遊びたい!』の赤十字コラボは、阪神淡路大震災で救助された「恩返し」。作者の丈さんが綴る

                                                                      キャンペーン第2弾の開始に合わせて、「僕が阪神淡路大震災の当時瓦礫の下から助け出された人間だからです」と投稿した。

                                                                        『宇崎ちゃんは遊びたい!』の赤十字コラボは、阪神淡路大震災で救助された「恩返し」。作者の丈さんが綴る
                                                                      • 阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは 今日で26年

                                                                        今から26年前の1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、6000人を超える犠牲者と全半壊家屋約25万棟、10兆円を超える甚大な被害をもたらしました。 しかしこの震災は「負の遺産」だけでなく「正の遺産」も残しました。私たちが引き継いだ「正の遺産」とは何でしょうか。 阪神・淡路大震災をきっかけに災害ボランティアが定着したため、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれています。ボランテアの延べ人数で、阪神・淡路大震災が167万人、東日本大震災が550万人など復興の助けになっています。地震だけでなく、豪雨被害でも民家の泥かきなどに活躍しています。 【震度階級に「5強」などを新設】 震度0〜7の8段階が設けられた1949年は観測員が体感で測っていましたが、1980年代後半から震度計による計器観測を取り入れました。阪神・淡路大震災時、震度階級は8段階のままでしたが、1996年4月に体感によ

                                                                          阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは 今日で26年
                                                                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***2日目(1月18日)*** - 森の奥へ

                                                                          1月18日(水) 早朝、高校で同級だった千葉に住むI淵から電話をもらう。 午前中、海星病院(※灘区)から歩いて帰ってくる母を途中まで車で迎えに行く(※自動車は家から少し離れた駐車場を借りていて、そちらも傷一つなく無事でした)。母はしばらく話をしただけで、すぐに病院に戻るという。送って行こうとしたが、渋滞で車が進まない。トアロードのNHK(※中央区)前で別れる。 しばらくして弟より電話あり。偶然母とすれちがったとのこと。弟は、夕方近くになってようやくわが家に到着する。午前10時から6時間ほどかけて阪急西宮北口から歩いてきたとのこと。しばらく休んだ後、西区の自宅に向かって出発する。さらに板宿(※須磨区)まで歩くという。板宿から先は地下鉄が通じているらしい。 ①海星病院 ②NHK神戸 ③阪急西宮北口駅 ④神戸市営地下鉄板宿駅 ⑤弟の自宅 ⑥わたしの自宅 ※震災の翌日、大阪方面から鉄道を使って神戸

                                                                            震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***2日目(1月18日)*** - 森の奥へ
                                                                          • あの日「大災害時代」が始まった 阪神・淡路大震災とは:朝日新聞デジタル

                                                                            ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                                              あの日「大災害時代」が始まった 阪神・淡路大震災とは:朝日新聞デジタル
                                                                            • 晴れ☀ あれから29年 阪神淡路大震災 - makkosan70’s diary

                                                                              1月17日【水曜日】  明石の空です 朝は キ~ンとした空気が冷たい 晴れさんです 太陽さん出てきたら 暖かく感じます あれから29年 阪神淡路大震災 遭遇された方は 忘れられない日です 雪のちらつく 寒い朝でした 早朝5時46分頃 起きなければと うとうとしてた時間 カーテンノの隙間から ピカッーと光が どーんと音がしたかと思ったら 横揺れその後に 削岩機でたたかれてる様な すざましい揺れ 家の中 散乱状態です 子供達の大丈夫を確認して 長女は 今の旦那さんの所に泊りに行ってたので助かりました 長女がいつも寝ていた布団の上に スチームオーブンレンジが落ちてました (使わないので棚の上に上げていた物) 前の日の夜7時頃に小さい地震がありました この辺で地震 めずらしいねと (九州は地震が多かった) 揺れがおさまり すぐさま 水を貯めなくてはと思い 貯められる物にはすべて いれました(長崎大

                                                                                晴れ☀ あれから29年 阪神淡路大震災 - makkosan70’s diary
                                                                              • 阪神・淡路大震災~自然災害の記録~NHK東日本大震災アーカイブス

                                                                                1995年の阪神・淡路大震災の記録映像をまとめました

                                                                                  阪神・淡路大震災~自然災害の記録~NHK東日本大震災アーカイブス
                                                                                • 阪神淡路大震災の被害で亡くなられた方から私の心に話って下さった事 - ありのままの自分が大好きです

                                                                                  (朝日新聞掲載の写真です) 今日は、あの阪神淡路大震災があった 1月17日です。 亡くなられた方の為にも何かをしなければ 亡くなられた方々は、今の私達のコロナ感染で 苦しんでる姿をすべてご存知だと思います。 そして今何をすればいいのかを? 私の心に語り掛けられたことを そのまま語りたいと思います。 オリンピックは今するべきではない コロナ感染が終息しきるまでは 絶対にするべきではない。。。 今すると、同じことの繰り返しです。 より悪化する危険が見えています コロナ感染を完全に終息させる事 今は、それに全力を注ぎなさい その言葉が脳裏をよぎります そこで私に語り掛けてきた提案を紹介します。 オリンピック選手村をコロナ感染医療に使う 今は、医療崩壊の危険が押し迫ってきています。 自宅待機の感染者が多数います。 病院が追っつかなくて、入院ができないんです そんな時に、オリンピック選手村が心に出て

                                                                                    阪神淡路大震災の被害で亡くなられた方から私の心に話って下さった事 - ありのままの自分が大好きです