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阪神・淡路大震災の検索結果41 - 80 件 / 187件

  • 辻󠄀元清美 on Twitter: "辻元清美です🐉Vol.8 これまで一番理解に苦しんだデマは、阪神淡路大震災の時に、「自衛隊から食料を受け取らないでください」と書いたビラをまいたというデマ。 https://t.co/4uwDGYZH4Y"

    辻元清美です🐉Vol.8 これまで一番理解に苦しんだデマは、阪神淡路大震災の時に、「自衛隊から食料を受け取らないでください」と書いたビラをまいたというデマ。 https://t.co/4uwDGYZH4Y

      辻󠄀元清美 on Twitter: "辻元清美です🐉Vol.8 これまで一番理解に苦しんだデマは、阪神淡路大震災の時に、「自衛隊から食料を受け取らないでください」と書いたビラをまいたというデマ。 https://t.co/4uwDGYZH4Y"
    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***25日目(2月10日)*** (柏井ビル倒壊の経緯) - 森の奥へ

      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から25日目です。柏井ビル倒壊の経緯をたどりました。 2月10日(金) 昨日から母が帰宅していた。二人で朝食をとる。浴槽にためていたトイレ用の水が洗濯にほとんど使われてしまっていた。トイレが使えない。少し口論になる。 朝食後、母は銀行へ住宅ローンの返済方法について訊きにいく。一年間ローンの支払いを停止してもらっても、結局利子分の約6万円は支払わなければならないとのこと、わざわざ銀行の担当の人が電話で説明してくださったが、結局返済方法は変更しないことにする。 濯ぎが残っている洗濯物の山を母の友人宅まで車で運ぶ。 一日休んだだけで、今日からまた次の仕事に出かける母を三宮(※中央区)まで送る。全壊した阪急三宮駅は半分取り崩されていた。阪急会館のスクリーンが外からのぞけた。母が

        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***25日目(2月10日)*** (柏井ビル倒壊の経緯) - 森の奥へ
      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 3/5 - 森の奥へ

        * 白米一キログラム、米麹五〇〇グラム、ドライイースト小さじ半分くらい。 これらの材料から、「おいしい甘酒」約三リットルを作ります。蒸したお米に麹とドライイーストを混ぜて水を二リットル強加え、二日くらい置くと甘酒状になります。さらに寝かせると一週間ほどで「意に反してアルコール度が15%以上になり、たいへんおいしいどぶろくが出来てしまうかもしれません。すぐに廃棄しなくてはいけません。おなかの中に廃棄してもいけません。大切なことですので絶対に注意してくださいね」。 これは濁酒さんのHPからの引用です。廃棄しないといけない理由は、「アルコール度が1%を越えると酒税法違反」になるからです。ちなみに、生イーストを使うと、大変辛口の「おいしい甘酒」に仕上がるとのこと。 もし、あの大震災に遭わなかったら……、十年前に交わしていた濁酒さんとのメールのやりとりはその後も平和裡に続けられ、そのうち僕は「おいし

          震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 3/5 - 森の奥へ
        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***30日目(2月15日)*** - 森の奥へ

          26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から30日目です。 2月15日(水) 夕食後、南蛮美術館、M田さんから電話。 お互いの近況報告をし、来週あたり地下鉄が復旧したら飲みに行こうという話になった(※翌16日から神戸市営地下鉄は全線運転を再開します)。 ※M田さんは職場の主査(係長)です。わたしより数歳下の30ちょっとくらいだったでしょうか。当時わたしが務めていた職場は行政職の人と教職の人とが一緒に働いていました。行政職と教職とでは同じ神戸市に務める公務員であっても、勤務形態も違うし給与体系も違います。同じように働いていても行政職の人には残業手当が付きますが、教員には付きません。ご存じかと思いますが、教員には残業という概念がありません。深夜まで働いても、定時に職場を出ても、給与は同じです。職階制(役職)?も違

            震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***30日目(2月15日)*** - 森の奥へ
          • 大貫剛🇺🇦🇯🇵З Україною on Twitter: "阪神淡路大震災で、防災行政担当者が得た教訓のひとつに「本当に被害が酷い場所からは、被害情報が届かない」というのがある。ドーナツ状に被害情報がある場合、中の空白地帯こそが最も酷い被害を受けている。千葉県の場合、房総半島からの情報が少… https://t.co/NlWDjDfzjO"

            阪神淡路大震災で、防災行政担当者が得た教訓のひとつに「本当に被害が酷い場所からは、被害情報が届かない」というのがある。ドーナツ状に被害情報がある場合、中の空白地帯こそが最も酷い被害を受けている。千葉県の場合、房総半島からの情報が少… https://t.co/NlWDjDfzjO

              大貫剛🇺🇦🇯🇵З Україною on Twitter: "阪神淡路大震災で、防災行政担当者が得た教訓のひとつに「本当に被害が酷い場所からは、被害情報が届かない」というのがある。ドーナツ状に被害情報がある場合、中の空白地帯こそが最も酷い被害を受けている。千葉県の場合、房総半島からの情報が少… https://t.co/NlWDjDfzjO"
            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***49日目(3月6日)*** - 森の奥へ

              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から49日目です。入院することになりました。 3月6日(月) 早朝、息苦しくて目が覚める。胸に激痛が走り、それから眠れない。右の肺の上に重い何かの塊が乗っている感じがする。 区役所に今日から交代してもらったK芝先生を訪ね、その後、美術館に連絡をとる。仕事を休んで、国立病院を受診することにした。 名谷(※須磨区)の国立神戸病院(※現・神戸医療センター)には1年前にA型肝炎で1カ月入院した。偶然、去年と同じ外来の先生に診てもらった。 レントゲン写真を見るやいなや、先生から入院せよとの宣告。肺に水がたまっているらしい。結核性だと説明された。レントゲン写真では、明らかに右の肺の方が小さく萎んで見えた。地震よりショックが大きい。 入院すれば、電気・ガス・水道・食事など、一切を気に

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              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***29日目(2月14日)*** - 森の奥へ

                26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から29日目です。 昨夜、2月13日午後11時過ぎ福島・宮城で震度6強の激しい地震がありました。マグニチュード7.1~7.3(推測)、東日本大震災の余震とのことです。あの地震からもうすぐ10年になりますが、地球規模の時間で言うと、まだあの揺れが続いていると言うことなのでしょうか。阪神淡路大震災はマグニチュード7.3でしたから、地震の規模としてはほぼ同程度ということなのだそうです。 今回の被災の規模はまだはっきりと分かっていないようですが、被災地の方々のご無事をお祈り申し上げます。 2月14日(火) バレンタインデー。課税課の机の上に誰かがチョコレートを置いてくれていた。 今日も家屋の再調査にA田さんと回る。午前中4軒午後4軒。留守宅が多い。いきなりえらそうにしゃべるおっ

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                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***5日目(1月21日)*** - 森の奥へ

                  1月21日(土) 宏兄ちゃん(※従兄弟、父の長兄の長男、わたしは年上の従兄弟のことを「兄ちゃん」をつけて呼んでいます)が、下三河(※佐用郡南光町)から半日かけて原付バイクで見舞いに来てくれる。 「きんでん」(近畿電気工事株式会社)のロゴの入ったヘルメットを持っていたので、それをかぶっていると、ご苦労様、と声をかけられ、優先して道を通してくれたとのこと。家に来てもらうのは初めて。年賀状の住所を見て、地図だけを頼りに来てくれた。弟も片づけを手伝いに板宿から歩いて来てくれる(※西側から神戸市内方面へは、市営地下鉄西神中央駅~板宿駅の区間だけが運行していた。JR、山陽電鉄は神戸市内まではまだ動いていなかった)。 そうか、今日は土曜日だった。休みの日だ。 早速、家の片付け。屋根にブルールシートを張ってもらう(※屋根瓦がズレていたので、放置しておくと雨漏りが予想された。震災後は多くの木造家屋が屋根をブ

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                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***22日目(2月7日)*** - 森の奥へ

                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から22日目です。り災証明書もらう。 2月7日(火) 8時前、湊川公園(※兵庫区役所に隣接する公園)のテントに集合。8時半業務開始。申し込みに来た一人一人に住所を尋ね、窓口まで案内する。ほとんどトラブルになることははなく、淡々と仕事が進む。 被災の程度を軽く判定された人が大声を出したり、足元にハンカチが落ちていたので「落とされたんじゃないですか」と声をかけると、「こんなんワシのんちゃうわい!」とわざわざ足で蹴っ飛ばすおっさんがいたりして、ちょっとカチンときたが、それくらいだった。 立ちっぱなしなのがけっこうきつかった。 18時頃、受付がほぼ終了した段階で、個人的なことで申し訳ありませんが、と僕個人の被災状況について尋ねてみる。僕の家は「半壊」と記されてあった。後日申請に

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                    • 阪神淡路大震災から27年 - 星たちの座談会 ☆ ★ ☆ ☆ ★ ☆ 地球号の未来

                      こんにちは。シャランです。 27年前の1995年1月17日早朝、阪神淡路大震災が起きました。 高速道路倒壊の映像がテレビに写し出された時、現実の事だとは思えず、言葉が出なかった事は今も覚えています。 先日、私の住む地域でも地震がありましたが、緊急地震速報が流れ、揺れがおさまる迄は、何とも言い難い怖さでした。 震度3でさえ、そんなです。 今後、大きな地震が来ると言われていますが、防ぐ事は無理でも、少しでも被害を少なく出来る工夫を、皆で考えていければと思います。 地球さん愛してます🌍💕 宇宙さん愛してます🌟💕 にほんブログ村

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                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***48日目(3月5日)*** - 森の奥へ

                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から48日目です。今も時折り思い出す苦い日です。この日が区役所応援最後の日になりました。 3月5日(日) 今日の被災家屋再調査のペアは市土木局のK場さん。鵯越の独身寮に住んでいるという。 最初は天井の板がごっそり抜け落ちた家を調査する。一見するとひどい被害のようだが、他はどこも傷んでいない。おやじさんは大工さんだが、怪我をして現在失業中とのこと。年配の気のよさそうなおばあちゃんが、あまりに辛そうに話されるので、何とかできないかとも思ったが、結局、一部損壊の判定で納得してもらう。多少例外をつくってもよかったんじゃないか、少し厳しかったかと気になって仕方ない。 熊野町のヤンキー風のにいちゃん、いきなり文句を言い始める。家の中を見せて頂きますから、と何度もくり返し言うとようや

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                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***8日目(1月24日)*** - 森の奥へ

                          26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から8日目です。やっとお風呂に入れました。 1月24日(火) 10時すぎに自転車で出勤する。K芝先生よりカセットボンベの差し入れ。南蛮美術館の後片付けをする。 戦前に建てられた旧館も含めて、建物には被害はほとんどなかったが、書棚が倒れたり、書架にあった図書類が散乱したりしたようだ。 美術館はしばらく休館。僕は明日から兵庫区役所に応援出務となる。 夜、再びN村先生(※前任校の同僚、先輩)より電話があり、10時頃、D本先生(※前任校の同僚)も誘い母と三人でN村先生邸に伺う。浴槽に浸かるのは、一週間ぶりだ。 震災直後の被災地でのお風呂事情です。震災直後には食べ物が、数日後には暖かい食事が、そして一週間後には入浴が必要とされました。 同じ神戸市内でも、市の北部(北区)や西部(垂

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                          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***18日目(2月3日)*** - 森の奥へ

                            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から18日目です。解体撤去申請の受付業務を担当する。 2月3日(金) 6時半起床。7時50分区役所到着。8時45分より区役所4階で、倒壊家屋の解体撤去申請の受付業務。申請者の数は前より少しずつ減ってきた様子。 定時に昼食をとり、午後の一人目の応対が済んで次を待っていると、別の作業を頼まれた。申請書のコピーをとれとのこと。それから午後の時間帯はその作業で埋まる。これまでに受け付けた約1500人分の申請書のコピーをとった。その間、Y根氏(※本庁からの応援職員)は、解体の順番を早めて欲しいと言ってきた人と口論になる。 午後5時頃、受け付けは終了するが、その後もコピーと仕分け作業が続く。6時45分、ようやくすべてが終わり、公会堂(※兵庫区役所地階)に降りて夕食をとる。 今日は泊

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                            • 冬閑か震災といふ非日常 ~阪神淡路大震災から27年~ - 森の奥へ

                              少し前のことですが、年末年始の6日間、俳句のtweetを休みました。大みそかからお正月にかけて呑んだくれる予定だったからです。そしてもちろん、呑んだくれて過ごしました。けれど、6日間まったく俳句のことを忘れてたかというと、実は一月四日からのtweetに備えて句を準備する小心者でもありました。 俳句メモ帖を振り返ってみますと、実際、俳句の下書きは元旦から始めています。元旦のうちになんとか四日にtweetする句を思いつき、一安心しました。その後さらに吞んだくれたのは言うまでもありません。その酔いの勢いに任せて二日に詠んだのは「屠蘇呑んで食ふ呑んで食ふそして寝る」という句でした。が、当然ながらこれは没。その代わりに脳裏に浮かんできたのが阪神淡路大震災当時の日々でした。 三日からは次々に震災のイメージが湧くように思い出されてきて何句も何句も詠みました。わたしにとって、あの震災はどれだけ歳月が過ぎて

                                冬閑か震災といふ非日常 ~阪神淡路大震災から27年~ - 森の奥へ
                              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***47日目(3月4日)*** - 森の奥へ

                                26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から47日目です。背中の右横の部分が痛くて夜中に何度か目を覚ましました。 3月4日(土) 市の外郭団体「西神開発」I岡氏とペアを組んで被災家屋再調査へ。僕が教職出身だと言うと、I岡氏も自分の経歴を語ってくれた。 学校の管理員を10年勤めて、事務職への編入試験に合格し、今の職に移ったとのこと。裏口入学ですわ、と笑っていた。 調査は今までになく順調に進んだ。先日訪ねたときに会えなかった山王町のY田さんとはようやく出会えた。 罹災証明を見ると、昭和17年生まれとのこと。30代後半くらいに見えたが。家屋は彼女の祖父が隠居するときに建てたとのことで、寿命と言えるだろうが、かなり傷んでいた。全壊の判定を下す。 木曜日に約束をすっぽかしたお詫びとのことでケーキをもらう。I岡氏からは「

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                                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***10日目(1月26日)*** - 森の奥へ

                                  26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から10日目です。 1月26日(木) 本日より24時間勤務が始まる。 午前中、区役所横の保健所に避難している人にパンと栄養ドリンクを配る。一人のおばあちゃんに、風邪気味なのでドリンクをもう一本もらえないか、と頼まれる。数はほぼ人数分しかない。ごめんね、おばあちゃん。おばあちゃんに飲んでもらいたいけど、そうしたら当たらへん人がでてくるねん、とあきらめてもらう。これでよかったんだろうか。 昼からは湊川公園で救援物資の配布をする。仕事は警備係。順番を待つ人の行列は思ったほど乱れることはなかった。 夜、何度か物資の搬入を手伝う。ペットボトルの飲料にカップ麺、ジャケット、ティッシュペーパー、毛布など。 仮眠場所は区役所の地階にある公会堂。それほど寒さは感じなかったが、気分が高まっ

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                                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***6日目(1月22日)*** - 森の奥へ

                                    1月22日(日) 小雨の中、宏兄ちゃん帰る。 家の近くで、バイクでやってきたD本先生(※前任校の同僚)と出会う。僕の被災の状況を訊ねに来てもらったようだ。D本先生の板宿(※須磨区)のアパートも被災。かなりひどいらしい。 M田氏(※南蛮美術館の同僚、行政職)より電話、火曜日に出勤して欲しいとのこと。 N村先生(※前任校の同僚、先輩)より電話、N村先生の家は西区にあり、被害はほとんどないとのこと。お風呂に誘ってもらう。 パソコン通信復旧。 トイレを流すのに使っていた浴槽の水が、もう残り少なくなってきた(※水はまだしばらく復旧しなくて、トイレを流すにはタンクに水を補給しないといけませんでした。お風呂のお湯を流してしまわず、翌日まで残すようにしていたので、震災時はその残り湯が役に立ちました。気にせずにトイレを使えるということ、これだけでもどれだけ助かったことか、、、)。 * ATD0792****

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                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***21日目(2月6日)*** - 森の奥へ

                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から21日目です。 2月6日(月) 今日から、罹災届け・義援金申し込みの受付業務に変更になるので、明けの日だったが新しい仕事内容の確認のために出勤した。仕事は公会堂内で申し込みに来た人を誘導する係だった。来庁者は多かったが、それほど複雑ではない。 仕事の内容を確認すると、9時すぎに区役所を出る。郵便局で郵便物を受け取り、帰りにローソンで昼食を仕入れる。昼間から飲むつもりだった。帰ると玄関の前でポチと目が会った。ドアを開けるとポチはいそいそと僕より先に家に入っていく。しばらくポチを膝に乗せ、味醂干しをやる。 その後は、僕の食事に付き合わせることにした。2階まで呼ぶとポチは敷いたままにしていた僕の布団をよけて、おそるおそるという感じで部屋に入ってきた。僕は焼きそば、ポチには

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                                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***28日目(2月13日)*** - 森の奥へ

                                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から28日目です。被災家屋を回りました。 2月13日(月) 今日から日勤。本庁の職員7人全員で家屋の再調査の応援をすることになった。Y村、T井、M井、F井、M崎、K上と僕の7人。 8時半、区役所3階の課税課に集合。顔合わせ、説明のあと、区内へ散らばっていく。ペアは、課税課のA田さん。午前中2軒、午後9軒を回る。 家屋の再調査は、罹災証明を申請した時に被災の判定内容に不服を申し立てた人の家を個別に回って再調査をする仕事だ。家屋を基礎、壁面、屋根の各部分に分けて調査し直し、それぞれにポイントを付けて合計点数で判定する。五割以上の損傷があれば半壊になる。 実際に家を回って話を聞いていると、何割かは申し立て通りになる。地震後の混乱がまだ治まらない時期に大急ぎで判定して回ったもの

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                                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 1/5 - 森の奥へ

                                          わたしは阪神淡路大震災の翌春、大阪文学学校という文章教室に通い始めることにしました。そこには、文章について学ぶというより、小説について語り合える仲間たちと、時間と空間とを共有できる面白さがありました。もちろん、お酒を飲みながらそれを味わうこともできました、、、(^_^) その教室に2年通い、知り合った仲間たちと小説同人誌を作るようになりました。1997年4月から2008年8月までの間に、3つの同人誌・28冊の発行に関わりました。小学生の頃から書くことが大好きでしたが、それが生活の一部になったのは、震災がきっかけでした。今回、ブログに連載した『震災通信』は、2004年11月10日発行の同人誌に掲載した作品です。 ですので、以下は、2004年11月の視点で書いた文章です。そのまま再掲していますので、時系列的に読みづらい部分もあるかと思いますが、どうぞご容赦くださいますように。 * 震災からやが

                                            震災通信(阪神淡路大震災体験記)後記 1/5 - 森の奥へ
                                          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***24日目(2月9日)*** - 森の奥へ

                                            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から24日目です。グリーンアリーナ神戸に行きました。 2月9日(木) 8時、湊川公園のテントに着いたが、Y根氏はもちろん、S谷氏も見当たらない。二人とも交代したようだ。しかたなく先に一人で公会堂に行ってみたがやはり気になる。もう一度公園に行こうとした時、新しいメンバーを見つける。今日からは、M井さんとF井さん。今までの四人より年長。ややおとなしそうな感じの人だ。 公会堂で来庁者の誘導を始めるが、今日は「連合」からの応援職員に仕事を引き継いでくれとのこと。大まかに説明し、9時半に引き上げる。その後、午前中は、総合運動公園に物資を取りにいくトラックに同乗する。初めて見るグリーンアリーナは、救援物資が山のように積まれていた。ここが市西部への配送拠点の一つになっているらしい。

                                              震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***24日目(2月9日)*** - 森の奥へ
                                            • 阪神・淡路大震災29年。キットカットくま。他 - たぬちゃんの怠惰な日常

                                              ※この記事はアフィリエイト広告を利用しています。 阪神・淡路大震災から29年。 そのころ震源からまあまあ近いところに住んでました。 すごく近くはなかったので、被災はしませんでしたが。 早朝にすごく揺れてびっくりしたけど、テレビでニュースをやってなかったので、大したことないんだなあと思ってもう一度寝たことを思い出します。 今は緊急地震速報もあるし、情報も早く伝わるし、だいぶ改善はされてきました。 でも直接被災したらやっぱりつらいのは変わらないですね。 よりにもよって、今年は雪国で冬に地震があるとは。 我々ができるのは、やはり主にお金の寄付だと思います。 ほかの地域から流通が滞ってないなら、それが一番ですね。 【PR】↓ふるさと納税なら寄付しやすいですね。 リンク ------ 深刻な話に引きずられる方も多いと思います。 そこで気分を変えて楽しいお話も。 ででん。 キットカットくまバージョン。

                                                阪神・淡路大震災29年。キットカットくま。他 - たぬちゃんの怠惰な日常
                                              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***14日目(1月30日)*** - 森の奥へ

                                                26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から14日目です。 1月30日(月) 朝から湊川公園でカセットコンロの配布、4000人ほど集まる。 午後はあまり仕事がなく、時間をもてあます。 夜9時、M上氏と帰る。彼は明石在住。神戸駅まで送る。今日、姫路方面から神戸駅までJRが運転を再開したところだ。 彼の自宅は、揺れはしたが、ほとんど被害はなく、家に帰れば、電気・ガス・水道と、何不自由なく使えるという。震災前とまったく変わらない普通の生活の場から、電車に乗って、被災地へ仕事に来る。話を聞くだけでも妙な気分になってくる。 屋辺氏に電話する。明日お風呂においでとのこと。 先日京増氏へ送ったメールに返事が届いていた。 京増 弘志    S*I00*85 95/01/30 16:24 題名:メールありがとうございました.

                                                  震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***14日目(1月30日)*** - 森の奥へ
                                                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***4日目(1月20日)*** - 森の奥へ

                                                  1月20日(金) 昼頃、母が自転車で帰ってくる(※病院から、約8.5㎞)。夕食には、たまたま地震の前に大量に冷凍しておいていた豚肉を、傷んでしまう前にまとめてカセットコンロで焼いて食べるつもりでいた。食器は散乱したものの中から割れてないものを拾い集め、埃や破片を拭って使っている。準備をしている時に、急に照明が点く。電気が復旧した。地震から四日目だ(※ガスと水道の復旧はまだでした)。 食後、さっそくパソコンを起動させてみる。今まで通りに起動、異常なし。しかし、パソコン通信は繋がらない。 ライフラインの復旧(兵庫県のホームページより) 兵庫県/阪神・淡路大震災の支援・復旧状況 サンキタ通り(神戸市中央区) よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)

                                                    震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***4日目(1月20日)*** - 森の奥へ
                                                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***32日目(2月17日)*** - 森の奥へ

                                                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から32日目です。 2月17日(金) あの日から一カ月経った。 久しぶりの公休。ダイエーで買い物をする。 ※前日の2月16日、神戸市営地下鉄西神(新長田~西神中央間)・山手線(新神戸~新長田間)は全線で運転を再開しました。山手線は大きな被害を受け、当初は年内の復旧が困難視されていました。 ところが、一日でも早い運転再開のために、本復旧のための工事を終電と翌日の始発との間の時間を利用して行いながら運転を再開することにしたのです。被害の大きかった新長田、上沢、三宮の3駅は通過することになりました。これで、震災翌日の1月18日から運転を再開していた相互直通先の北神急行電鉄北神線(新神戸~谷上間)と合わせて、西神中央~谷上間での全線運転が実施されることとなりました。 徐行しなが

                                                      震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***32日目(2月17日)*** - 森の奥へ
                                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***23日目(2月8日)*** - 森の奥へ

                                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から23目です。 2月8日(水) きのうは遅くまで『菜の花の沖』(※司馬遼太郎)を読んでいて、今朝も目が覚めてからすぐに続きを読み始めた。そのせいで布団から出たのは9時半を過ぎていた。 午前中に南蛮美術館へ行く約束だったので、朝食をとらずに出かける。10時に車で出発。三宮を越えるのにやはり時間がかかった。約40分後、新神戸OPA(※中央区、新神戸オリエンタルシティ)前を通る。ふいに、そこにある書店で本を見てみたくなり、車をパーキングへ入れる。ついでに久しぶりに銀行へ立ち寄り、3万円引き出す。 書店は営業していたが、見たかった本はなかった。職場に向かう。2週間ぶりだ。 とりあえず近況報告を済ませ、K芝先生と昼食に外出する。K芝先生は、今日はそのために弁当なしにしていたよう

                                                        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***23日目(2月8日)*** - 森の奥へ
                                                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***50日目(3月7日)*** - 森の奥へ

                                                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返ってきました。あの日からちょうど50日目です。長いお付き合いありがとうございました。日記編はこの日で終わります。 3月7日(火) 母からの電話で目が覚める。しばらく声が出せなかった。あまりに息苦しく、胸が痛い。身体を動かすと、胸膜に溜まった水が、右の肺の表面を押しながらゴロリと流れる感触がはっきりと自覚できる。 兵庫区役所を訪ね、K芝先生(※本来の職場の同僚、先輩)に入院することになった旨を告げる。他の本庁からの応援職員や区役所の課長、A田さん(※区役所で一番親しく思っていた先輩職員)らには区役所に戻ってこられなくなったことだけを伝え、今までお世話になった礼を言う。 その後、南蛮美術館(※わたしの本来の職場)に行く。美術館職員の事務長さん、M田さん、Y村さん、館長さんに挨拶する。あやまっ

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                                                        • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***45日目(3月2日)*** - 森の奥へ

                                                          26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から45日目です。 3月2日(木) 今日の被災家屋再調査のペアは、北区役所からの応援のT寺さん。去年採用とのことで、やたらと頭が固そうな印象。 山王町のY田さんの家(周りが土塀に囲まれた築50年くらいの古い家で解体申請が出されている)をなかなか全壊と認めようとしない。Y田さんとは昨日避難先に電話して話していた。4時頃にこちらに来てくださるとの約束だったが、40分程家の前で待ってもやってこない。区役所に問い合わせると、交通事情のため行けないかもしれないとの伝言。空しく帰る。不在の家に電話したりして残務整理に7時頃までかかる。 区役所の首脳部は応援職員のマナーについて憤慨している様子。日替わりでメンバーが代わるので、そのたびに仕事の内容を説明し直さないといけないし、わざわざ

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                                                          • 『被災地で起きたDVや「性被害」はなぜ伝えられなかったのか…阪神・淡路大震災25年、根深い理由|まいどなニュース』へのコメント

                                                            世の中 被災地で起きたDVや「性被害」はなぜ伝えられなかったのか…阪神・淡路大震災25年、根深い理由|まいどなニュース

                                                              『被災地で起きたDVや「性被害」はなぜ伝えられなかったのか…阪神・淡路大震災25年、根深い理由|まいどなニュース』へのコメント
                                                            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***16日目(2月1日)*** - 森の奥へ

                                                              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から16日目です。 2月1日(水) 企画の他の二人、メンバーが代わる。Y根氏とS谷氏に。終日、倒壊家屋の解体撤去の受付事務を手伝う。 5時半終了、夕食後帰ってよいとのこと。 二年前、中一の時担任をした教え子のM代から電話。西神ニュータウンの病院に入院したとのこと。 彼女は震災当時、長田区の西市民病院に入院していて被災した。病院は五階部分が押し潰された。年末に見舞った時、彼女の病室は三階にあったと思う。 #山猫        M*I00*04 95/02/01 22:55 題名:ありがとうございました 屋辺 様 昨日は暖かいお風呂と、暖かい料理、 暖かい会話をありがとうございました。 心まですっかり暖まりました。 今日は泊まりの予定が変更になり、 夜は自宅で寝ることができ

                                                                震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***16日目(2月1日)*** - 森の奥へ
                                                              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***46日目(3月3日)*** - 森の奥へ

                                                                26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から46日目です。無性にラーメンが食べたくなりました。 3月3日(金) 公休。 無性にラーメンが食べたくなって、開店を15分ほど待って「ラーメン太郎」のネギチャーシューラーメンを食べる。 イメージです(^^; ※下のリンクは震災当日の記録です。 www.keystoneforest.net よければtwitterものぞいてみてくださいね。山猫 (@keystoneforest) | Twitter イラスト/バリピル宇宙さん (id:uchu5213)

                                                                  震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***46日目(3月3日)*** - 森の奥へ
                                                                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***40日目(2月25日)*** - 森の奥へ

                                                                  26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から40日目です。頭が割れそうに痛みました。 2月25日(土) 姫路からやってきた「自治労」の応援職員とペアを組んで被災家屋の再調査に回る。五十歳前後でベテランの方なのだが、一日限りの応援ということでどちらかと言えば第三者的な態度。判定の意見を求めるとシビアな答えを返してくださるが、説得するのは僕。まぁ仕方のないことだけど。半壊判定にまでは至らないことを住人の方に説明して、でも、粘りに粘られ、ついに押し切られてしまった家もあった。 夕方になり、頭がガンガンしてきた。もう4時半を過ぎていたのではっきり言って終わりにしたかったが、ペアの人はもう少し行こうと言う。勘弁して欲しかった。 帰りに夕食を買うより先に薬局に寄り頭痛薬を買う。頭が割れそうに痛かった。7時過ぎには布団に入

                                                                    震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***40日目(2月25日)*** - 森の奥へ
                                                                  • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***19日目(2月4日)*** - 森の奥へ

                                                                    26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から19日目です。郵便届く。 2月4日(土) きのうは泊まらずに済んだので、今日は朝から休み。 昼頃、ドアを開けると、ポチが我が物顔に入って来る。ポチはしばらく前から近所を縄張りにしているらしい野良猫(たぶん)。丸々太っていて、愛想がいい。名前は僕が勝手に付けた。 昼食用に焼いていたイワシの干物をやる。僕はその横で遅い昼食をとった。 夕方近く、弟からお風呂においでの電話がかかる。 20時過ぎに家を出る。でがけにポストを見るとM代(※前任校での教え子)から手紙が来ていた。 久しぶりに国道2号線を走る。緊急車両専用らしき車線を前の車に続いて入って行くと、なんとなく走れてしまった。お風呂を借りて、少し雑談。粕汁をごちそうになる。 22時半頃玉津(※西区、弟の自宅近く)を出て、

                                                                      震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***19日目(2月4日)*** - 森の奥へ
                                                                    • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***11日目(1月27日)*** - 森の奥へ

                                                                      26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から11日目です。 1月27日(金) 初日の24時間が終わる。朝帰宅。 夜、屋辺さんから電話をもらう。 ニフティサーブ、京増氏にメールを書くことを思い立つ。 #山猫        M*I00*04 95/01/27 21:55 題名:はじめまして ニフティに接続して初めて届いたメールが 京増氏からでした。 電話とも違うし、手紙とも違う、 とっても不思議な感覚を味わいました。 その後、大学の先輩からの年賀状の隅に IDが書かれているのに気付き、 その返事に僕のIDを書き添えました。 そして数日後、メールが届きました。 「メールが届いています。(未読分一通)」 このメッセージには未だに心時めくものがあります。 京増氏が2通目のメールを送信されたのは1月17日。 その日の早朝

                                                                        震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***11日目(1月27日)*** - 森の奥へ
                                                                      • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***42日目(2月27日)*** - 森の奥へ

                                                                        26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から42日目です。おばちゃんと気の合う日。 2月27日(月) 今日は、F井さん(※本庁職員)と被災家屋再調査のペアを組む。午前中は僕が主になり、午後からはF井さんが主になる。F井さんはどちらかというと口ベタな方なのか、横で話を聞いていると少し焦れったくなるほどだ。ま、その辺りはお互い様かも知れないが。 午後の1軒目に会下山町2丁目の家を尋ねたが、すぐに証明書が欲しいということでF井さんが一度区役所まで戻る。その間、おばちゃんの話し相手を務める。結構話しが盛り上がる。 最後に再調査した氷室町1丁目の駄菓子屋さんのおばちゃんとも話が盛り上がる。13歳の時、疎開先の長崎で彼女は原爆も体験したんだそうだ。 母が久しぶりに帰宅する。いろいろ話し込む。今日はおばちゃんと気の合う日だ

                                                                          震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***42日目(2月27日)*** - 森の奥へ
                                                                        • 阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは

                                                                          25年前の阪神・淡路大震災は、6000人を超える犠牲者と全半壊家屋約25万棟、10兆円を超える甚大な被害をもたらしました。しかし、「負の遺産」だけでなく「正の遺産」も残しました。大震災がもたらし、私たちが引き継いだ「正の遺産」とは何でしょうか。 阪神・淡路大震災をきっかけに災害ボランティアが定着したため、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれています。ボランテアの延べ人数で、阪神・淡路大震災が167万人、東日本大震災が550万人など復興の助けになっています。地震だけでなく、豪雨被害でも民家の泥かきなどに活躍しています。 【震度階級に「5強」などを新設】 震度0〜7の8段階が設けられた1949年は観測員が体感で測っていましたが、1980年代後半から震度計による計器観測を取り入れました。阪神・淡路大震災時、震度階級は8段階のままでしたが、1996年4月に体感による観測を全廃し、震度計による観

                                                                            阪神・淡路大震災がもたらした「正の遺産」とは
                                                                          • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***12日目(1月28日)*** - 森の奥へ

                                                                            26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から12日目です。 1月28日(土) 朝、母と一緒に出勤。 午前中、家屋調査、午後は公会堂で待機。区の職員は公会堂内に電話を引き込み、救援物資の在庫に合わせて、避難者へ配給する弁当やサンドイッチの手配に追われている。あちらこちらに物資を詰めた段ボール箱が積まれており、どこに何が入っているか、どれが新しくてどれが古いか、何度か確認する。 夜、本庁(※神戸市役所)からの呼び出しで、Y田さん帰る。 待機の時間を利用して、おそらく係長試験の勉強をしているらしい職員もいる。本来の仕事があり、ここでの仕事があり、将来のことがあり、大変だ。 深夜1時頃物資の搬入があり、その後は読みかけの本を2時頃まで読む。この日は文庫を二冊読み終える。読後もなかなか寝付けない。 当時、神戸市兵庫区へ

                                                                              震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***12日目(1月28日)*** - 森の奥へ
                                                                            • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***39日目(2月24日)*** - 森の奥へ

                                                                              26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から39日目です。北海道から応援に来られた水道局の人に、わが家の漏水箇所の修理をしていただきました。 2月24日(金) 北海道の水道局の人が家にやってくる。5人がかりでいろいろ家の中を見て回り、1階のトイレの下が漏水箇所だ、と突き止めてくれる。縁の下を調べた時に、そこにヘルメットを忘れてくるハプニングがあったり、トイレのパイプを手持ちの材料で北海道の佐々木さんが直してくれたり、本当に親身になって心配してもらった。でも、結局完全に修理してしまうことはできず、使用する時だけ本栓を開けるように言われた。何度も何度もご苦労様を言う。 北海道のどこから来てもらったのか、訊くのを忘れていた。あわてて道路まで追いかけて行って作業の車を探したが、札幌ナンバーということしか確認できなかっ

                                                                                震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***39日目(2月24日)*** - 森の奥へ
                                                                              • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***17日目(2月2日)*** - 森の奥へ

                                                                                26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から17日目です。 2月2日(木) 夜勤明けの日。 朝、弟より電話をもらう。お風呂においで、とのお誘いだった。せっかくだけど、どうしようもなく眠いので断る。今は風呂よりじっくり休みたかった。電話を切って、さらに寝る。ぐっすり眠る。 13時半、目がさめ、昼食をとる。 昼食後、また眠る。 これまで何度か日記を付けたことはある。数年続いたこともある。でも、何かの拍子で途切れてしまっていた。今回のことは、これまでとはまた別の意味で記録しておかないといけない、という気がしている。昨日までの分を、メモを元にまとめて書く。かなり忘れかけている。 ※この日の日記を読むと、あの日からの出来事を17日経った2月2日になってようやく文章にまとめたようです。パソコンで書きました。ですので、この

                                                                                  震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***17日目(2月2日)*** - 森の奥へ
                                                                                • 震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***26日目(2月11日)*** - 森の奥へ

                                                                                  26年前、わたしは神戸市兵庫区で震度7の揺れを経験しました。その記憶を日記とパソコン通信のログとで振り返っています。あの日から26日目です。 2月11日(土) 6時45分、起床。 今日は土曜日で罹災証明書の発行は受け付けていない。10時より湊川公園の掃除をする。仮設トイレ周辺が悲惨な状況。汚物があふれ、臭いもひどく、正視できるものじゃない。 1時より拠点配布の荷物積み込み。本庁の職員は配布に同行しなくてよいとのことで、午後は物資の搬入と明日配布するロープ作り。隣では海外から救援物資として贈られてきた巨大テントを設営していたが、組み立て方が分からず、ずいぶん手こずっていた。 5時頃より夕食をとり、5時半終了。 夕食を少なめにして家でビールを飲むつもりだった。缶ビールを買って帰り、昨日母が大量に作ってくれていた煮物をあてに飲む。 途中、電話。I淵(※高校時代の親友、東京在住)からだった。3月の

                                                                                    震災通信(阪神淡路大震災体験記) ***26日目(2月11日)*** - 森の奥へ