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鹿野司の検索結果1 - 5 件 / 5件

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鹿野司に関するエントリは5件あります。 訃報科学人生 などが関連タグです。 人気エントリには 『【訃報】鹿野司さん逝去のお知らせ』などがあります。
  • 【訃報】鹿野司さん逝去のお知らせ

    サイエンスライターの鹿野司さんが、10月17日に63歳で逝去されました。 弊社では、2010年に、SFマガジンでの連載をまとめた科学エッセイ集『サはサイエンスのサ』を発表し、同作は、2011年星雲賞ノンフィクション部門を受賞しました。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 【プロフィール】 鹿野司(しかの・つかさ) 1959年名古屋生れ。サイエンスライター。科学、コンピュータ、SF誌を中心に、コラム、インタビュウ記事を執筆。映画『ガメラ2』の科学考証なども手掛ける。SFマガジン連載の科学コラム「サはサイエンスのサ」は、1994年より亡くなる直前までの長期連載となった。著書に、『オールザット・ウルトラ科学』、『狂牛病ショック』(共著)、『巨大ロボット誕生』、『教養』(共著)がある。

    • 鹿野司君のこと :: TORIMIKI.COM

      サイエンスライターで長年の友人でもある鹿野司が10月17日に63歳でなくなった。 近年の彼は長い闘病生活中にあり、自分で何度も救急車を呼んで窮地を乗り越えてきたような状態だった。苦しくなって呼ぶのではなく、倒れる前に色んな測定値や症状から「このままでは危ない」と自己判断して呼んでいた由で、ときにはその状況をツイートしていたこともある。もちろん入院が必要なときはちゃんと入院していた。むしろ、いかにも科学ライターらしいそうした冷静な判断があって、ここまで生きながらえることが出来たのだと思う。 彼は自然科学やテクノロジー方面はもちろん、社会学や政治的な判断においても私のもっとも信頼する知識人だった。右にも左にも体制にも反体制にも与せず、是々非々で論理的・科学的に物事を判断、評価、批判した。 SNSには、一見、相対的・俯瞰的・論理的な態度をとっているように見せながら、その実、理不尽な権力に利するよ

        鹿野司君のこと :: TORIMIKI.COM
      • 2022年10月17日に鹿野司さんが亡くなられた - はてなの鴨澤

        【訃報】鹿野司さん逝去のお知らせ Facebookに堺三保さんが鹿野さんとの交流写真を次々に貼ってくれているのを見ると、本当に亡くなられたんだなという実感が湧いてきてしまう。 人が亡くなるたびに「この方の知識は体験は見識は永久に失われ新たに直接的に何かを生み出すことはなくなった」という事実に圧倒される。それが膨大な知識をため込んだ鹿野さんとなるとひとしおだ。 鹿野さんだけが覚えていた他者の記憶、この人はこんなときにこんな風に思うだろう、というメンタルモデルも消えてしまった。鹿野さんの肉親のことを鹿野さんほどよく覚えていた人はもはや存在しない。鹿野さんはご両親が亡くなったあと天涯孤独の身であった。 死者はもはや新たな交流を関係性を作らない。自分のメンタルモデルを他者の中に作り出すこともない。他者の中にできているモデルを更新することもない。時間とともに、記憶者の死とともに、ただ消えゆくのみであ

          2022年10月17日に鹿野司さんが亡くなられた - はてなの鴨澤
        • 【訃報】鹿野司さん逝去のお知らせ

          サイエンスライターの鹿野司さんが、10月17日に63歳で逝去されました。 弊社では、2010年に、SFマガジンでの連載をまとめた科学エッセイ集『サはサイエンスのサ』を発表し、同作は、2011年星雲賞ノンフィクション部門を受賞しました。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 【プロフィール】 鹿野司(しかの・つかさ) 1959年名古屋生れ。サイエンスライター。科学、コンピュータ、SF誌を中心に、コラム、インタビュウ記事を執筆。映画『ガメラ2』の科学考証なども手掛ける。SFマガジン連載の科学コラム「サはサイエンスのサ」は、1994年より亡くなる直前までの長期連載となった。著書に、『オールザット・ウルトラ科学』、『狂牛病ショック』(共著)、『巨大ロボット誕生』、『教養』(共著)がある。

          • 訃報:サイエンスライターの鹿野司氏 | スラド

            ストーリー by nagazou 2022年10月21日 14時28分 お悔やみ申し上げます。 部門より サイエンスライター・SF評論家の鹿野司さんが17日に亡くなっていた事が分かった。63歳だった。死因に関しては発表されていない。同氏は科学やコンピューター、SF誌を中心に、コラムやインタビュー記事を多数執筆。アニメや特撮の科学考証も担当していた。長期連載となるSFマガジンの科学コラム「サはサイエンスのサ」は1994年に開始していたという(早川書房、スポニチ)。

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