並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 2 件 / 2件

新着順 人気順

1933の検索結果1 - 2 件 / 2件

  • 御堂筋線の地下鉄ホームになぜシャンデリア? 大大阪の歴史映す 掘り下げ!関西白書 - 日本経済新聞

    20年ほど前に大阪へ赴任し、初めて御堂筋線のプラットホームに降り立った時、雰囲気の違いに驚いた。天井は弧を描いたアーチ型で、見上げるとユニークな照明。後から「蛍光灯シャンデリア」と呼ばれていると教えられた。なぜ地下鉄に豪華なシャンデリアがあるのか。シャンデリア設置の歴史を遡ると、1933年(昭和8年)5月20日の御堂筋線開業まで行き着く。「大阪の父」とも呼ばれた第7代大阪市長の関一氏のもと、御

      御堂筋線の地下鉄ホームになぜシャンデリア? 大大阪の歴史映す 掘り下げ!関西白書 - 日本経済新聞
    • 米国外交官が記した柳条湖事件の真実

      柳条湖事件が起きるまでに満鉄施設が何度支那人に襲われたか このブログで何度か昭和六年(1931年)に満州事変の発端となった柳条湖事件のことを書いてきた。 繰り返しになって申し訳ないが、満州事変に関するわが国の戦後の歴史叙述では、昭和三十一年(1956年)十二月に発行された雑誌『別冊 知性』第五号に、元関東軍参謀の花谷正の名前で「満州事変はこうして計画された」という記事が掲載されて以降、柳条湖事件は関東軍が満鉄線路を爆破したことが通説となっているのだが、この雑誌の記事は花谷正本人が書いたものではなく、当時二十三歳の東大生であった秦郁彦が花谷に取材し、自分の名前を伏して花谷正の手記として発表されたものだという。当時は満州事変にかかわった本庄繁、板垣征四郎も、石原莞爾もすでに他界しており、その雑誌記事の真偽は今となっては確認のしようがないのだが、満州事変が関東軍の自作自演であると主張する研究者の

        米国外交官が記した柳条湖事件の真実
      1