並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 5 件 / 5件

新着順 人気順

archiveの検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 美術館の展示物解説に専門分野の研究者が「素人質問で恐縮なのですが...」と反応→これが噂の”その道のプロによる恐怖の素人質問”か...!と話題に

    サントリー美術館 @sun_SMA 東京・六本木にあるサントリー美術館の公式アカウントです。展覧会情報や各種イベント情報をお届けします。(サントリー社内の公式アカウントのみをフォローし、リプライ、ダイレクトメッセージへの返信はしていません) 公式アカウント ガイドラインはこちら→suntory.jp/snsguide/ suntory.jp/SMA/ サントリー美術館 @sun_SMA \ほ、骨!?/ こちらはなんと鶴の脛骨(けいこつ)に蒔絵で装飾を加えた笄(こうがい)。鶴の骨の笄が最上品とされた時期があったそうです。京都や大坂では、江戸時代末頃まで頭痛除けとして使われたとも。 #メイヒン展 suntory.co.jp/sma/exhibition… pic.twitter.com/mc1zdvrbA9 2024-05-03 10:00:03

      美術館の展示物解説に専門分野の研究者が「素人質問で恐縮なのですが...」と反応→これが噂の”その道のプロによる恐怖の素人質問”か...!と話題に
    • 約100年前に制作 国産アニメーションのフィルム見つかる | NHK

      およそ100年前に作られた国産アニメーションのフィルムが見つかりました。当時、歯ブラシなどを販売する日用品メーカーが虫歯予防などの啓発のために制作したもので、専門家は「この時代は現存するフィルムが少なく、当時の国産アニメを知る貴重な手がかりだ」と話しています。 見つかったのは、1923年ごろに国内で制作された「口腔衛生」というタイトルの映画のフィルムで、古いフィルムやレコードなどを収集している東京のNPO法人が個人から寄贈された中に含まれていたということです。 映像はおよそ8分半で、子どもの歯の健康を保つ方法などがアニメーションと実写で紹介され、このうちアニメの部分では、子どもがナイフとフォークを使って食事をする様子や歯磨きをする様子などが、かわいらしい絵柄で描かれています。

        約100年前に制作 国産アニメーションのフィルム見つかる | NHK
      • えっいまさら? 杉田水脈議員、『コスプレおばさん』と「そもそも投稿していませんし…」と主張 ネットは「なんでウソつく?」と総ツッコミ:中日スポーツ・東京中日スポーツ

        えっいまさら? 杉田水脈議員、『コスプレおばさん』と「そもそも投稿していませんし…」と主張 ネットは「なんでウソつく?」と総ツッコミ 2024年5月3日 16時49分 自民党の杉田水脈衆院議員が、過去に自身のブログに「アイヌの民族衣装のコスプレおばさん」と投稿したことについて、2日にX(旧ツイッター)で一転して「投稿していません」と主張。だが、過去に国会で投稿の事実を認めており、アーカイブにも文言が残っていることから、総ツッコミが起きている。

          えっいまさら? 杉田水脈議員、『コスプレおばさん』と「そもそも投稿していませんし…」と主張 ネットは「なんでウソつく?」と総ツッコミ:中日スポーツ・東京中日スポーツ
        • 黒焦げの巻物を解読、プラトン埋葬場所の詳細判明か 最後の夜の様子も

          (CNN) 古典古代の巻物の文章を新たに解読した結果、ギリシャの哲学者プラトンの埋葬場所や、死の床で奏でられていた音楽に対するプラトンの感慨が判明した可能性がある――。イタリアの研究チームがそんな調査結果を明らかにした。 このいわゆる「ヘルクラネウムの巻物」は紀元79年のベスビオ火山噴火後、灰に埋もれ黒焦げになったもので、今も専門家が人工知能(AI)その他の技術を駆使して調査を続けている。 伊ピサ大学文献学・文学・言語学学科のラツィアーノ・ラノッキア教授(パピルス学)によると、新たに判明したのは、プラトンがアテネの学園「アカデメイア」内に設けられた詩神の祭壇付近の秘密の庭に埋葬されたとみられる点。 これまでは学園内に埋葬されたということしか分かっておらず、具体的な場所は未確定だったという。ラノッキア氏が4月30日、CNNの取材に明かした。 プラトンの学園は紀元前86年、ローマの将軍スラによ

            黒焦げの巻物を解読、プラトン埋葬場所の詳細判明か 最後の夜の様子も
          • チコの形見 | COMPLEX CAT

            チコはこの世に身一つで生まれてき後、運命として私たちのところに来てくれた。そして私達に数々の経験を共有してくれが、あの声、あのぬくもりの感触を残して、20年後、私たちの元から旅立ってしまった。 チコが残してくれものは、わたしたち家族に彼がた注いでくれた深い愛情と思い出だ。それだけで十分なのだが、やはり彼がいなくなったことはとても寂しい。それでも、彼の形見とも言えるものが一つ、残されていることに最近気がついた。 彼が残した足跡そのものの記録、彼が、GPSロガーを首輪に付けて出かけていった時のパトロール・ルートの軌跡で、この最期の分はなぜか忘れていたのだ。この彼の軌跡を見ていると、このあたりに行った時、何を考えて、どんな顔をしていたのかとか考えずにはいられない。そして、彼にはもう会えないのだと思うと、やはり、まだちょっとだけなんとなく、苦しくなる。 今は、社会的に猫の自由飼いは許される状況では

              チコの形見 | COMPLEX CAT
            1