9日朝、長崎市の平和公園やミサが行われた浦上天主堂などには被爆者などが訪れ祈りをささげました。 4歳の時に被爆した82歳の女性は「78年は早いです。原爆の目を差す光だけは覚えています。夫の祖父母など家族が原爆で9人亡くなったので永遠の安息を願いに来ました。世界中で戦争がいつ起こるかわからないので世界平和を願っています」と話していました。 午前10時45分から始まる平和祈念式典では、この1年に亡くなった被爆者など3314人の名前が書き加えられた19万5607人の原爆死没者名簿が納められます。 そして、原爆がさく裂した午前11時2分に黙とうをささげ犠牲者を追悼します。 ことし5月のG7広島サミットは、各国のリーダーが原爆資料館を訪れるなど核兵器の非人道性を世界に訴える機会になった一方、サミットの成果文書である「広島ビジョン」について核抑止を前提とした考えだとして長崎の被爆者からも批判の声があが