「白米が食えるのは正月だけじゃった」 今年で80歳を迎えた農家のお祖父ちゃんがよく言うセリフだ。米が貴重品だったというのはよく聞く話だが、よく考えてみると1942年生まれの祖父が米を食える年齢になった頃には戦争も終わっており、食料難が続き供出制度があったといえども農家が米を自由に食べられなかったというのは想像が難しい。 なぜ農地を持つ家の子どもが白いご飯を食べられなかったのだろう。 (田んぼはイメージです) お祖父ちゃんが住むのは宮崎県の山間の古い家。代々受け継いできた家の裏山には小さな田んぼがあり、今でも米を作っている。もっぱら自家消費のための稲作であるが、小さな田んぼとはいえ親族数世帯が食うに困らないの収量はあるようだ。 田畑を持たない人間が米を食えないというのは理解できる。凶作で市場に出回る数が少なければ手に入らないことだってあるだろう。単純に米を買うお金がないということもあるかもし