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  • 口之津駅 - Wikipedia

    口之津駅(くちのつえき)は、長崎県南島原市口之津町西大屋にあった島原鉄道島原鉄道線の駅(廃駅)である。 歴史[編集] 1928年(昭和3年)2月25日:口之津鉄道の駅として開設。 1943年(昭和18年)7月1日:会社合併により、島原鉄道の駅となる。 1968年(昭和43年)10月1日:貨物取扱廃止。 1970年(昭和45年)7月:駅舎新築[1] 1971年(昭和46年)8月1日:業務委託駅化。 1974年(昭和49年)5月18日:島原寄りに100m移転し、同時に交換設備撤去。 1986年(昭和61年)4月1日:10m西側に移転し新駅舎竣工[2]。 2001年(平成13年)9月30日:業務委託廃止により無人駅化[3]。 2008年(平成20年)4月1日:島原外港 - 加津佐間廃線に伴い、廃駅となる。 駅構造[編集] 単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。無人駅。2009年(平成21年)

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    tsutsumi154
    tsutsumi154 2024/04/30
    ここの乗降人数はとても廃線になるような数じゃないが他の駅はちょっと酷かったんだろうな 年間だった
  • やまさ海運 - Wikipedia

    島原半島と大牟田市を結ぶ高速船航路「三池島原ライン」、長崎港遊覧船、軍艦島クルーズなどを運航している。 長崎港ターミナルビルには、会長の伊達秀則が寄付した閉山1年前の1973年の軍艦島を再現した250分の1スケールの模型が展示されている[1]。 航路[編集] 高速船(三池島原ライン)[編集] 島原外港 - 三池港(1日4往復、航海時間約50分) 島原鉄道が運航していた島鉄高速船の事業を継承、船舶・設備・人員を引き継ぎ、2015年4月1日から運航を開始した。 三池港では西鉄バス大牟田が運行する連絡バスにより西鉄天神大牟田線の特急電車に接続しており、福岡・天神と島原を2時間15分程度で結ぶ短絡ルートを形成している。 通常は双胴高速船「しまばら丸」と「みいけ丸」が就航している。 遊覧船[編集] 軍艦島上陸周遊クルーズ(1日2便、150分) 軍艦島に上陸するクルーズ。上陸の際は「誓約書」への署名が

  • 霊丘公園体育館駅 - Wikipedia

    霊丘公園体育館駅(れいきゅうこうえんたいいくかんえき)は、長崎県島原市弁天町2丁目にある島原鉄道島原鉄道線の駅である。 歴史[編集] 1984年(昭和59年)11月12日:島鉄社前駅(しまてつほんしゃまええき)として開業。 2008年(平成20年)4月1日:駅無人化。 2019年(令和元年)10月1日:霊丘公園体育館駅に改称[1]。 駅構造[編集] 単式ホーム1面1線を有する地上駅で、ホーム上に駅舎が設けられている。無人駅であるが、島原港駅以南の南目線廃止までは有人駅だった。当駅には自動券売機は設置されていない。 利用状況[編集] 2018年度の年間乗車人員は16,054人、降車人員は17,666人であった[2]。 近年の年間乗車人員、降車人員の推移は以下の通り。 年度 年間 乗車人員 年間 降車人員

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    tsutsumi154
    tsutsumi154 2024/04/30
    本社移転したから駅名変わったのか 他の駅名一斉に変えたのも一駅変えるなら他の駅変えるのもコスト的にさほど変わらないので変えたかったところ一気に変えた感じか
  • 夢のかけ橋 - Wikipedia

    夢のかけ橋(ゆめのかけはし)は、静岡県浜松市天竜区大川の船明ダム湖(天竜川)に架かる道路橋である。 概要[編集] 橋梁は、船明ダム湖(天竜川)を挟んで左岸の道の駅天竜相津花桃の里と右岸の伊砂ボートパークとを結ぶ歩行者・自転車用の橋梁である。 全長は473.7m[1]。 元々この場所には、未成線となった国鉄佐久間線船明駅 - 相津駅間の第二天竜川橋梁(だいにてんりゅうがわきょうりょう)が建設中であった[2]。しかし佐久間線の建設中止により、完成していた橋の橋脚4基が残されることになった。 以降、長年船明ダムの隠れた名物だったが、船明ダム湖のボート競技場としての格化と道の駅天竜相津花桃の里の開設に合わせ、この第二天竜川橋梁の橋脚を再利用して、2000年(平成12年)に歩行者・自転車用橋として再整備された[3]。 橋桁は赤と白のアーチ型となっているのが特徴である[4]。 周辺[編集] 静岡県

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  • 電磁波爆弾 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "電磁波爆弾" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2010年8月) 電磁波爆弾(でんじはばくだん、英:Electromagnetic bomb)とは、来原子爆弾の高高度核爆発によって発生するような強力な電磁波を原子爆弾の高高度核爆発を利用せずに(少量のTNT爆薬程度かそれ以上による)小さな爆発による爆薬発電機により、広範囲にわたる強力な電磁波を発生させる爆弾のことを指す。一般的に電磁パルス爆弾、EMP爆弾、EMP兵器と呼ばれている。 電磁波爆弾を使うことで、爆弾の効力にもよるが周囲数百メートルから数キロメートル程度に存在する電

  • サイコミ - Wikipedia

    アークディア(Ryota-H) あいどるスマッシュ!(TNSK) アイドルマスター シンデレラガールズ After20 (漫画:半二合、原作:バンダイナムコエンターテインメント、料理・酒監修:T.I.Planning) (2017年12月23日 - 2023年12月22日) アカデミックSOS(まつかわ)(2022年10月3日 - 2024年3月18日) 明日、私は誰かのカノジョ (をのひなお) (2019年5月3日 - 2023年11月10日、2024年2月16日) イグナイトエイト(Ryota-H) 異世界カウント2.99 ―転生したからここから最強の団体を目指す―(木村祐一)(2021年9月25日 - 2024年3月27日) 異世界で神様になったので、だいたい何でもできる!! (高成利季) (2019年1月2日 - 2020年12月9日) 異世界日〜暗殺一家の三男は異界化した日

    tsutsumi154
    tsutsumi154 2024/04/30
    単行本化は既存出版社に外販してる感じなのか
  • 今どきの若いモンは - Wikipedia

    『今どきの若いモンは』(いまどきのわかいモンは)は、吉谷光平による日漫画作品。『サイコミ』(Cygames)にて、2018年4月7日から毎週月曜日更新で連載されている[2][3]。 2022年4月9日からWOWOWプライムほかでテレビドラマ化された[4]。 あらすじ[編集] 三ツ橋商事営業部に配属された新入社員・麦田歩は、緊張と不安を抱きながら出社するが、部署の空気に馴染めずにいた。そんなある日の夜、麦田が一人で残業をしていると、課長・石沢一が現れた。「ったく、今どきの若いモンは……」という石沢の言葉に麦田は…。 登場人物[編集] 書誌情報[編集] 吉谷光平『今どきの若いモンは』講談社、全3巻 2018年8月30日発売[5]、ISBN 978-4-06-512703-2 2019年2月28日発売[6]、ISBN 978-4-06-515087-0 2019年6月28日発売[7]、ISB

    tsutsumi154
    tsutsumi154 2024/04/30
    サイコミで連載してて講談社小学館一迅社で単行本出してるのか なんかぐちゃぐちゃだな
  • 善光寺白馬電鉄 - Wikipedia

    鉄道そのものの計画は、1919年(大正8年)に長野商工会議所が中心に進めた、長野市と白馬岳山麓の北安曇郡北城村(現・白馬村)を結ぶ鬼無里鉄道の計画が始まりである。しかし、第一次世界大戦後の不況により、計画は一旦頓挫してしまう。その後、昭和初期になって、再び計画は持ち上がり、1926年(大正15年)1月に敷設免許申請がなされた。しかし鉄道省はなかなか免許しなかった。やがて1927年(昭和2年)4月に信濃国諏訪郡御射山神戸村(現・長野県富士見町)出身の小川平吉が鉄道大臣に就任すると免許ばらまきの一環で大臣就任後7ヶ月で鉄道敷設免許が下りたため、会社が設立された。 当初は「電鉄」の社名の通り、全線電化とする計画であったが、昭和初期の不況により資金が思うように集まらず、動力をガソリンに変更したうえで1936年(昭和11年)11月22日に南長野駅 - 善光寺温泉東口(仮駅)[2]間が開業した。社名に

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  • 大間線 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "大間線" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年3月) 概要[編集] 1922年(大正11年)施行の鉄道敷設法別表1号に「青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間ニ至ル鉄道」として掲げられた予定線である。建設理由は下北半島の開発と対北海道連絡線であった[1]。敷設運動は1921年(大正10年)頃から活気を見せてきたがその後5年ほど具体的な動きはなかった[2]。 対北海道連絡線[編集] 1894年(明治27年)頃、東奥日報紙上にて函館区長の常野正義が野辺地駅より大間もしくは佐井まで鉄道を建設し、大間と函館を貨客船にて結び、上野駅 -

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  • 美幸線 - Wikipedia

    美幸線(びこうせん)は、かつて日国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。北海道中川郡美深町の宗谷線美深駅を起点とし、同町内の仁宇布駅に至る路線であった[1]。計画では、美深より仁宇布を経てオホーツク海沿岸枝幸郡枝幸町の興浜北線北見枝幸駅に至る予定で、仁宇布から枝幸方にかけて一部工事が行われたものの、1980年の日国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行を受けて第1次特定地方交通線に指定され、1985年(昭和60年)9月17日に全線廃止された[2]。 線名は予定線の起終点から採られており、「美」は起点の美深、「幸」は終点の北見枝幸である。 警報機のある踏切は宗谷線と共用のものを除けば1箇所(道道)のみで、人跡のまれな地帯をゆく路線であった。 路線データ[編集] 区間(営業キロ):美深 - 仁宇布 (21.2 km) 未成区間の仁宇布 - 北見枝幸間は57.

  • 呼子線 - Wikipedia

    呼子線(よぶこせん)は、佐賀県唐津市の虹ノ松原駅から東松浦郡呼子町(現・唐津市)を結ぶ計画だった、日国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。 概要[編集] 1968年(昭和43年)に着工し、ほぼ全線にわたりトンネル・高架橋などの工事は完了していたが、唐津市街地での用地取得に時間がかかっているうちに国鉄の経営が悪化、国鉄再建法の施行の影響により工事が中断された。 このうち高い需要の見込まれる虹ノ松原駅 - 西唐津駅間については、国鉄筑肥線の変更路線に組み込まれて工事が継続され、1983年(昭和58年)3月22日に開業している(「筑肥線」を参照)。しかし、残りの区間は第三セクター設立による工事再開を検討するも採算ラインにわずかに届かず、地元は懸命に効用を訴えたものの開業に至らなかった。呼子駅前には当時の呼子町が駅前団地の整備を行うなど大きな期待を寄せていたが、鉄道がこの地に来ることはなかった。だが

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  • 越美線 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "越美線" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年7月) 越美線(えつみせん)とは、岐阜県美濃加茂市の美濃太田駅から福井県福井市の越前花堂駅(南福井駅)を結ぶ計画だった日国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。 概要[編集] 美濃太田駅から北濃駅までは1934年までに越美南線として、南福井駅(JR移行後は越前花堂駅に起点変更)から九頭竜湖駅までは1960年から1972年にかけて越美北線として開業したが、その後工事は中止され北濃駅 - 九頭竜湖間が分断されたままとなっている。越美南線は工事中止後の1986年12月11日に第三セク

  • 興浜線 - Wikipedia

    興浜線(こうひんせん)は、日国有鉄道(国鉄)が計画していた北海道紋別郡興部町の興部駅と枝幸郡浜頓別町の浜頓別駅間の鉄道路線である。一部区間が興浜北線・興浜南線として開業したものの、全通することなく1985年に廃止された。 概要[編集] 改正鉄道敷設法別表第145号前段に規定された「北見国興部ヨリ幌別、枝幸ヲ経テ浜頓別ニ至ル鉄道」である。興浜線が計画されたのは、オホーツク海沿岸の村は海産物や農林産業によって発展していたものの、冬季には流氷によって港が凍結し、経済や発展が滞ってしまっていたため、季節を問わず輸送が可能な鉄道の建設が求められたからである。また、オホーツク海を挟んで、ソビエト連邦に対峙する地理的環境から、資材や兵士を輸送する交通網の整備も必要であった[1]。 このうち、興部 - 雄武間が1935年(昭和10年)9月15日に興浜南線として、北見枝幸 - 浜頓別間が1936年(昭和1

  • 白糠線 - Wikipedia

    白糠線(しらぬかせん)は、1964年(昭和39年)から1983年(昭和58年)まで日国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。 北海道白糠郡白糠町に所在する根室線の白糠駅から分岐し、同町二股地区の北進駅までを結んでいた。1980年(昭和55年)の日国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行を受け、特定地方交通線廃止の第1号として、1983年(昭和58年)10月23日に全線が廃止された。 歴史[編集] 開業の経緯[編集] 白糠町の北端にある二股への鉄道を敷設する構想は第二次世界大戦前からあり、釧網線の弟子屈駅(現在の摩周駅)から二股を経由して池北線(第三セクターの北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線を経て、2006年〈平成18年〉に廃止)の別駅までを結ぶ「釧勝線」が提案されていた[2]。 また、1925年(大正14年)には、白糠・茶路沢の9集落266人の農民が

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  • 阿佐線 - Wikipedia

    阿佐線(あさせん)は、徳島県海部郡牟岐町の牟岐駅から高知県南国市の後免駅を結ぶべく計画された、日鉄道建設公団による工事線の名称である。 概要[編集] 改正鉄道敷設法(大正11年法律第37号)別表第107号に掲げる予定線「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」の一部である。なお、この区間のうち牟岐 - 日和佐 - 古庄付近については、1936 - 1942年に開業し、現在四国旅客鉄道(JR四国)牟岐線の一部として営業している。 1959年(昭和34年)に建設線に昇格。実際の着工・建設は既設路線と接続する区間から始まり、1973年(昭和48年)10月1日に牟岐駅 - 海部駅間が開業し、牟岐線の一部に組み込まれた。その他の区間は、日国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により工事が中断し、第三セクターによる開業に委ねられた。その後、徳島県側は阿佐海岸鉄道、高知県

  • 可部線 - Wikipedia

    「広島シティネットワーク」に属す路線の一つで、広島市中心部から太田川右岸を北上し、安佐北区・安佐南区のニュータウンと市中心部を結ぶ都市近郊路線である。 1898年(明治31年)、広島鉄道が広島 - 可部間を2フィート6インチ軌間のトロッコ式軌間で鉄道敷設を計画。1909年(明治42年)に大日軌道広島支社が軽便鉄道規格で開業した。当時は、小型の蒸気機関車が立てば頭がつかえるような小型客車を引き、客が多ければ起動できずに皆で後押しをするような貧弱な輸送機関であり、馬車利用者に軽蔑される状況であった[3]。その後、改軌や事業者の変更を経て広浜鉄道が運営していた路線を、1936年(昭和11年)に改正鉄道敷設法別表第94号の予定線「廣島縣廣島附近ヨリ加計ヲ經テ島根縣濱田附近ニ至ル鐵道」の一部として国が買収したものであり、国有化時点で既に電化路線であった。1,067 mm軌間に改軌したときに横川駅

    可部線 - Wikipedia
  • 五新線 - Wikipedia

    この項目では、日国有鉄道の未成鉄道路線について説明しています。鉄道線の先行を目的として開設された日国有鉄道の自動車路線である「五新線」のうち、和歌山県側の区間については「西日ジェイアールバス紀伊田辺営業所」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "五新線" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年8月) 五新線(ごしんせん)は、かつて、奈良県五條市の西日旅客鉄道(JR西日)和歌山線の五条駅と、和歌山県新宮市の紀勢線新宮駅を結ぶ計画だった日国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(未成線)である。またはこの路線に先行して開設された国鉄の自動車路線で

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  • 佐久間線 - Wikipedia

    佐久間線(さくません)は、静岡県遠州地方と長野県伊那地方を結ぶ路線として計画された鉄道路線である。 概要[編集] 1922年制定の改正鉄道敷設法別表第60号に記載された「長野県辰野ヨリ飯田ヲ経テ静岡県浜松ニ至ル鉄道 及飯田ヨリ分岐シテ三留野ニ至ル鉄道」のうちの前半部分の南側に相当する(北側は飯田線として完成)。 旧国鉄二俣線・遠江二俣駅(現・天竜二俣駅)から飯田線・中部天竜駅までの約30kmの路線(橋梁20カ所、トンネル14カ所)として開通する予定で、1967年(昭和42年)7月12日に総工費81億円の予定で建設を開始したが、1980年(昭和55年)約13kmの区間で工事が進められ、路盤が約50%完成したところで、国鉄再建法により工事が凍結、工事そのものが中止された。第三セクター鉄道で開業させようといった動きもなく、工事が再開されることはなかった。遠江二俣 - 遠江横山間には、築堤やトンネ

    佐久間線 - Wikipedia
    tsutsumi154
    tsutsumi154 2024/04/30
    飯田線が成立してる以上なくはない話だったのかな 路盤50%作ったところで誰も牽引しようとしなかったところがお察し案件か 両立するのは無理ゲー
  • 雲仙鉄道 - Wikipedia

    雲仙鉄道(うんぜんてつどう)は、かつて長崎県南高来郡愛野村(現・雲仙市)の島原鉄道愛野村駅(現・愛野駅)から同県南高来郡小浜町(現・雲仙市)の雲仙小浜駅(開業時は肥前小浜駅)を結んでいた鉄道路線、およびその運営会社である。1938年(昭和13年)に全線が廃止された。 路線データ[編集] 路線距離(営業キロ):17.34km 軌間:1067mm 駅数:9駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:なし(全線非電化) 閉塞方式: 歴史[編集] 島原鉄道の愛野村駅から南側に分岐して島原半島西部を横断し、半島中西部の温泉地である小浜に至る路線であった。島原半島に島原鉄道・口之津鉄道を開業させていた植木元太郎が温泉(うんぜん)軽便鉄道(後の温泉鉄道)を設立し、同社の手により1923年(大正12年)に愛野村 - 千々石間を開業した。続いて多親宗[2]らが設立した小浜地方鉄道(後の小浜鉄

    雲仙鉄道 - Wikipedia
    tsutsumi154
    tsutsumi154 2024/04/29
    雲仙鉄道含めたらほぼ島原半島一周するようにはなってたんだな 開業から15年赤字補填してた社長死亡で終了 悲しすぎる どう転んでも今まで残ってる気はしないが 温泉軽便鉄道
  • 島原鉄道線 - Wikipedia

    島原鉄道線(しまばらてつどうせん)は、長崎県諫早市の諫早駅から同県島原市の島原港駅までを結ぶ島原鉄道の鉄道路線である。島原線とも呼ばれる。 概要[編集] 島原半島の北岸から東岸を走る鉄道路線。非電化ローカル線であるが、諫早口では近郊輸送の役割も担っている。かつては長崎駅・佐世保駅への直通列車や小倉駅、博多駅までの国鉄線直通優等列車も運行していたが廃止され、島原半島と長崎県内他地域や佐賀県、福岡県を広域に結ぶ連絡機能は失われた。 以前は島原外港駅(現・島原港駅)からさらに南島原市の加津佐駅までを結んでいたが、同区間は2008年(平成20年)4月1日に廃止された(「歴史」にて詳述)。部分廃止以前は諫早駅 - 南島原駅(現・島原船津駅)間が北目線(きためせん)、南島原駅 - 加津佐駅間が南目線(みなんめせん)[2]と呼ばれていた。南目線は島原船津駅 - 島原港駅間の一区間が存続している。 路線デ

    島原鉄道線 - Wikipedia
    tsutsumi154
    tsutsumi154 2024/04/29
    廃線区間ほとんど今の走行区間と同じくらいだな