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読み物と哲学に関するvalinstのブックマーク (7)

  • 一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。

    「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」というを出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、このも20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。

    一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。
  • なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia

    「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英: Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は、哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形として、 「なぜ宇宙(または世界)があるのか?(Why is there a universe(world)?)」 「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」 「なぜそもそも何かが存在するのか?(Why there is anything at all?)」 などと問われる場合もある[注釈 2]。 物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問

    なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia
  • 思考実験の面白さは異常 世界五分前仮説←これが一番 シュレーディンガーの猫はカス : 哲学ニュースnwk

    2011年07月07日22:58 思考実験の面白さは異常 世界五分前仮説←これが一番 シュレーディンガーのはカス Tweet 1:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/07/06(水) 23:45:19.68 ID:BQ9lOpcb0 「シュレーディンガーの」のリスク管理論 正しく怖がる放射能【12】 「ミクロな世界」と「マクロな世界」 さて、私たちの住む世界は「自然法則」に支配されています。 夢の中などは別として、現実の空間では誰もその支配を免れることはできません。 りんごは木から落ち、磁石のN極とS極は引き合い、電流を流せば豆電球が光る。 物理や化学、あるいはDNAなど生命科学の法則に私たちは従いながら生活しています。 ところが原子や分子の世界は、ちょっと様子が違います。小さな小さな水素原子1粒を取り出し、 よくよく観察してみると、同じ電気や磁気の働きが全然様変わりし

    思考実験の面白さは異常 世界五分前仮説←これが一番 シュレーディンガーの猫はカス : 哲学ニュースnwk
  • 「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評

    どうなるんだろう。 というわけで、ニーチェ「善悪の彼岸・道徳の系譜」の解説です。ニーチェは哲学や政治学をやるのなら必読だと思うのですが、いかんせん文学的な表現が多すぎて何を言っているのかよくわかないと投げ出す人もいるんじゃないですかね。というわけでニーチェの思想で一番使える「相対主義」にしぼって説明します。 通常の哲学とニーチェの哲学の違い 哲学は形而上学とも呼ばれています。メタフィジカルな学問だというのです。つまり物理的・現実的(フィジカル)なことにたいしてどのように人間が取り組むかという、現実(フィジカル)より上位(メタ)の構造・ルールについて研究するのです。たとえば、人間の肉体がどのような仕組みで動いているかというのはフィジカルな話ですが、人間はどのように生きているのか・どう生きるべきなのかというのは、メタフィジカルな話です。 さて、ニーチェがやっているのは通常のメタフィジカルな話で

    「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評
  • 世界史講義録

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  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

  • 哲学的な何か、あと科学とか

    Q1:飲茶さんは、 「『機械的な部品』にすぎない脳細胞がどんなに集まっても、 なぜクオリアが生じるのか説明ができない」 と言っていますが、 たとえば、車のエンジンは、『機械的な部品』が集まってできたものですが、 エンジンをどんなに分解しても、「車が走るという現象」はでてきません。 脳とクオリアの関係も、これと同じで、 説明できなくても当たり前ではないでしょうか? つまり、クオリアを問題にしている人たちは、 「エンジンを分解したのに『車が走る』という現象がどこにもないぞ」 と大騒ぎしているのと同じではないでしょうか? A1:いいえ、ちがいます。たしかに、エンジンを調べても、 「車が走る」という「現象そのもの」は出てきませんが、 「車が走る」という「機能の仕組み」は説明はできます。 たとえば、「なぜ車が走るのか。それは、エンジンの中でガソリンが爆発して、 その力がシャフトに伝わり、タイヤを回す

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