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読み物と増田に関するvalinstのブックマーク (62)

  • うちにはブチャラティみたいな猫がいる

    俺たち夫婦の家庭は子なしだった。 との出会いは大学で、卒業してから結婚をした。 それまでに同棲をしていなかったこともあり、実際に暮らし始めてからの齟齬は少なくなかった。 結婚してからはすぐにを飼った。 里親として一匹を引き取ったんだ。 一匹の雄。 子だったこともあり最初はとてもやんちゃで人懐っこく、たくさん暴れた。 子はかすがい。 そんな言葉が示すように、俺と結婚生活が三年続いたのはこいつのおかげだろう。 だが、三年で終わりが訪れた。三年で、俺たちの結婚生活は終わりを告げた。 誰のせいでもない。それは仕方がないことだった。 手続きも済ませ、身辺の整理も終わった後。 最後に残ったのが「をどうするか」という話だった。 既に借家は二人とも離れることに決めていた。 だからどちらにしろ、もこの地を去らなければならない。 だったらせめて二人のどちらについて行くか。それぐらいは当人に決め

    うちにはブチャラティみたいな猫がいる
  • 初恋の人で童貞切ってきたが死にたい

  • せめぎ合う感情

    私はスタンド使いだけど今年43歳になる。主婦をしていて、何と3児の母だ。一番上が今年大学受験。 持ってるのは「熱を移動させる」能力だ。世の中いろんな熱がある。炎のような直接的なものでも良いし、家電の熱とかでも移せる。 人間の熱も移せる、もちろんやったことないけど、熱を移し続けて人を殺せると思う。 私はこの能力を普段家族のことにしか使わない。 料理とか熱を移すことで時短になるし、地味に掃除や洗濯でも使える能力だ。 子どもが熱を出した時も使った。風邪が治るわけじゃあないからあんまり意味がないのだけど、苦しい姿を見ていたたまれなくなり能力を使ってしまった。少しでも楽になったんだろうか。うーむ発熱するからこそ風邪が治るのか? わからんね。 それと夫とのセックスの際にも意外とメリットが…多分ある。夫は非能力者だから気付いてないだろうけど。色々使える! 試してみたい? あ私40のばばあだったわ! すま

    せめぎ合う感情
  • おっさんは光の戦士になりたかった

    子供の頃、光の戦士とか、勇者とか、割と世界を救いがちな属性を持った人間になれると思っていた。 少なくとも、勇者が所有する馬車の中には入れると思っていた。 ある朝起きたら、母親に 「あんた、今日は誕生日ね。そういうわけで市役所(城)に行ってらっしゃい」 なんて言われて、市役所に行ったら市長自らが出迎えてくれて 「キミは今から巨悪と戦わねばならない。そんな定めなのだ、たぶん」 とか言われて、地域振興券をもらって、ホームセンターでプラスチックのカラーバットを買って、冒険をはじめ、友達が2人くらいできる。 女の子がひとりと、男の子がひとり。 どんどん強くなって、紆余曲折ありながらも、諸悪の根源をぶっ倒し、根絶した後、テレビや新聞で持ち上げられ、世界中で有名になり、どこかの王族が 「ぜひとも、うちの娘でももらってくだっさい」 とか言い出して、見目麗しき病弱な女性がカーテンの影からこちらを見ている。結

    おっさんは光の戦士になりたかった
  • 明日で結婚一周年

    都内に住んでて共働き。2DK賃貸マンション一匹と。 同居して4年。式はしないで籍だけ入れたのが、去年の9月。 お互いに没頭できる趣味がそれぞれあって、共通の趣味はマンガと海外ドラマ。 ふたりとも無類の好き。 お互いいい歳。 だから子供はできたらできたで、できなきゃできないでいいよね〜ってスタンスで。 もいるし、趣味もあるし、って。 籍は入れたけど、それまでの生活と特に変わりなく。 朝起きて仕事行って、くたくたで帰ってきて。 一緒に晩酌しながらドラマ見たり、愛でたり。 家事は分担して。 休日はラーメンべに行ったり、散歩したり。 平均より若干低い世帯年収貯金もそれほどなく。 だけど質素に暮らして高望みもせず。 自己実現なんて遥か彼方。 何者にも成れず、でも時間と共にいつしかそんな自分も受け入れて。 SNSに載せられるような、魅力のある幸せではないけれど、幸せな暮らし。 先のことを

    明日で結婚一周年
    valinst
    valinst 2015/09/15
    途中まで女性かと思った
  • うんこ我慢道

    小さな頃から胃腸が弱く、良く腹が下っていた。 もちろん今でも良く腹を壊す。深夜に泥酔してラーメンした翌朝など酷いものである。どのぐらい酷いかと言えば、ここに書けないほど酷い。 小学生の時分は、なぜか「大の方のトイレに入ると自動的にコミュニティの晒し者にされる」という厳格なしきたりがあり、大きな方をぶりぶりっと出していると、トイレの壁をよじ上って誰かしらが覗いて来たり、偉大なるウンコマンの誕生、登場を大勢で迎える。というのが流行していた。 もちろん、俺もその偉大なるウンコマンとして降臨したこともあれば、尊大なるウンコマンを迎えたこともある。 やがて中学生になり、異性への興味が花開く年頃になると、さすがに男子のウンコマンへ対する興味、情熱も薄れていくのだが、今度は授業中に腹が痛くなってしまった場合、好きな異性の目の前で「ちょっとトイレに……」と手を挙げて行くのが恥ずかしいという、なんだか今

    うんこ我慢道
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    valinst 2015/09/04
    強迫がひどかったときは外のトイレが使えなくて、本気で辛かった。最近、強迫はマシになったけど腹は弱いまま。
  • ひよこ

    ひよこを飼っていた事がある。 脂ぎっているような白熱灯の元で、うじゃうじゃとまるで「蜘蛛の糸」を待つカンダタのような感じで、糸が垂れてくるのを待っている、縁日で売られていたひよこである。 なぜ、俺がひよこを欲しがったのかわからないし、付けた名前も忘れたが、とにかくひよこを飼った記憶がある。 ところで「ひよこ」と普段キーボードで打つことが余り無いので気付かなかったのだが「ひよこ」とタイプすると、なぜだかわからないが心がとても落ち着き、非常にピースフルな気分になる。皆さんもぜひ試してみて欲しい。 縁日の夜、我が家にて飼われる事になったひよこは、段ボールを改造したひよこハウスに入れられる事となった。 ひよこハウスの中は、柔らかいタオルケットのようなものが敷かれ、湯たんぽが安置されるという豪華暖房付きで、ひよこも心なしか居心地が良さそうだったのを覚えている。 こうして小さなワンルームの住人となった

    ひよこ
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    valinst 2015/08/28
    増田純文学
  • Yahoo!チャットって場所があったんだよ

    昔さ、Yahoo!チャットって場所があったんだよ。お前は知らないかもしれないがな。 当時はみんなホームページってやつを持っててな、誰が読むんだかしらねえ自己紹介とか何番目の訪問者です!ってのやっててな、ひどいとこになると熊のアイコンみたいなのがビュンビュンとカーソルを追いかけてくんだ。ありゃ恐怖だったね。 誰が興味あるんだかしらねえ、使用パソコンのスペック書くヤツまでいてな、「CPU: PentiumII、350MHz」とかドヤ顔で書いてたんだよ。タワー型のパソコンの写真まで載せてな。なんのため?しらねえよ、人に聞け。 でな、そういうところには必ず掲示板ってやつがあってな。BBSとか言ってたな。山陰放送じゃねえぞ。で、キリバン踏んだらBBSに報告することが義務付けられてて、しなかったら末代まで祟られて呪詛にかけられるんだけど、熱心なヤツになるとチャットっていう、リアルタイムに文字でお喋り

    Yahoo!チャットって場所があったんだよ
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    valinst 2015/06/25
    懐かしさと笑いが入り交じる名文。永久保存したい。
  • うちの金魚の半生

    うちの金魚は5歳である。名前はあるが、個魚情報なので一応伏せておく。うちにやって来たときには生まれていたから、正確な誕生日はわからないけれど、まあとにかく大体5歳である。金魚の年齢で5歳というと、まだまだ生きられそうに思えるが、実のところすでに寿命は近い。うちの金魚は金魚すくいでよく見かける赤いやつではなく、背ビレのない、背中が丸みを帯びているあの形である。たまにテレビに映る何十歳のでっかい老魚とちがって、このタイプは比較的るい弱だし、体もそこまで大きくはならない。ましてうちの子はあまりべずに育ったから、年のわりに貫禄がなく子供っぽくみえる。 でも小さいくせしてなかなか骨の折れる魚生を送ってきた。うちの水槽に来た当初は2匹の仲間と一緒に泳いでいたが、いつか彼らはこの世を去り、今では大きすぎる住処に1匹で生活している。氷水みたいに冷たくなった冬の水中で、じっと身を縮めるところなどを見ると、

    うちの金魚の半生
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    valinst 2015/06/06
    プロの犯行
  • 僕はもうプログラミングしなくていいんだ

    大学四回生の夏、下宿の扉に「出入禁止」とチョークで大書し、親を呼ばれて精神病院に連れて行かれた。 パソコンを買ってもらったのは小学三年生の冬だった。今でも覚えている。1996年12月2日のことだ。Windows95発売で世間は揺れていた。インターネット回線がうちに来たのは翌97年の1月、これはそこそこ早い導入だったと思う。さらに翌々年の99年にはケーブルテレビで常時接続になった。親には先見の明があったが、しかしパソコンには詳しくなかった。PC-8001も確かそうだ。親はこれが次世代の必需品になると確信して買っていたが、買った一方で使い道が分からなくてオブジェとして放置していた。親はPC-8001をパソコンだと言っていたけれど、僕にとってパソコンはおっきなテレビが標準で付属しているものだったし、マウスもなかったので、それがパソコンだとは到底思えなかった。でも親は言った。今度来るのは違うんだ、

    僕はもうプログラミングしなくていいんだ
  • スーパーのレジ打ち女子高生のEOL

    たとえば君が上司に怒鳴られ営業になじられ同期にさげすまれ残業して組んだコードすら思い通りに動かず打ちひしがれて家路につくとする。この時間の東横線は相変わらず酒臭い。やっとの思いで最寄の駅につき重い足を引きずってエスカレーターを上る。駅ナカの東急ストアは24時まで営業していて、カゴを手にした君はいつものルートをたどる。野菜売り場、海鮮類、乳製品売り場をやりすごし足をとめる。惣菜売り場。割引ラベルが何枚も重ねられそれでも売れ残っているふにゃふにゃの餃子やどぎつい色のエビチリが目につく。適当に選んだ惣菜を2個、ポテチ、麦とホップをカゴに入れた君はレジに向かいスマホから顔をあげてビックリする。 まるで天使だった。化粧っけもなく、素朴な感じにも関わらず明らかに美少女の部類。どう見ても女子高生。でもこんな時間にレジ打ちしているなんて家庭の事情か何かだろうか?名札の下の丸いバッジには『研修中』の文字。値

    スーパーのレジ打ち女子高生のEOL
  • 精子がしゃべった

    私が彼氏に求めるのは背の高さと面白さと爽やかさかなー などとニコニコしながら会話するJK三人組のとなりで、そのどれにも当てはまらない俺は信号を待っていた。 ようやく秋になったばかりなのに、きょうは暑苦しいくらいの陽気なので、オフィスの皆は不満を漏らしていたが、俺は内心わくわくしていた。 そして今、ランチタイムで賑わう街中へ繰り出してみると、期待どおりに、いつもよりは薄着の女性が華やいでいる。 透けブラ全開のJK三人組はもちろんのこと、その横で髪を撫でつける仕草が色っぽい20代後半の女性の背中も、一見するとキャミしか見えないもののよーく観察すればあの妙なる線が浮き上がってくる。横断歩道の向こう側で同じく信号を待つ女性たちの透けブラは見えるはずがないけれども、ピンク色のリュックサックを背負った女子大生の上半身を膨らませる丸い二つのものの大きさや、その後方で日焼け止めを塗っている30代後半の熟し

    精子がしゃべった
    valinst
    valinst 2014/10/03
    これが文才か
  • 精神科慢性期病棟で働いて一年経った(長文)

    昨今では忌み嫌われる長文で、たいして面白くもない内容なので誰も読まないだろうが、それでいい。 軽く自己紹介。精神科病棟で働きはじめて一年になろうとしている。看護助手の契約社員。今年で21歳になった。 一浪して合格した、世間的には難関と認識されている、都内の有名私立大学()を半年で退学して、今の職場に入った。高卒資格なしで将来っていけるか不安なので、不況でもいっぱぐれないと聞く、看護師を目指そうと今は考えている。それ以前はコンビニのアルバイトと日雇いの倉庫作業くらいしかしたことがなかった。退学した理由はくだらない。授業に出席せず、単位取得における必須出席率(三分の二)に満たなかったので、留年がほぼ確定していたからである。受験当初から志望校などなく、勉強もさほどせず、たまたま合格した大学にとりあえず入ったという塩梅で、絶対に卒業しなければならないという意志もなかった。中流家庭で経済的には比

    精神科慢性期病棟で働いて一年経った(長文)
  • 「巨嚢」という仮定

    俺は男性であるのだが、近親のものに巨乳と呼ばれるものがおり、その不便さについて常々力説されていた。下乳に汗かいて不快だし、痴漢にあう確率は飛躍的に上がるし、とにかくいいことない、と。まあ人がそう言うのなら別にいいこともないんだろうなあと思っていたのだが、今日、天啓のように「巨嚢」という概念が下りてきたので、それをベースに考えたい。 巨嚢とは文字どおり、金玉袋がものすごく大きい状態のことである。どれくらい大きいかはよくわからないが、とにかくでかい。おっぱいと比較してどう触り心地が違うのかはいまひとつ判然としないが、まあでかければそれなりに触り心地もいいかもしれない。くさい、という問題はどうするのだろう。 まあそれはいい。あくまで仮定の話だ。 でだな、思春期になると男性は陰嚢が肥大する。しかしその肥大のしかたには個人差がある。基的にはでかいからいいということもない。わりと邪魔だ。しかし女子

    「巨嚢」という仮定
  • お金が大好きだった

    ぼくは小さいころお金が好きだった。母子家庭で家が貧乏だったからだと思う。電気やガスを止めたり、おやつをうちだけ少なくしたり、母に徹夜で内職をさせる。不憫だ、子どもが不憫だと時おり、母を涙させる。そんなお金の力に引き寄せられたのかもしれない。 小学校二年生までのぼくの趣味は、おこづかいや、数少ない親戚から年に一度もらえるお年玉、たとえば数千円。それを両替機で崩すことだった。全部10円に。お金が増えるのがすきだった。受け皿に硬化が落ちてくる、あのジャラジャラッ、という音もすきだった。全部10円玉になると、店のおばちゃんに数十枚の銅色の硬化を渡した。きびすを返し両替機に銀色の硬化をまた突っ込んだ。繰り返し。迷惑なはなしである。 小学校三年生に上がると、その行為がまったく無意味だと悟った。今度は当の意味でお金を増える方法をかんがえはじめた。勉強にも友達にもそれほど興味はなかった。 最初のぼくのビ

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  • カラミティ・レッド

    今日、仕事を休んだ。9時始業なのでもう皆働いているだろう。私がいないことは影響がないだろうと判っているけれど、ちょっとでもいたほうがよかった、と思えることがあればいいのに。 地方のIT関連企業……そう、たしかにIT関連だな。そこでへっぽこSEとして12年働いてきた。ここにきていろいろ心が疲れることが多くなってきた。結局、どんな仕事でも最後は金の話だ。給料も含めて。自分自身を経営すると考えたらすこしでも高く売るのが正解だろう。しかし地方では売り先も少ない。愚痴。コンピュータが好きだったのだけれどそんなのは最後の話でそれまでに延々金の話が続く。そこを解決してやっとコンピュータの話だ。最近はそれもちょっと変わって、大手がとってきたのが回ってくるだけになった。それだって一番安くした協力会社が選ばれる(?)だけのことだ。顧客からしたら大手と取引したつもりだろうが、実際は10年前と変わらず、地場のうち

    カラミティ・レッド
  • 三四十年前に当時としても(正直いうと今考えても)キラッキラッした名前..

    三四十年前に当時としても(正直いうと今考えても)キラッキラッした名前を付けられた私から、元増田に頼みたいことと言いたいことがある。 頼みたいことは簡単なことだ。 将来あなたがその姪御さんと普通に親戚付き合いするようになったとしても、決して名前について触れるな。 その名前が原因で避けてたなんて言うな。 姪からしたらそんな叔父の存在を知るだけで、馬鹿らしかったり、呆れたり、叔父を切り捨てたくなったり、よい感情はない。 あなた自身のためにも、言うな。 この下に言いたいことを書くが、言いたいことのついでに自分語りもするので後は読まずに無視してくれて構わない。 一行目にキラッキラッした名前だと書いたが、私の名前は私の年齢にしては非常に日人らしくない。 幼稚園の先生に笑われ、中学では男子にからかわれ、英語圏にホームスティに行けばホストファミリーにそれはあなたの当の名前なのかときかれるような名前だ。

    三四十年前に当時としても(正直いうと今考えても)キラッキラッした名前..
    valinst
    valinst 2014/03/18
    親がバカなのが元凶なのは変わりなし
  • 割烹 「すたっぷ」

    都の西北、早稲田。学生でにぎわう、学究の街だ。 そんな街の路地裏で、今日も小さな店に灯りがともる。 店の名は「すたっぷ」。 「いらっしゃいませ」 暖簾をくぐると、店の女将、小保方さん(52)が割烹着姿で出迎えてくれた。 「実は、私も昔は研究者だったんですよ」 女将はお燗をつけながら、笑顔で語りだす。 「あの頃は夢がありましたね。自分の研究で世界中を幸せにするんだって」 聞けば、彼女は博士号を持つバリバリの「リケジョ」だそうだ。 専攻は再生医学。日有数の研究機関で実験三昧の毎日を過ごしていた。 そんな彼女に転機が訪れたのは、30歳の頃。 学会では存在すら疑われていた「万能細胞」なるものの精製に成功したのだ。 発表と同時に話題となり、マスコミにも取り上げられたという。 「でも、それがボタンの掛け違えの始まりでした」 遠い目をする彼女。手に持ったお燗用の三角フラスコがかすかに震える。 発表を急

    割烹 「すたっぷ」
  • 絶望感がすごい

    年齢相応の生き方みたいなものに興味はないつもりだったが、昨年の末くらいから何故かとても気が重い。 具体的に言うと、三十路も半ばになって独身童貞ぼっちなのだが、(とりあえず童貞は置いておくとしても)独り身で居ることが辛く感じるようになって来た。 今までこんなことを悩んだことはなかったし、悩んだ所でキモヲタでブサメンでピザでハゲでワープアでヘタレのおっさんである自分にとって、誰か相方を見つけるというのはとてもとても遠い所にあるゴールにしか思えない。それはとてもよく解っている筈なのに。 まず、どうすれば年齢相応の交流を広げられるのかがまったくわからない。何かを楽しむという感性が薄くなってしまった自分にとって楽しめるのはゲームだけだが、この歳でゲームコミュニティなんてただ浮くだけだ。それにただ長くやっているだけで、熱心にやっているわけでもないので、すぐに話題が続かなくなるだろう。 次に、自分みたい

    絶望感がすごい
  • マッサージ店だと思ってたら風俗店だった