ミステリなんか最たる例で「犯人」「動機」「トリック」「結末」っていう3分もあれば説明できてしまう情報を知ってしまうだけで作品を楽しめなくなってしまう 3分で説明できてしまう内容を知るために読書しているわけではないはずなに
ミステリなんか最たる例で「犯人」「動機」「トリック」「結末」っていう3分もあれば説明できてしまう情報を知ってしまうだけで作品を楽しめなくなってしまう 3分で説明できてしまう内容を知るために読書しているわけではないはずなに
邪魔だからつけないで欲しい。 私は小説を読んだ後にぼんやりしながら内容についてあれこれ考えて楽しむのが好きだ。 解説を読んじゃうと自由に考えられなくなるような気がして邪魔でしょうがない。 こんなこと言うと解説読まなければいいじゃんって話になるわけだけど。 几帳面というか完璧主義というかそんな感じの性格のせいでどうしても解説まで読まなきゃ気がすまない。 だから物語を読み終えたら一度本を置いてぼんやりしようとする。 だけど解説を読まなきゃという気持ちから、ぼんやりと考えるというよりさっさと考察を済ましてしまわなければいけない気になって全然楽しめない。 取り外せる付録みたいになっていたら、読まずに済むかもしれない。
よくブログで自慢気に「毎月100冊本読んでます」とか言う奴いるけどさ 俺がそこの何に感心するかって"本を100冊読む努力"より"読みたい本を100冊も探せた事"なんだよね。 前は「少しの知識欲さえあれば読みたい本なんていくらでもできるだろ」と思ってたけどさ。 最近暇ができていざ読書習慣をつけようと本屋行ったら何も読みたい本がないのな。 なんか"胡散臭い政治本" "超絶難しそうな技術書" "胡散臭い自己啓発書"しか眼に入ってこない。 小説という手もあるが個人的に物語は小説より映像派なのであんまり… ベストセラーコーナーもなんか「ブログにでも書いてろよ…」ってレベルの新書が並んでる。 仕方なく本棚から探していくんだが砂漠でコンタクト探してる気分だ。 でもAmazonで探すと個人製作の電子書籍も混ざるからもっとひどい。まあたまーに個人製作電子書籍でもいいのあるけど。 結局漫画買って帰ってきたわ。
http://anond.hatelabo.jp/20130722232503を読んで、どうしても一言書きたくなったのでアカウントを取得した。 少々夢のない話もするので、そういうものを目にしたくない場合はどうかここで引き返してほしい。 これもはっきり言っちゃうと、ラノベ作家さんって思ってる以上にしたたかで卑屈で小賢しい人が多い 悪く言うと俺たちの顔色をうかがってくる人やハナから尻尾を振っちゃってる人ね こっちが何も言わないでも勝手に売れ線を意識してくれる人なんかたーくさん あきらかに斜め上の企画は無理だけれど、気持ちの入った真っ直ぐな作品ならちゃんと会議にかけてあげるのにさ まず、最初に簡単な補足から入る。 ラノベの場合、編集部にもよるが作家側から企画ないしプロットの提示をする。それを担当編集者が読んで、商品として通用する企画と判断されれば編集会議にかけられる。その上でGOサインが出て、作
hatena内でオススメのSFをリストアップするのが流行だ。 ホコリの被った旧作(「古典」ではない)ばかり挙げられていて本当に辟易する。 SFはアイデアの新奇性、センス・オブ・ワンダーが重要なのであって、 今さらヴェルヌやウェルズを読んだところで、価値はない(ギブスンやディックも同様)。 そしてこういう「オススメSF」の話題になると必ず出てくるので『夏への扉』を薦めてくるやつだ。 はっきり言えるが『夏への扉』を薦めるやつは見る目がなく、センスに欠けていて、信用できないってことだ。 私もその手合いに騙されて、貴重な時間を無駄にしてしまった。 『夏への扉』は読まなくて結構。今からその理由を端的に3つ述べる。 『夏への扉』は決して猫小説ではない。『夏への扉』は猫好きなら読んでおくべき、みたいな薦め方もされる。 読んでみて驚いたのだが、これはまったくもって猫小説ではない。 なぜなら猫はストーリーの
この文章がまわりまわって太田さん本人に届けばいいなと思って書きます。爆笑問題太田光が村上春樹の大アンチであることはよく知られている。僕は昔、太田の熱心なファンだったし、村上に関しては今もファンなので、太田の執拗な村上春樹批判には正直言って、ものすごく傷つけられている。はじめて太田が村上を批判したのは2000年ごろのTBSラジオ爆笑問題カーボーイだったか。その時は「あのね、オレ、村上さんの小説は学生時代からほとんど全部読んでるんだけど、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドとか好きなのもあるんだけど、よくわかんないんだよね。みんなが良いって言ってるんだから、オレ一人ぐらいわかんないって言ってもいいでしょ?」といったていどのソフトなものだった。おそるおそる、という感じ。その後年齢を重ねる度にどんどんエスカレートしていった。一年後。「村上春樹の小説は中身がない。よくわからない。でも自分の好
たとえば「読書が好き」という。 すると「年間何冊読んでるの?」と聞かれる。 「読むの遅いから月3冊で…まあ40冊いかないくらいかなあ」と答える。 次に来るのは「えっ、そんな少ないのに読書好きって言えるの?」 以下 「好きな作家は?」 「えーと、伊坂幸太郎とか、村上春樹かなあ」 「えっ、そんなメジャーなのしか読んでないのに読書好きって言えるの!」 「じゃあさ、伊坂幸太郎の経歴でさ、こうこうこういうのあるじゃない?あと交友関係が〜で…」 「あ、ごめん、作者のことはよくわからない。既刊は全部読んでるけど…」 「えっ、作者の周辺情報も知らないで読書好きって言えるの!」 自分は「読書が好き」としか言ってない。 本を読むのが好き。 でも「そんなので読書が好きって言えるの?」っていうのは、どういうことなんだろう。 好きというのに資格がいるんだろうか。 読書にかぎらず、漫画でも、アニメでも、ゲームでも。詳
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く