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歴史と戦争に関するIKANOicardoのブックマーク (2)

  • 「小さい人」をだますな 優しいのっぽさんの静かな怒り 感じた現代の

    5月、ある訃報がもたらされた。NHKの子ども向け工作番組「できるかな」などで人気を博した高見のっぽさんだ。のっぽさんは子どもを「小さい人」「おチビさん」と呼び、「小さい人はとても賢い」と言っていた。のっぽさんへのインタビューを振り返ると、その理由の一つに、自身の戦争体験が横たわっていたのが見えてきた。【江畑佳明】 生前最後の取材で語ったこと のっぽさんは昨年9月10日、心不全により88歳で亡くなったが、公表は今年5月10日。人の「半年は伏せてほしい」いう遺志があった。私たちは昨年7月21日、のっぽさんにインタビュー取材をしていた。亡くなる約50日前のことだ。後で聞いたところでは、これが最後の取材になったという(紙面掲載は2022年8月22日夕刊)。 取材の目的は「戦争の記憶」を聞きたかったから。終戦時に11歳だったが、その体験を語り出したのはつい最近のこと。2015年に出版された「私の『

    「小さい人」をだますな 優しいのっぽさんの静かな怒り 感じた現代の
    IKANOicardo
    IKANOicardo 2023/08/11
    侵略ではなく今の戦争は国防っていうが、先の大戦時だって欧米列強から侵略されず国体護持するにはって理屈で侵略した。権力はどうとでも言う。結局国民が果てしなく地味に政治と歴史の学びを深めるしかない。
  • 「一切言うな」隠された大地震…戦争末期に発生 1200人超死亡 報道されなかった理由とは【和歌山発】|FNNプライムオンライン

    太平洋戦争の末期、紀伊半島沖合の南海トラフを震源とするマグニチュード7.9の巨大地震が発生し、1200人以上が亡くなった。 しかし、当時被害はほとんど報道されることなく、“隠された地震”と呼ばれている。 どうして被害は隠されたのか? 終戦77年を迎え、その背景に迫る。 今では当たり前の災害報道 戦争末期の「昭和東南海地震」では… 災害があった時、新聞社が駅を行き交う人に「号外」を配ったり、テレビでは「地震情報」などの速報を出したりするなど、視聴者や市民に対して、さまざまな形での災害報道が今では当たり前に行われている。 この記事の画像(21枚) 1944年12月、太平洋戦争末期に発生したマグニチュード7.9の「昭和東南海地震」。 大きな被害が出たにもかかわらず、ほとんど報道されなかった 8歳の時、和歌山・那智勝浦町でこの地震を経験した田中弘倫さん(86)。 学校から帰宅した後、“すさまじい揺

    「一切言うな」隠された大地震…戦争末期に発生 1200人超死亡 報道されなかった理由とは【和歌山発】|FNNプライムオンライン
    IKANOicardo
    IKANOicardo 2022/09/01
    何が怖いって別に軍部が箝口令を敷いた訳でもないのに市民が「自発的に」話題にしないようにしている事だと思う。生死が関わっても人間の心は恐怖でここまで完璧に縛られるし、報道や表現の自由は命に直結してる。
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