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宗教と増田に関するLycoris_iのブックマーク (8)

  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
  • なぜ葬式は死後数日でやるのか。

    通知を出して半年後とかではダメなのだろうか。 もちろん遺体の焼却はさっさとしないとだが、初七日とか四十九日もぴったり7日や49日でやらないんだし、拘らなくてもよいのではと思う。 式を執り行うことに意義があるだけで、そこに遺体は必要なのだろうか。 墓石がない墓が一般的だし、六文銭も最近はただの紙だし、そろそろ遺体レスの葬式も発案できると思うのだが。 数人分まとめてできる分、葬儀費用は安くなるだろうし、式場や寺も計画的な業務が出来るようになる。 婚姻届は24時間いつでも受付ていても、結婚式は「明後日やるからよろしく!」なんてことはない。 葬式ももう少し考えたらどうか。 追記 巷で言われるほど、葬儀の高さに文句はない。 創価学会は葬式が安いらしいが、その他の機会に吸い取られるし、クリスチャンだって毎週教会に通ったり、なにかの折りに寄付をしたりと、どんな宗教でも金はかかる。 普段なにもしないぶん金

    なぜ葬式は死後数日でやるのか。
  • 日本人は宗教に寛容とかいうけれど

    多数派の日人は「クリスチャンだから毎週日曜日は必ず教会に行く」とかいう人を、なんとなく敬遠したりするんじゃないかという気がする。 厳密に浄土真宗の教義に厳密に従って「初詣はしない」とか、「霊魂など存在しない。葬式というのは死者の魂を供養するものではなく、残された者たちが心を整理し、生き方を考える場所」とか主張したら、たぶん、メンドクサイ人と思われて友達減りそうだ。 なんか、日人が寛容と信じている「宗教に対する態度」ってのがあって、それに外れている人に対しては、結構不寛容じゃなかろうか。 まあ、厳格なイスラムの国とかに比べれば、全然寛容なんだろうが。

    日本人は宗教に寛容とかいうけれど
    Lycoris_i
    Lycoris_i 2016/02/11
    「日本人」をどう定義するのか微妙だけど、別に寛容ではないと思う。
  • 教養を持つためには、自己の内面を掘り下げていかねばならない

    http://anond.hatelabo.jp/20131101091839 例の宗教の関連記事「大学に何しに行ってるんだろう」に割と同意。 東洋経済の元記事も読んだけど、大学生に限らず一定の社会的立場を得る人なら誰でも、教養を持つことが望ましいと思うんだよね。 この教養って、単に古典を知ってるとか知識を表面的になぞるだけではなくて、それを自分のものとして消化し身につけなければならない。 そうした中で、子供のころからなんとなく持ってきた価値観や常識を、もう一度根元まで掘り起こして新しい知識とともに再構築する作業が必要になってくる。 この掘り起こして再構築という作業の中で、最も根元に近いものが、宗教観なんじゃないかな。 もちろん、自分を見つめなおし余計なものを削ぎ落としていくという作業は困難で、痛みを伴うもの。 価値観を揺さぶられることに抵抗がある人が多いのは当然だし、とくに根元の宗教観に

    教養を持つためには、自己の内面を掘り下げていかねばならない
  • 例の宗教の記事について

    http://www.tokuteishimasuta.com/archives/7385048.html 「宗教信じてる?」 「いいえ」 「じゃあ持ってるお守りハサミで切って」 「できない」 「は?」 最近、上の対談がすごく話題になって、件の大学教授が叩かれているが、俺はこの大学教授を叩いてるやつが理解できない。 この記事で大学教授を叩いてるやつは大体以下のどれかに分類されるが、3以外全て批判として的外れだ。 1. 日は八百万の神っていうアニミズムの信仰があるのをこの教授は理解していないよね? 2. 宗教と信仰は別だろ?無宗教であっても、こうしたアニミズム信仰を持っているのはおかしくないし、その点で無宗教と信仰は両立可能。 3. 「思い入れ」があるから切りたくないだけで宗教の問題じゃないんじゃね? これって「ものを大切にしたい」という道徳感情に由来しているだけなんじゃないの? 4. そ

    例の宗教の記事について
  • 「宗教は悪だ」とバス内で幼児に教えていた親の話

    「ねーお父さん、しゅうきょうって何?」 「宗教はね、生活とかをめちゃくちゃにして、よくない考えを押し付けてだめにしちゃうことなんだよ」 幼児は三歳?四歳?五歳?とか小学校一年とかそこらへん。バスで後ろの席だったのでじろじろ見れなかった。 父親は普通のサラリーマン風。場所は休日の、政令指定都市の中流住宅街を通るバスの車内での出来事。 なんかうまく表せないんだけど、すごくもやもやした。 お父さんよ、あなたが言ってるのはカルトとか新興宗教のことだろう… それを十把一絡げにしてはいけない。 最近はこういう思想の人が多いんだろうか。 文化とか歴史とか芸術とか音楽とか文学、国のなりたちとかを学ぶうえで宗教は切ってもきれない関係にあると思うのだけれども それと幼児の問いかけは無関係なのだろうか? 問いかけにうまく答えられない父親の思考停止としかとれない答えに非常にもやっとした。 うまく言い表せないのだけ

    「宗教は悪だ」とバス内で幼児に教えていた親の話
  • 神様はいてもいいと思う

    わりと、幽霊も宇宙人も信じない僕だけど、神様は信じてる、というか信じたほうがいいんじゃないかと思う。 世の中には、生きた証を残したい、という人がいる。 みんなに認められたい、と思う人がいる。 僕がどの程度そうであるかそうでないかは別として。 そんな人たちは、認められなかったら落ち込んで、馬鹿にされたら怒って、褒められたら舞い上がって、他人にどう思われたかで自分の価値を勝手に浮き沈みさせている。 「あなたが、世界中の人たちに讃えられようが、あなたが世界中の人たちに大嫌いと言われようが、おいしいご飯をべていい汗をかいてぐっすり眠れば、それでいいじゃないか」と言っても聞き入れない。 彼らが救われるにはどうしたらいいかを考えると、とても難しい。 人は、そんなには賢くはなれない。 僕だって、面と向かって嫌いと言われたら、気にしないでいられるかといったら、きっとウジウジと気にしてしまう。 寝る前に、

    神様はいてもいいと思う
  • 冥福は祈るな

    「ご冥福をお祈りいたします」を意味も分からず、安易に使う奴が多すぎる。「深くお悔やみ申し上げます」じゃいけないの? この言葉、「死後の世界での幸福を祈る」という意味なので、死後、信者は必ず幸せになると教える宗教の人には、ひどく失礼な言葉。例えていえば、小学校の卒業式で、「中学校も無事卒業出来るようにお祈りいたします」って言ってるようなもの。中学校は基的に全員必ず卒業できるのに、わざわざ卒業をお祈りされるという事は、「お前のような低脳が中学校なんかに行くべきではない」という皮肉に取られてもおかしくない。 同じように、死者は、生前いかなる悪行を犯そうとも、必ず天国に行ける、と教える宗教の人に「ご冥福をお祈りいたします」と言う事は、「故人は生前酷い悪行を犯したので、天国へ行くべきではない」と言う皮肉に取られてもおかしくない。つまり、「地獄に落ちろ!」と同じ意味になる。 そもそも、死後の世界の幸

    冥福は祈るな
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