おいしいですね
メーカー勤務のエンジニアがいかにキャリアチェンジに失敗し、価値観の転換を迫られ変化しつつあるかについて記す。 話は2009年頃にさかのぼる。リーマンショックと円高、さらには震災により日本の電機業界は縮小を余儀なくされ、度重なる大手企業のリストラ報道に触れることで自らのサラリーマンエンジニアとしてのキャリアの継続に不安を覚えるようになった。 それ以前から自らのスキルの中核が会社の本業とは少しずれたソフトウェア、Webよりのところにあることを自覚しており、その分野での知識、経験を伸ばすことでエンジニアとしての成長、生き残りの手段と出来るのではないかと考えるようになった。 もともとネット依存な傾向と学術的な活動への未練があってはてな界隈でのの情報収集を行っていたのだが、その中で見いだしたのが機械学習関連の勉強会であった。Web業界を中心とした技術勉強会は2008~2009年頃からツイッターなどの
騒動についてはじめに、今回の騒動について語る。ついにスラドに取り上げられたので、以下のスラドを見れば大まかには分かるだろうが、多くの人が事実を誤解していると思うので、釈明したい。 「年功序列などで働きづらい」として転職した元日立社員、転職後「日立のほうが良かった」と後悔して話題に | スラド 現職VA Linuxに入社後すぐ、もう一年前のことになるが、素晴らしい功績をスラドに取り上げられて(第9回日本OSS貢献者賞・奨励賞の受賞者、発表される | スラド)、いよいよ開発者としてキャリアを始めようかという時にこの惨事なので自分の社会不適合性が嫌になる。私は過去にも散々、掲示板やSNSなどでやらかしてきた。しかし私は根っからの異常者ではない。私という人間に興味があって会う人は口々に「ふつうだ」という。ネット社会の私が、完全な異常者なのだ。ちなみにリアルの私は、自己評価になるが、極めて素敵な好青
2014-05-24 デザイナーをやめてAV会社に転職した(前編) 23歳1990年生まれの生粋のゆとり世代 専攻は千葉にある工学系のデザイン大学でUIだのUXだの結構胡散臭い分野をやっていたと思う。サブカルだデザインだって明け暮れてたのもこの頃で、リーマンショックだなんだので13卒の就職活動は最悪だったと覚えている。リクナビで80社ほどエントリーして一日2,3件の説明会と面接をこなし、交通費を捻出するためのバイトに明け暮れ、現実にボコボコに打ちのめされた後、不動産という業種についてしまった。まさかデザインの勉強してたのに不動産と周囲の目線が痛かった。同期はCAとかGREEとか個人のデザイン事務所でアシスタントやったりとかだった。とても卑屈になった感じだった。 マセラティだとかマンションだとか はじめの会社は、俗にいう投資マンション販売というもので一日5〜600本近くの打電をして無差別にア
転職活動が修羅場というか理不尽過ぎて心が病んでしまった。 全ての求人が、必須条件として「JavaまたはPHPでの開発経験があること」の求人で、 ほぼ同じ求人内容に応募していることになる。提出している書類も同じ。 ■書類選考で不合格となった会社 ベルトラ株式会社 株式会社ベーシック 株式会社ユビテック 株式会社ぐるなび 株式会社hontoブックサービス 株式会社テコテック 日本コンピュータシステム株式会社 ピーシーフェーズ株式会社 株式会社オープンストリーム 株式会社ビジネスネットコーポレーション 株式会社アイ・エンター 株式会社ビジネスネットコーポレーション 株式会社アイ・エンター ヤマトフィナンシャル株式会社 株式会社デジタルチェンジ 株式会社オズビジョン 株式会社Gnzo 株式会社リアルワールド 株式会社アマナ 株式会社エスリンク 株式会社ATGS 株式会社エスエスサポート 株式会社テ
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