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興味深いと考察に関するamalicheのブックマーク (2)

  • 創作における模倣の権利とは何か? - 2008-07-04 - ざわ☆生活手帖

    二次創作の、権利関係の規制の流れに関連して。 今回の記事の表題は、私が卒論の題として一回は提出したものの、膨大すぎて結局中断したタイトルである。 小6で同人誌というものを知って、自分でも「同人小説」を書くようになり、大学に上がってから、ずっと、このことを考え続けていた。 創作における、模倣の権利とは何か、と。 大学で文学を習えば習うほど、あるテキストと、後発の作品との影響関係の大きさを思い知る。 私の中にある、「これの同人を書きたいんだ」という衝動と同じものが、ありとある作者たちにとっても、共通のものではないかと考えていた。それはほぼ確信に近く、その熱なくしては、新しい表現というものは生まれてこないのではないか、と思うほどだ。 同人を書く、今の状況なら「二次創作をする」と言い換えた方がこなれるだろうか、ともかく、それらの行為をするということは、「人間が人間であることの所以である」というぐら

    創作における模倣の権利とは何か? - 2008-07-04 - ざわ☆生活手帖
  • 「日本人は縛り好き」限定したルールのなかで想像もつかないことをする人々 - Catch the cow

    そは何ぞ日人の特性が身の回りにあるものに工夫を加えて何かを作り出すことだとしたら、アニメやゲームネタが参加者にとってもっとも身近な材料だったのでしょうから、そういった投稿が多くなるのは当然のように思えます。引用:うつせみ日記 日のどこにでもいる「才能の無駄遣い」結局は似た結論に辿り着くのだけれど、やや違った角度から日人の才能の無駄遣いの理由を説明してみたいと思った。日人も外国人(英語圏の人々)も、才能の無駄遣いはする。ただし、その方向性が違うのではないかと思う。英語圏の人々が、新しいルールを考え出すのが好きな民族なのだとしたら、日人は、ルールを限定するのが好きな民族なのだ。(それが氏によるものなのか、育ちによるものなのかはわからないけれども。おそらくはその両方なんだろう。)この発想の違いを示す端的な例として、どこかで読んだのは、次のようなものだ。日郵便物を出すとき、あて先は広

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