ブックマーク / inochidaiji.hatenablog.com (2)

  • スキルス性胃がん 寛解 - 胃がん克服ママいずみの胃がん体験といのちの話

    胃がんから丸5年 手術入院中に、「スキルス性胃がん」と検索したら、生存率が10〜20%と出てきた時のショックは、今でも鮮明に憶えています。 5年後に、自分が生きていない可能性の方が高いのか、、、 手術後の細胞検査では、胃の皮ギリギリまでがんは進行していたけれど、なんとか外側に飛び出していないことが判明しました。 自分のいのちが、ギリギリのラインで助かったのか、、、 タチの悪いがんだったため、抗がん剤のTS-1を1年ほど服薬しました。 5年後に生きている可能性を高めるために 抗がん剤が終わっても、定期検診はかかさず行っていました。 3ヶ月おきの血液検査 半年おきの造影剤CT検査 1年ごとの胃カメラ検査 大腸、子宮、乳がんの検査 毎回、何も見つかりませんようにと、祈る気持ちで受けました。私よりも、家族の方がこの想いは強かったと思います。 夫や両親、そして娘に心配をかけ続けてきました。 日、寛

    スキルス性胃がん 寛解 - 胃がん克服ママいずみの胃がん体験といのちの話
    aoikara
    aoikara 2019/11/28
    良かったです。本当に。
  • 修学旅行の怖い思い出 - 胃がん克服ママいずみの胃がん体験といのちの話

    今週のお題「修学旅行の思い出」 小学校の修学旅行で広島へ 当時、京都市の小学校では折り鶴を折って、広島の平和公園に行くのが主流でした。 広島と言えば宮島は外せないスポットにもかかわらず、私たちの学年は何故か宮島へは寄らずに、大久野島という島へフェリーに乗ってる渡りました。 大久野島とは 大久野島 - Wikipedia 簡単に言うと、 ウサギと毒ガスの島 平和学習の一環で、私たちは被爆者のおばあちゃんのお話を聞いたり、毒ガス工場の跡地を見学しました。 その夜、、、 修学旅行の夜なので、それはそれは盛り上がりました。 写真撮影のカメラマンが回ってきて各部屋の集合写真を撮ってくれました。 その方が部屋を去る時に窓の方を気にしながら寝る時は障子を閉めときやーと言ってました。 散々話したあと、ようやく寝ることにしました。 何人かの寝息が聞こえてきて、私もウツラウツラしていたら、1人の子が寝言を話し

    修学旅行の怖い思い出 - 胃がん克服ママいずみの胃がん体験といのちの話
    aoikara
    aoikara 2018/06/05
    修学旅行先としてよく訪問される京都の方はどんなところに行くのかな、と思っていたので興味深く読ませていただきました。
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