タグ

アートと社会に関するarihoshinoのブックマーク (8)

  • 排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン

    排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザインオリンピックに向けて東京の各所で再開発が進行した10年代。街には公共的で開かれるように、多くのベンチやパブリック・アートと思わしき造形物が登場した。しかしながら、それらの存在は、特定の人々の排除のために作用する「過防備」の一旦を担っているとも言える。これらを「排除アート」としての視点から研究する建築史家の五十嵐太郎が、都市機能としての不寛容さを指摘する。 文=五十嵐太郎(東北大学大学院・教授) 京王井の頭線渋谷駅前のオブジェ 近年、排除アートが増えているというニュースが散見される。路上、あるいは公共空間において、特定の機能を持たない、作品らしきものが、その場所を占拠することによって、ホームレスが滞在できないようにするものだ。もっとも、こうした現象は最近始まったわけではない。16年前、すでに筆者は『過防備都市』(中公新書ラクレ、20

    排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン
  • Private Site

    Build a website. Sell your stuff. Write a blog. And so much more.

    Private Site
  • 郊外の絶望から、文化が生まれる - 都築響一 | あしたの郊外

    都築響一 1956年、東京生まれ。76年から86年までポパイ、ブルータス誌で現代美術、建築、デザイン、都市生活などの記事をおもに担当する。89年から92年にかけて、1980年代の世界の現代美術の動向を包括的に網羅した全102巻の現代美術全集『アート・ランダム』を刊行。以来現代美術、建築、写真、デザインなどの分野での執筆活動、書籍編集を続けている。1993年、東京人のリアルな暮らしを捉えた『TOKYO STYLE』刊行。1996年発売の『ROADSIDE JAPAN』で第23回・木村伊兵衛賞受賞。現在も日および世界のロードサイドを巡る取材を続行中である。 僕の感覚でいうと、日の一割くらいが都市で、田舎が3割くらい。あとは郊外という感じがします。人口密度がどうとかではなくて、文化が郊外型というところが6割くらい。郊外型の文化なり日常なりというのは、今の日で一番大きいものですよね。商店街じ

    郊外の絶望から、文化が生まれる - 都築響一 | あしたの郊外
  • 日本は芸術の「社会的役割」を理解していない

    ずっと「死」が基的なテーマ ──ぎょっとするタイトルです。 死がずっと基的なテーマになっていた。20代の後半で死亡広告を出したり、自殺したポスターを作ったり。最初の作品集が『横尾忠則遺作集』であり、普段の物の考え方にも、自分を死んだと仮定して、死後の世界から生の世界を見ている発想がある。一般の人は死をひとごとと考えていて、自分のことと考える人は少ない。でも僕の年齢になると、ことさらリアリティを持ってくる。ついこの先のドアを開けると死の世界があるように身近に感じる。 ──死後の世界から見ている発想とは。 生きていれば楽しいこと、苦しいことがあるかもしれない。だが、どちらを選ぶかは人次第とはいえ、世の中に苦しいこと楽しいことは実はそんなにない。第三者的に見れば苦しくもないことに苦しみ、それが人にとっては大問題だったりする。来は大自然の中でどれが美しくてどれが醜いかなどなく、ただ存在し

    日本は芸術の「社会的役割」を理解していない
  • 芸術は人権を侵してもいいのか?

    芸術は-自由で「無私」の活動であるがゆえに-人権を侵害してもいいのだろうか? もちろん、いいわけはない。芸術に許されている法律上の「自由」とは、それ自体が基的人権の範囲を超えることはありえない。だから表現の自由は、原則的にはそれが他人の生存を脅かさない限りにおいてのみ認められる。法的な議論においてもその表現が「美的」「芸術的」であるかどうかがまったく勘案されないわけではないが、何を「美的」「芸術的」と考えるかは人によって意見が異なるので、多くの人が認め既に社会的通念となっている美や芸術の概念に依拠せざるをえない。 けれどもそうした概念は、新たな美や表現の可能性を生み出すべく格闘しているアーティストにとっては、しばしば通俗的で形骸化したものに見える。そんな形だけのものではなく、自分たちの求めているものこそ当の美であり芸術であると、アーティストや彼らを支持する人々は主張したいのである。この

  • 会田誠さん作品に改変要請 美術館、子ども向け企画展で:朝日新聞デジタル

    東京都現代美術館(東京都江東区)で開催中の子ども向けの企画展で、現代美術家・会田誠さん一家による文部科学省への批判を書いた作品について、館側が会田さんに改変などを要請していたことが24日、わかった。子どもにふさわしくないなどとする館側に対し、会田さん側からは現状のまま展示できない場合は撤去もありえるとの考えが示されている。 企画展は18日に始まった「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展。夏休み向けに館が企画し、4組の作家が参加している。会田さんは、と中学生の長男と共に「会田家」として参加。3人が感じている学校制度への不満などを、白い布に毛筆で「文部科学省に物申す」と書き、「もっと教師を増やせ」などと訴える作品「檄文(げきぶん)」が問題視されている。 都生活文化局の担当者は「会田さんの展示全体として小さい子どもにはどうなのかという声が美術館と都側から上がり、展示内容の見直しを要請

    会田誠さん作品に改変要請 美術館、子ども向け企画展で:朝日新聞デジタル
  • お騒がせ首都大「ドブスを守る会」に別ターゲットも存在 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    首都大学東京システムデザイン学部4年の男子学生2人が、「ドブスを守る会」と称して撮影した一般女性の動画を動画投稿サイトに公開していた問題で、学生らが身体障害者の女性や高齢者も笑いのターゲットにしていたことが新たに分かった。同大は原島文雄学長名の謝罪文をホームページに掲載したが、学生らは一連の活動を「アート」と“曲解”していたフシもあり、そうだとすれば問題の根は深い。(夕刊フジ) 学生らは今月初旬、道行く女性に「雑誌の撮影」などと声をかけて動画を撮影。その後、「ドブス…」という会の名称を名乗り、画像削除を求める女性と、それを嘲笑する自分たちの姿を動画に記録・公開していた。被害女性は15人で、そのうち2人が素顔をネット上に公開された。 だが、学生らの愚行はこれだけではなかった。仲間内で情報交換するサイトを通じ、身体障害者の女性と健常者の女性の反応を比較することまで計画していたのだ。「ドブス…」

  • 芸術家の内海信彦先生と、弟子の中島「イチモツ」春矢を前に、ゲージツ論をぶちました。 - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 芸術家の内海信彦先生と、弟子の中島「イチモツ」春矢を前に、ゲージツ論をぶちました。 « 中島岳志さんとのロング対談「右の論理」が収録された書籍が間もなく上梓!! | 僕のツイート連投「鳩山小沢辞任分析」をまとめていただきました » 例によって宮台発言の一部のみ抜粋です。 内海さんとのスリリングなやりとりや、中島とのワイセツなやりとりを知りたい方は、次号の『情況』を買ってください。 ──────────────────────── 「シャカイとゲージツ」 宮台真司(社会学者)×内海信彦(画家・美学校講師) 司会:中島晴矢(美学校生) ──────────────────────── 宮台 よろしくお願いします。なんだよお前さっきのパフォーマンス続けてりゃいいんだよ。乱闘の中で対談するみたいな、誰も聞いてない感じにするんだよ、お前さぁ。

  • 1