ブックマーク / kame710.hatenablog.com (18)

  • 2018.2.3『日本辺境論』③ ブリコルール(オマケ) - カメキチの目

    カメキチの目 おもてなし、謙遜・謙譲、佇まい、温厚さ、静寂を愛する心はどれもわが身になじんでいる。 「蛙とびこむ水の音」さえも。 この国に生まれて育ったから自然に身についたことで、ちがう環境の中で生まれ育っていたら、またちがっていたと思います。 脳は「日人仕様」の配線になっているにちがいない。いくら「個人」の特性があるにしても、「環境」の影響は圧倒的だと私は思う。 まわりもほとんど同じだから、あえて問わない限り同じような感じ方をし、同じような行動をとっている。 私は、現代のような国際色ゆたかな中で育ったわけではないし、海外旅行(留学はもちろん)もしたことないので国際感覚はありません。 それでも旅ではよく中国台湾韓国の人にあいます(顔つきが日人と似ているので見分けがつかない。でも、大きなキャリーバッグを引きずっているかどうかでわかることもあります)。そして、生活習慣のちがいを見ること

    asukaksk
    asukaksk 2018/02/04
    国際感覚はないと仰っていますが,kameさんの器の大きさ、色々なものを受け入れる心の広さは間違いなくワールドワイドだと思います!
  • 2017.9.24 耳掃除 - カメキチの目

    カメキチの目 耳掃除。耳クソをとった。 (私が読者になっている方で、たいへんなことで悩んでおられるというのに、こんな気楽な記事かいてゴメンなさい) グーグル画像さんからお借りしました。 つい先日、ちょっと恥ずかしい話だけど、耳鼻咽喉科に耳掃除に行った。 じつは2年前にも行っているので2回目だ。 私の人生で、あくまで2回目のこと。 「耳掃除」。子どもみたいで、通院にはちょっと勇気が要りました。お願いですから「それくらいのことで…」と笑わないでください。 コトここにいたるまでには、いろいろあったのです。 「いろいろ」とはいっても、要は、家での耳掃除は痛いということです。私はああいう痛さは弱い、苦手です。打撲とかは強い(と思う)。 (私の内耳の器官は壊れているのですが、耳自体の痛覚はあり、敏感なのです) 障害者となって手の感覚が鈍いので、だいたいはツレに耳掃除をしてもらっているのですが、こんどは

    2017.9.24 耳掃除 - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/09/24
    耳鼻科って大人になるとホント行かなくなりますよね。自分は鼻に管入れられるのが子供の頃本当に苦手で耳鼻科行く度に泣いてました
  • 2017.9.17 つれづれの記⑪ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [暮らしと人びと③] 昭和30年代。初夏のころ。 稲の苗が伸び、田んぼいちめんが緑に覆いつくされたころ、突如、空からバリバリ耳をつんざく轟音が聞え、ビックリ! 音の主は? まさか戦闘機であろうはずがない。 では何か? ほとんど見ることもないヘリコプターだった。しかし、災害が起きてはいなかったので、救助ではなさそう。 では何のためか? 稲の害虫を防ぐため、農薬を散布するのである。 大規模な農地ではあれば空から「いっせいに」というのも効率上、うなずけます(アメリカでは小型飛行機で種をまいているところをテレビでみた)。 日のいまのばあい種ではない。農薬。れっきとした危険薬物だ。 小さなたくさんの水田が散布目標なのでピンポイントというわけにはいかない。的確に目標を狙い、たとえ当たったとしてもヤッコさんは爆弾や鉄砲玉ではなく農薬の粉。粉霧状の白い煙となり、風に乗って流れ、漂

    2017.9.17 つれづれの記⑪ - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/09/20
    「近代化バンザイ」、、、今の時代になってみると色々と複雑な響きです。
  • 2017.9.14 ナウマンゾウ - カメキチの目

    カメキチの目 先月の末、また旅に出た。 大きいのは(国内です)1年に2回だけ。2回のあい間に適当に小さいのをする。 退職しても、隠居の身分でも、人に頼られあてにされている方は忙しくたいへんだろうけれど、私はそういうこともなく、そのうえ平衡障害、付随して視界が揺れるほかいろいろな不快症状があるので、(ということを言いわけにして)まったく行動的でない。 活動的ではないが、ヒマでも退屈でもない。 かといって、「障害にもめげず…」ではちっともないです。障害を克服しようという意志はなく、甘んじている。が、歩けなくなっては困るのでそれなりに(気分におうじてコロコロ変わるけど)運動は少しばかりしています。 終日、家にてパソコンとにらめっこというのが圧倒的に多い日々(パソコンといいましたが、正確には「はてなブログ」)を過ごしている。 しかし、ずっと腰かけているのは身体によくないので、春とか秋は散歩する。

    2017.9.14 ナウマンゾウ - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/09/16
    ミサイル飛びまくってますね。ちょっとここ最近かなり不穏な空気になってますよね
  • 2017.9.10 つれづれの記⑩ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [暮らしと人びと②] 父は自営で山仕事をしていた。 ところが日社会は高度経済成長が始まる。 安い材木が大量に輸入され、父だけでなく、日の林業は立ちいかなくなった。 都会には多くの労働者に働いてもらうために住むところ、家を用意しなければならない。建てなければならないのだ。そうでなければ、第二次産業、つまり製造業は労働者不足で成りたたない。 農林水産。なかんずく林業なぞ、「国策」の第二次産業優先にかなわない。かなわないどころか切り捨てだ。 東南アジアなどからの外材は当時は豊富にあったし、「森林保護」も「地球温暖化」も「生態系保護」も今日のようには叫ばれていなかった。それに現地の労働者の賃金は日とくらべて格段に安いので、コストがかからず、内材がたちうちできようはずがない。並行して、 農業、水産業も軽視され、電気エネルギーを生みだすために、私たちのあまり知らないうちに

    2017.9.10 つれづれの記⑩ - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/09/13
    物心ついた時から「不景気、不景気」と周りの大人が言っている中育った世代なので、景気のいいイケイケ日本の時代の雰囲気とか、ちょっと体験してみたいですね。バブル期の空気とか
  • 2017.9.3 つれづれの記⑧ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [暮らしと人びと①] 伯父宅は長男だから、あばら家でもいちおう家というのだろう(すぐそばの次男である父の家、つまりわが家はもっとひどいあばら家だった)。 裏山の急な崖に張りついた粗末な家で部屋数は少なくても、父の姉弟妹(私には伯母叔父叔母)が大勢いた。 「大勢」とはいっても、小さな家のことだから、しれている。 幼い私には、貧乏生活でも身内が大勢のにぎやかな暮らしは楽しかった。イヤな思いではひとつもない。 幼いときの生活、体験は、もとから選べようはずもなく、ただ与えられる一方だから、不平不満というものは起こりようもなかったのだろう。 以降の成長で味わった数々の生活体験も、だいたいのことは「そんなものか…」とやり過ごし、不満をこぼすことはなかった。 長じて友だちがうまいものをべ、車に乗り、楽しそうに遊んでも(やせ我慢ではないです)うらやましいとは思わなかった。 「よ

    2017.9.3 つれづれの記⑧ - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/09/03
    確かに、発展すればするほど人の心は病んでいってる気がするんですよね。自分は昔旅やってたんですが、発展している土地の方が人が悩んでいますよね。競争社会に組み込まれ多くを求めてしまうからなんでしょうか・・
  • 2017.8.21 つれづれの記⑦ - カメキチの目

    【続き】 [学校②] 小学生のときのこと。 ・貴重な思い出 モノの貧しい時代だった。テレビもなかった。 3か4年生のころ(クラスは1学年1学級。みなで10数名)、『小学(3か4)年生』という「小学館」という出版社の月刊学習誌をクラスでとっていた。あくまで「学習」が名目。 ちなみにまだあるようです。のぞいたときだけそうだったのかもしれませんが、 「1年生」しか屋さんにはなかったです。 漫画雑誌もあったが当時はまだ週刊はなく、月刊のみ。 それには必ず毎月、紙で(ときどきセロファンもまじっていた)作られた付録がついていた。完成品もあるが半完成品が主。 付録は、男の子や女の子の好きそう、喜びそうなものだ。出版社は「男女平等」に配慮してか、毎号ごと必ずどっちもつけていた。 「男女平等」はいいけれど、付録の中身たるや、「差別」ではないでしょうかが「区別」の決めつけのようなものがあり、現代ならクレーム

    2017.8.21 つれづれの記⑦ - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/08/21
    小学館ってそんなロングセラーだったんですか!!( ゚Д゚)
  • 2017.8.7 8月、そして戦争 - カメキチの目

    カメキチの目 読者のおひとりにナオニートさんという若い男性がおられる。 → ブログ名は「ナオニートの備忘録」 いつもは「備忘録」、つまり雑記帳がわりに書いておられるのかな。 隠居ジジイの私などハナからついてゆけない記事もあり、飛ばすこともある(ゴメンなさい!)。飛ばさないでも、まじめに読んでいないときがある(またゴメンなさい)。 でも、若いエネルギーをいただき感謝感謝です。 ところがこれはたいへんおもしろかった。90歳という方の新聞投書記事を切り抜いて紹介され、ご自分の思いを書いておられた。 → 「自民党(自滅党)について。」と題された最近の記事である。 投書の方は90歳のご老人。周囲から、それまでしていたいろいろなことを一度にやめるとボケると心配され、それなら国会議員にでもなろうかと考えられたらしい。 90で志されるところがステキ! 思わず、「爪の垢でもください!」と思った。 この方はお

    2017.8.7 8月、そして戦争 - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/08/07
    世界がいい方向に進んでいるのか悪い方向に進んでいるのか、全くよく分からないのがすごく怖いです
  • 2017.8.3  つれづれの記④ - カメキチの目

    カメキチの目 【続き】 [小さな小さな繁華街] 「なんとか銀座」までは7㎞。 ひらけた感じがする。小さな盆地という地形。 そこが「故郷」の中心地。実家がある集落みたいに山が陰となっていないので明るい。 役場(バカ《と私は当時もいまも思っている》な平成の市町村大合併によりいまは「市役所」)や商店、病院(医院)、警察署、消防署、電電公社(いまのNTTの前身。まだAUもソフト…もなかった)などが集中していた。 実家の前の川は「小川」。瀬がほとんどなのに、ここではいくつかの支流があつまり、流れは太くなっているので、あちこちに淵もみえ、そこだけ川底は見えない。 たかが7㎞とはいえ、これだけ離れるだけで「地方」は風景がさま変わりする。 ・バスセンター ここは国道ぞいの街。だから、街の中心部には「小さな小さな繁華街」とともに「バスセンター」があった。 街は迷路のような小路が走っており、国道の広い道も通っ

    2017.8.3  つれづれの記④ - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/08/03
    文から情景が浮かんできます。今ではあまり見れない光景ですね。逆に30年後40年後はどんな風になっているのだろう・・・
  • 2017.7.31 『動物のいのちを考える』1 - カメキチの目

    カメキチの目 『動物のいのちを考える』(朔北社)というにであった。 この前から「つれづれ…」という自分の昔話を書いていますが、きょうはこっちを書きます。ゴメンなさい。 は、 ①伴侶動物(ペット) ②産業動物(牛や豚など) ③動物園動物 ④実験動物(マウスなど) ⑤野生動物 の順で、さまざまな立場の人が書いている。 ブログを始めて広がった私の世界の一つに「動物福祉」というものがあります(カフェインさん、ありがとうございます)。 恥ずかしながら、人間の福祉には携わっていたのですが、「福祉」を動物に広げて考えたことはありませんでした。 ただ、歳をとり人間とか人類を相対化し、空間に広げれば「生き物の一種」、時間に広げれば「生命発達の一段階」と思うようになってきた。 ロボット、人工知能、バイオ…と科学技術万能、その身勝手さを嘆かわしいと思うようになってきたので、「動物福祉」という言葉がとてもよく

    2017.7.31 『動物のいのちを考える』1 - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/08/02
    『ペット』という言葉自体があまりいい表現ではないのかもしれないと思ってきました
  • 202017・7.27 つれづれの記③ - カメキチの目

    カメキチの目 歳をかさね、昔を思いだし、過去をなつかしむのは、「年より」とよばれるまで生きてきたからこそできる。 そのこと自体を天に感謝せねばならない。思うたび、自分より若くして逝った人たちを想わないではおられない。 中学卒業まで、すぐそこまで迫った山やまに四方をかこまれ、「辺鄙」という言葉がピッタリの故郷ですごした。 正確には、実家は抵当物件にはいっていたので、一時期は母の里で暮らしましたが、そこも似たりよったりのところでした。 ひとくちに「故郷」といっても、その地形的範囲は広い。 そのなかで、私の家は山のふもとにはりついたような十数軒(集落)のなかの一つ。 山間のそこは太陽が半日しか射さない、「半日村」。 のちに、裏山の崖からは離れたがこんどは川のそば。どちらにしても、先日の九州北部豪雨のような大雨におそわれたら…。いままでのところ無事に過ごせているのは、運が良いとしかいえない。 集落

    202017・7.27 つれづれの記③ - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/07/27
    文章から、とてもいい所なのだろうなと想像できます。美しい自然がある場所ってほんといいですね
  • 2017.7.20 つれづれの記① - カメキチの目

    カメキチの目 『人びとの自然再生』というを読み、「聞きとり」「聞き書き」というもののたいせつさを感じた。 「聞きとり」「聞き書き」 六車由美さんの『介護民族学』で、(旅にでたとき、車窓から、まるで電柱をみるようにいたるところで鉄塔を見かけます。辺鄙な奥ぶかい山々でも、山から山へ、架け橋のようにつらなっている)鉄塔建設に全国あちこちの現場で従事したお年寄りの話がある。 六車さんが介護の現場できいて、書いたものだ。 クモの糸、ネットのように、全国くまなく張りめぐされた電線。 電波なら鉄塔は「基地局」だけですむのでしょうが、電気そのものは、目にみえないことはいっしょでも、電波みたいに空中を飛ぶわけにはいきません。 山のてっぺんの鉄塔をみながら、(科学技術の現時点の発展段階では原子力は最終的な処理もできず、生命に危険なので)私は「原発反対」ですが、電気の力の偉大さを思い、それを供給するためにどれ

    2017.7.20 つれづれの記① - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/07/23
    『残すのは言葉というレガシー』みたいなキャッチコピーが何かにあったのを思い出しました。
  • 2017.7.17 『人びとの自然再生』 - カメキチの目

    カメキチの目 先日、『人びとの自然再生』という2月に出たばかりの岩波新書を読んだ。 このは、北海道大学の宮内泰介さんという方が自然の再生や保護の問題を、そもそも「自然」とは人間にとって何なのかという原点にまで立ちかえって考えたものだ。 住民の声にていねいに耳をかたむけてきたみずからの具体的な実践例を随所にはさみ、自然という人間が生きている世界、環境の質みたいなものを誰にもわかリやすく感じさせてくれた。 めったに出あわない良書に出あった気分です。 「人間」という生物をその一部に含む自然。 人間が生き、生活する、社会や政治や経済もそれを舞台や背景として展開する「自然」。 それを通じ(自然をくぐるという一種の迂回路をとおって)、じっくり「社会」や「生活」を見つめなおすのも新たな気づきをもたらしてくれるかもしれないと思い、読んだ。 とにかく、はとても読みやすかった。新書版というのコンパクト

    2017.7.17 『人びとの自然再生』 - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/07/18
    戦争を経験した方々から直接話を聞く事が出来る今の時代を大事にします
  • 2017.7.13「随所に主と作れば…」  - カメキチの目

    カメキチの目 禅語 隋処に主と作(な)れば 立処皆真なり (ずいしょにしゅとなれば りっしょみなしんなり) 「隋処に主となる」とは、どこでも主体的ということ。 「主体的」とは、「自分が…自分が…」と目だとうすることではありません。 主体的に生きれば、「立処皆真」なり。つまり、あなたが歩もうとする道、歩んだ道は、みんな「真実」なのだよ、ということか。 言い換えれば、あらゆる場・時にあっても自分を忘れず見失わず、ということは自分の頭でちゃんと考え、自分の人生の主人公は「自分自身」であろうとすれば、あろうと努力する限り、そんな自分の姿というのは「真実」だということ。 出世を人生の目標にするのはいいとして、そのために上司の顔色をうかがう、長いものに巻かれる、「ソンタク」する処世術も、それを自分で選んでいるので「主体的」なんだろうか?「立処皆真」だろうか? 考えていたらわからなくなってきた… ところ

    2017.7.13「随所に主と作れば…」  - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/07/14
    自分を大事にしながら他と調和する、、自分は出来ているのか自問自答してしまいました
  • 2017.7.10 杞憂  - カメキチの目

    カメキチの目 ひと月ちかく前、共謀罪が成立していろいろ思った。 ほんとうに、「テロ等」を準備した(する)者だけを、彼らがコトを犯す前に予め防ごうとするものだろうか? 誰でもテロはイヤなので、そのことだけを政府は強調し、 「テロリストを探すのには、『少々の自由制限』もやむをえないか。GPS操作も、メールの解読も、監視カメラ漬けもしかたない。プライバシーを暴かれるのはイヤだけど、安心・安全にはしかたない…」と、 法案反対の声、もっと慎重な審議を!という声はつぶされた。 成立してすぐあとのTBS『報道特集』で、内田樹さんが番組キャスターに、「市民が市民を監視する、密告する」社会の到来しそうな恐ろしさ(戦前の自治会、町内会が戦争反対を叫ぶ人を『非国民』扱いし、『村八分』したことを思い出します)を強く憂えておられた。 内田さんの「市民が市民を監視…」は、つまるところ、「監視・密告(いやスミマセン。「

    2017.7.10 杞憂  - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/07/10
    密告社会、、、怖いです
  • 2017.7.1 『人間臨終考』① - カメキチの目

    カメキチの目 森達也さんという人のお名前だけは聞き、聞いたきっかけの印象がよかったので、いつかこの人の作品(映画とか)に接したかった。 最近、その方の『人間臨終考』という、人の死にざまを書いたを読んだ。おもしろくて笑った。 このは、石川五右衛門から始まり、ブッダやガガーリン、ノーベル、キュリー夫人、坂竜馬、はたまた文化大革命の江青(毛首席の婦人)など世界の有名人が、彼らが生きていたときのエピソード(だいたいは史実といわれているもの)から、死ぬときはおそらくこんなことを思い、こんな状況だったのではないかと著者が想像を逞しくして書いたものだ。 いわゆるパロディ。まちがっても伝記を期待してはいけない。 そんな歴史に残る有名人が、スマホやネットなど科学技術が発達した現代日に、(現代の日でなく、それぞれが活躍した時代・国の場合もあります)タイムトンネルに乗ったかのように時間をこえて登場す

    2017.7.1 『人間臨終考』① - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/07/05
    どうしても世の中の事象は自分のフィルターを通して判断してしまうんですよね。でもそれが『正義だ』とか『正しい』と決めつけるのはファシズムと変わらないのかもしれませんね
  • 2017.6.24  『シカゴメッド』 - カメキチの目

    カメキチの目 そんなにたくさんテレビをみているつもりはありませんが、みなさんにぜひともお勧めしたい番組があります。 毎週ありますが、1回1話。いつ、この番組が終わるのかわからないので、もっと早く書けばよかったと後悔しているくらいです。 BSプレミアム 毎週火曜 午後11時45分 | 再放送 毎週土曜 午後4時 総合でやればいいのに。 『シカゴメッド』。 なんだかんだとブゥーブゥーいうものの、アメリカは社会のフトコロが広い、個人に魅力がある。 (この番組をみる限り)と感じた。 医療制度も、せっかくオバマさんがガンバって日みたいな国民皆保険、だれもが安心して医療にかかれるようにしたのに、こともあろうにトランプがオバマケア廃止を企んだが、失敗に終わったらしい(よかった! が、安心はできない)。 『シカゴメッド』という番組は、ドラマである。 シカゴの最新の救急病院が舞台で、そこの救命医たちが主人

    2017.6.24  『シカゴメッド』 - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/06/30
    BSプレミアムか~、う~ん、、でもちょっと見たいなぁ
  • 2017.6.21 発達障害 - カメキチの目

    カメキチの目 録っておいたNHKテレビの「発達障害」の番組をみた。 仕事で子どもに接することが多かったので、働いていたころから「発達障害」という言葉はなじみ深く、そういう子どもともよく関わってきた。 しかし、その頃は「発達障害」の中身はあいまいで、すんなり納得できるものではなかった。 誰もが多かれ少なかれ発達障害なのではないかと、ひそかに(心では)思っていました。 初めは「自閉症」と、それに含まれていたらしい「学習障害」くらいがいわれていた。自分が身体障害者になる数年前から「注意欠陥・多動症」とか「広汎性発達障害」を聞かれるようになった。 「ヘンなの?」と私はひとりごちた。 が、子どもたちの卒園近く就学前「指導」で心あたりの子どもは「特殊学級」に(そのうち中・高等学校は、「養護学校」から「特別支援学校」といわれるものができて)行った。行かされた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    2017.6.21 発達障害 - カメキチの目
    asukaksk
    asukaksk 2017/06/22
    『「ふつう」というノッペラボウのようなお化け』たしかに普通って何なんですかね・・・
  • 1