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ブックマーク / suumo.jp (7)

  • 若者と元若者が暮らす、ほろ酔いの街「高円寺」 - SUUMOタウン

    著:サカイエヒタ 「いつかは卒業しなきゃ。通過すべき街なのよ」 ジブリ映画に登場する澄まし顔のが言い出しそうなこの台詞は、高円寺の銭湯で出会った歯のないおじさんの口から飛び出した。 湯上がりのジュースをすすりながら、人生の先輩の言葉を腹に落とそうと努力してみたが、高円寺にどっぷり浸かっていたそのころの自分にはうまくいかない。 代わりに精一杯うなずきながら、「なるほど、深いっす」とでたらめに答えた。 高円寺に辿り着いたのは必然なのか 新宿駅から中央線で二駅先に、高円寺駅はある。 出版社に勤める28歳の僕は、当時この街にへばりついて暮らしていた。もう10年近く前になる。サブカル好きの親父による幼少期からの英才教育のおかげで、つげ義春やVOWが教科書だった僕は、幸か不幸か、ちゃんと高円寺に辿り着く律儀な人生を送っていたのだった。 高円寺駅には北口と南口があり、駅を中心に商店街が10もある。それ

    若者と元若者が暮らす、ほろ酔いの街「高円寺」 - SUUMOタウン
  • 東京で暮らすなら、いつも心に「不真面目」を――みうらじゅんさん【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 朝井麻由美 写真: 関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回「上京物語」に登場いただくのは、みうらじゅんさんです。「マイブーム」や「ゆるキャラ」といった言葉の生みの親としても知られるみうらさん。1958年に京都で生まれ、18歳の夏、美大への進学を目指して上京します。そして予備校に通い、2浪を経て武蔵野美術大学に合格。在学中に『月刊漫画ガロ』でマンガ家としてデビューします。 東京で暮らし始めて40年ほど。三鷹や国分寺、高円寺、原宿など、さまざまな東京の街で過ごす中で、泉麻人さんや糸井重里さんらとの出会いをきっかけに「みうらじゅん」としての活動の幅を広げていきます。そんなみ

    東京で暮らすなら、いつも心に「不真面目」を――みうらじゅんさん【上京物語】 - SUUMOタウン
  • 広島には「観る」のではなく、「やる」やつらが溢れていた - SUUMOタウン

    著: 兵庫慎司 広島駅そばに近づいたのぞみ号の中から見えるMazda Zoom-Zoom スタジアム広島 やる側は育つが、観る側が育たない街。 生まれてから高校を卒業するまでの17年半住んでいた地元であり、いまだに強い愛着があり、フリーライターという現在の自分の職種を考えると不可能であるにもかかわらず、いつか帰って住みたいという気持ちを持ち続けている故郷、広島に、どうやらそういう風土があるらしいということに気がついたのは、京都での大学生活を経て、音楽雑誌の会社に就職することになって東京へ移り住んでから、数年が経ったころだった。 ほかの街(京都と東京)にも住んでみると、広島の居心地のよさが改めて分かる。 便利すぎず、不便すぎない。海が近く山が近い。海水浴場とスキー場が同じ県の中にある便利さ。 農業、漁業、畜産業、全部ある。だからい物が旨い。旨い、ということを、地元民はよく分かっていない、当

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  • ほんのり漂う物悲しさが心地よい。我が道をいく下町「尾久」(寄稿:ほそいあや) - SUUMOタウン

    著: ほそいあや なんていうか、駅舎から好みだ。 上野からJR高崎線もしくは宇都宮線に乗って、次に停まる尾久。 この駅はとにかく地味で、23区内のJR駅とは思えない陸の孤島のような雰囲気がある。どれくらい地味かというと、23区内のJR駅の中では、京浜東北線の上中里駅と京葉線の越中島駅に並ぶ地味さだと思っている(余計分かりにくい)。 この尾久駅周辺は、散策するとけっこう楽しい。私は田端に住んでいるが、普通はそのあたりの人なら谷根千か上野、あるいは池袋方面に遊びに行くことが多いと思う。でも天気のよい休日なんかは、自然と尾久方面へと足が向いてしまう。何もないのは分かっているのだが、“何もなさ”を楽しみたい気持ちになるのだ。 今日は尾久の魅力について語らせていただこうと思う。 * まず、尾久がだいたいどのあたりにあるのかを説明しよう。上野と赤羽の間といっても広いし、たまにしか高崎線や宇都宮線に乗ら

    ほんのり漂う物悲しさが心地よい。我が道をいく下町「尾久」(寄稿:ほそいあや) - SUUMOタウン
  • 私だけが知っている、秘密の優しい「湯島」 - SUUMOタウン

    著: おしり元気 都会の真ん中にぽつりとある「優しい街」 私が湯島にある小さな雑貨販売の会社に就職したのは、18歳のときだ。高校を卒業しても特にやりたいことがなかった私は、「立っているより座っている方が好き」というだけの理由で、事務員の求人を探したのだった。 ところで、湯島と聞いて、その場所を正確に思い描くことができる人は少ないような気がする。そういう私も、面接の際に初めて湯島を訪れて、こんなに不思議な場所があったのかととても驚いた。 湯島は、周囲を上野、秋葉原、御茶ノ水といった、JRの主要な駅に囲まれている。そして、そのどこへも徒歩で行くことができるのだ。そのせいで、上野に遊びに来た観光客が、パンダを求めてうろうろと歩いているうちに気づけば湯島に迷い込んでしまうという、トラップのような側面もある。そんな贅沢な場所にある湯島だが、決して「都会的すぎる」という場所ではない。「とても優しい街」

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  • 阿佐ヶ谷から抜け出せない - SUUMOタウン

    著: 赤祖父 阿佐ヶ谷という「谷底」 賃貸暮らしをしている人の多くは、賃貸契約更新のタイミング、職場の異動や転職や収入アップ、結婚といったイベントに合わせて引越しを検討するのではないだろうか。東京の賃貸物件の多くは2年更新なので、ぼくも毎回それに合わせて一応は引越しを検討してみる。が、結局、10年以上阿佐ヶ谷に住み続けている。持ち家や分譲マンションに住むわけでもなく、実家があるわけでもなく、でも阿佐ヶ谷からすっかり抜け出せないで今に至る。自分にとってはまるで「谷底」である。(補足すると、実際にこのあたりは桃園川という川の流れで形成された「浅い谷」だったという由来があるらしい) 阿佐ヶ谷を象徴する中杉通りの、約10年前と最近の比較。ケヤキの木の幹が時間の経過を感じさせる 抜け出せないと言いつつ、実は最初に住んでから2回引越しをしている。具体的には阿佐ヶ谷から阿佐ヶ谷に引越して、次に阿佐ヶ谷か

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  • 「高円寺メシ」から見えてくる、人情とカオスの街・高円寺 - SUUMOタウン

    著: zukkini 東京都杉並区、JR中央線にある「高円寺」。この名前を聞いてどんな街を連想するだろう。学生の街、バンドマンの街、古着の街、それとも阿波おどりの街だろうか。 そこで普通に暮らす人、ゆかりのある文化人、色んな人の色んな「高円寺論」があるが、それも人それぞれである。昔から住む人も、最近上京して住みはじめた人も、外国人も、大人も子どもも、貧乏人も金持ちも、みんなそこに馴染んでいて、何となく暮らしている「人種のるつぼ」のような街。それが高円寺ではないだろうか。 僕は学生時代の大半を高円寺で過ごした。また、社会人になっても中央線沿線からは離れず、中野、阿佐ヶ谷、武蔵小金井と住まいを変え、高円寺から微妙に距離を置きながらも、ずっとかかわり続けてきた。 僕にとっての高円寺は2つの時代がある。学生時代の貧乏生活の中で必死で生きていた暗黒の時代と、社会人になり、財布と心に余裕が出た中で気付

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