ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (3)

  • 「俺らが生きづらい社会」は「あいつらが生きやすい社会」 - シロクマの屑籠

    すごい勢いで世の中が悪くなっていると我々が感じているということは、逆側に立つ人は「世の中どんどんよくなってるな」と感じているのだろうか。— 方便 (@ryohoben) 2019年8月5日 このtwitterの文章を読み、「世の中ってそんなものだよね」と思いつつ、社会の変化に思いを馳せた。 この文字列から、私は二つの連想をせずにいられない。 まず、小さな問題として、日をはじめとする先進国で起こっている混乱。 少子高齢化と経済的停滞の続く日はもちろん、アメリカアメリカで、ヨーロッパはヨーロッパで、現代の社会問題にのたうち回り、その解決の目処は見えない。 他方で、途上国と呼ばれていた国々の所得は向上し、生活水準も良くなっているという。 私は少し悲観的に考える癖があるので、資主義的な豊かさが国単位で安定するためには、国と植民地、先進国と途上国のような政治的・経済的勾配が必要だと疑ってい

    「俺らが生きづらい社会」は「あいつらが生きやすい社会」 - シロクマの屑籠
    chousuke7
    chousuke7 2019/08/06
    これは別に現代に限った話じゃなく、ヨーロッパが近代を迎えたときに中世的な人々は大量に取り残され不遇をかこった。そういうものだろう、人がつくる社会というのは。俺ら全員幸福になんか絶対になれない。基本だ。
  • 「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠

    私は面白そうなブログを見つけたら過去ログを追いかける。そのブロガーがどういう人物なのか、手触りを確認するのが好きだからだ。「個々の記事より、個々のブロガーを読んだほうが面白い」。 で、こちらのブログは年に何度かまとめ読みしていて、その世代感覚・娑婆感覚がチクチクしてしようがないんだけど、今回は、以下のフレーズに引っかかった。 もうゲームの気力もないのか俺。と言うか残り少ない人生ゲームに費やしてホントにイイのかとマジで考えてしまうところに年を感じるなぁ。 (今更ながら世界樹の迷宮Ⅲやってます より抜粋) まるで自分の内心を覗かれたみたいだ。私も最近、ゲーム*1を遊びながら自問自答してしまう。「今、ゲームをやっていて構わないのか?これじゃあまずいんじゃないか?」と。 三十歳になるかならないかの頃の私は、ゲームにのめり込むことに疑問を感じていなかった。小学生時代以来、連綿と続いてきたゲーム趣味

    「ゲーム“なんか”やってる場合じゃない」 - シロクマの屑籠
    chousuke7
    chousuke7 2015/10/25
    人は年齢によって状況によって変わる、という当たり前のことが書いてあるだけなのだが、タイトルのつけかたがあざといのがちょっとなあ……と思う。反発させて読ませようとしている。
  • 青春時代を彷徨い続けるオジサンが大人の音楽を騙るなんて、ちゃんちゃらおかしい - シロクマの屑籠

    俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!(富澤一誠) - 個人 - Yahoo!ニュース リンク先では、61歳の音楽評論家が現代のミュージックシーンについて「青春時代の音楽を取り戻して欲しい」「30年程前のあの〈熱狂〉をもう一度」と熱弁を奮っている。率直に言って、驚き、呆れた。 あるていど歳を取った人が、青春時代に耳にした曲を大切に思う気持ち自体はわかる。私だって、自分が青春時代を過ごした頃の音楽――それは小室哲哉であったり、渡辺美里であったり、ミスターチルドレンであったりする――を聴くと、若かった頃が思い出されて胸が高鳴る。だから、リンク先の音楽評論家さんがフォークソングを特別に思う気持ちそのものはおかしいとは思わない。 だからと言って、自分の世代の音楽だけを「真の音楽」「大人のための音楽」と吹聴するのは、いかがなものか。 これが、(西洋でいう)クラシック音楽

    chousuke7
    chousuke7 2013/02/21
    全面支持。まさに言いたいことを言ってくれた。とくに団塊世代に物凄くよく見られる、「俺らだけが本物の、永遠の青春を知っている」という意味不明な思い上がりにはホント耐え難い。
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