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11心理考察に関するcoherent_sheafのブックマーク (37)

  • スピリチュアル市場のニーズ「努力もしたくないし責任も取りたくないが、一発逆転で変身して他人を見下したい。」

    雨宮純 @caffelover 「スピリチュアル市場の研究」を読み返しているが、要はスピ市場のニーズというのは 「努力もしたくないし責任も取りたくないが、一発逆転で変身し他人を見下したい。」 というものだ。そりゃ悪徳商法が入り込むわけだ。 まあ否定はしませんが。 pic.twitter.com/TfvPejmD60 2020-10-01 17:34:44

    スピリチュアル市場のニーズ「努力もしたくないし責任も取りたくないが、一発逆転で変身して他人を見下したい。」
  • ACIM - Wikipedia

    書籍『A Course in Miracles』(1976年出版。邦訳:奇跡のコース、奇跡講座)の略称で、この書籍による独習過程も指す。単にコースとも呼ばれる[1]。アメリカ人心理学者ヘレン・シャックマンが、イエス・キリストと思われる内なる声を聞いて書いたとされる、英語のスピリチュアリティ文書である[1]。世界は幻影であり自らの外には何も存在せず、己が神と一体であるという、古代インドのアドヴァイタ・ヴェーダーンタ的な非二元論(英語版)思想が説かれている[2][1]。この作品の最大の前提は、人生で達成できる最大の「奇跡」は「愛の存在を知ること」である、という教えである[3]。神と一体となることで、愛を知るとされる。ニューエイジで広く読まれ、バイブル的存在だった[1]。 奇跡の学習コース、奇跡の道などとも訳される。 概要[編集] 1965年、ニューヨークのコロンビア大学長老派医療センターの博士

    ACIM - Wikipedia
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2016/07/09
    "過去や未来、自分の外にあるはずの世界も実際には心理的投影であり、この幻に操られて自他を裁く感情を正当化している限り、"現実"は決して認識されないとする、挑戦的な世界観(不二一元論)"
  • アンカテ(Uncategorizable Blog) - ACIMという不思議なテキストについて

    A Course in Miracles ここ数ヶ月、ACIM(A Course In Miracle)というこのを少しづつ読んでいます。 非常に不思議ななので、是非このブログで紹介したいと思っていたのですが、いわゆるスピリチャル系ということもあって、どう紹介したらいいのか悩んでいるうちに、こんな架空の対話を思いつきました。 エハラ: 「あなたのパソコンはウィルスに感染していますよ」 オオツキ: 「ええっ、それは大変だ。そのウィルスはどこにあるんですか?」 エハラ: 「ブートセクターです」 オオツキ: 「なんですかそれは?聞いたことがないな。とにかくそのウィルスのあるディレクトリを教えてください。\windows\system32ですか?それとも\Program filesの下ですか?」 エハラ: 「ブートセクターはディレクトリで示すことはできません」 オオツキ: 「それはどういうこと

    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2012/08/23
    ファイルシステムによるたとえ話/"日常生活のリアリティの中から「教え」を検証することはできない""「教え」は複数存在し、日常生活のリアリティの中から見ると、それぞれ別のことを言っているように見える"
  • 自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言

    先週の金曜日、飲み会帰りのタクシーで60歳くらいの運転手さんと、熊の3歳の女の子が20歳の大学生に命を奪われた事件の話になった。 「あれは親にも責任がありますよ。まだ3歳なんだから、親も目を離したらいかんですよ。トイレに行かせるのだって、ちゃんと遠くからでも見ておかないと」 大概の場合、僕はこういうときに「そうですねえ」とか曖昧に頷いてやり過ごしてしまうのだけれど、お酒が入っていたこともあり、「そんなふうに常に見張っておけっていうのはおかしいし、どんな親にだって、『ちょっと油断してしまう瞬間』はあると思います。それで責めるのはあんまりでしょう」と反論して、車内はやや気まずい空気になってしまった。 「人生の先輩」として、「そういうときでも、ちゃんと見ているのが親ってもんでしょう?」というのは、確かに「正論」のようにも思えるけれど、僕はそこまで完璧に自分の子どもを見張っておくことができるだろ

    自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ - 琥珀色の戯言
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2011/10/02
    ”踏みとどまれたのは自分の実力というより、「運」とか「周囲のサポート」のおかげだった””にもかかわらず、(正しさとして)「自分はこんなに苦労して、ちゃんとやってきた」とプレッシャーをかけようとする”
  • しゃべるのがあんまり得意でない人って思考回路が最適化されている - ひらめき箱

    しゃべるのが苦手な人って、別のとこで凄い能力を持ってる人が多いなぁって思っていて、そのことについてつぶやいたものをちょっとまとめてみました。 しゃべるのがあんま得意ではない人って、独自の思考回路を進化させまくっている人が多い。自分の思考に最適化された構造をしているから、物を憶えるのが凄い得意だったり、一人の作業が凄く早かったり質が高かったりする。つまり「自分語」で脳が動いてるので、それを公用語に翻訳するのに時間がかかる http://twitter.com/#!/fta7/status/15939525465341952 独自の思考回路を進化させてきた人にとって重要なのは「コミュニケーション能力」というよりも、その回路の独自性を更に磨き上げていきながら、そこから生産されるものをどう「言葉」に変換するか、あるいは言葉以外の何かに変換するか、ってところなんだとおもう。つまりプロトコルをどうする

    しゃべるのがあんまり得意でない人って思考回路が最適化されている - ひらめき箱
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2010/12/19
    ”独自の思考回路を進化させてきた人にとって重要なのは、そこから生産されるものをどう「言葉」に変換するか、あるいは言葉以外の何かに変換するか"→つまり、「プロトコル」をどうするか
  • 「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評

    どうなるんだろう。 というわけで、ニーチェ「善悪の彼岸・道徳の系譜」の解説です。ニーチェは哲学や政治学をやるのなら必読だと思うのですが、いかんせん文学的な表現が多すぎて何を言っているのかよくわかないと投げ出す人もいるんじゃないですかね。というわけでニーチェの思想で一番使える「相対主義」にしぼって説明します。 通常の哲学とニーチェの哲学の違い 哲学は形而上学とも呼ばれています。メタフィジカルな学問だというのです。つまり物理的・現実的(フィジカル)なことにたいしてどのように人間が取り組むかという、現実(フィジカル)より上位(メタ)の構造・ルールについて研究するのです。たとえば、人間の肉体がどのような仕組みで動いているかというのはフィジカルな話ですが、人間はどのように生きているのか・どう生きるべきなのかというのは、メタフィジカルな話です。 さて、ニーチェがやっているのは通常のメタフィジカルな話で

    「なぜ人を殺してはいけないの?」に、ニーチェがマジレスしたら - 誰が得するんだよこの書評
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2010/05/05
    "さまざまな道徳を研究し、その系譜をたどることで、どのような《信仰》が《真理》へと化けやすいかもわかる" "「権力への意志」を持ち、政治ゲームに勝った《信仰》だけが《真理》となり、善いとされる"
  • 活字中毒R。―村上春樹「ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思う」

    『文藝春秋』2009年4月号の村上春樹さんへの独占インタビュー「僕はなぜエルサレムに行ったのか」より。 (2009年2月15日にイスラエルでエルサレム賞を受賞され、「壁と卵」のスピーチをされた村上春樹さんへの独占インタビューへの一部です。引用部はすべて村上さんの発言) 【ネット上では、僕が英語で行ったスピーチを、いろんな人が自分なりの日語に訳してくれたようです。翻訳という作業を通じて、みんな僕の伝えたかったことを引き取って考えてくれたのは、嬉しいことでした。 一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が1960年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的

    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2009/03/14
    "「正論原理主義」というのは、【純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大上段に論理を振りかざす】こと"→"言葉を慎重に選んだりしてなかなか口を開けない人たちを「日和見主義者」だと強く批判"
  • 「死んだ○○が喜ぶと思うのか!」「喜ぶんじゃね」

    よくサスペンス漫画やドラマで 愛する大事な人を殺された復讐のために殺人をするとかそういう犯人に対して 「そんな事して、キミの愛する、死んだ○○が喜ぶと思うのか!」みたいに言ったりするけど あの言い方が卑怯に感じる。 あの台詞を正義側、つーか主人公側が言うとその時点でなんか白ける。 なんで白けるかっていうと、 24時間テレビとかを批判するときによく言われる、『「障害者は天使、障害者は心優しい」みたいなことにしてるけど、それこそ逆に差別的じゃないのか、障害者は心優しくないといけないのか、普通の人と同じく性格悪い奴だっているだろ』っていうアレと、多分同じ原理。 「死んだ○○が喜ぶと思うのか!」っていうけど、喜ぶかもしれないじゃんw まあそりゃさあ、死者の悪口とか言うのはよっぽどの事が無い限りよくないだろうけど、かといって必要以上に美化するのも結局上の障害者云々と同じなんじゃないかと思えてならない

    「死んだ○○が喜ぶと思うのか!」「喜ぶんじゃね」
  • (CLANNADの)志麻くん的女装男子消費スタイルの安全性 - 好き好きほにゃらら超愛してる

    こんばんは。 CLANNAD AFTER STORY 第6話での女装志麻くん(以下「志麻きゅん」)が可愛くて仕方ありません。 もー、超好きです。志麻きゅんのことを想うと胸がドキドキするのですが、これってもしかして「変」なのでしょうか?(そうじゃねヘンじゃね) 「女装男子」とか「女装少年」とか、そういうジャンル自体が好きってわけでは別に無いのですが、この志麻きゅんは超好きです。綾崎ハーマイオニーなんかは、どちらかというと好きくらい。「おとぼく」とか「はぴねす」なんかは、全然ピンとこなかった(好きでも嫌いでもない、というか無関心)のですけど。 「女装男子」と言っても、大きく分けて3タイプあると思います。 ひとつは、上の文章の前者(志麻くん、他に綾崎ハーマイオニーとかリトバスの理樹とか)。「異性愛者」であって、「日常的に女装をしていない(女装は彼らにとって非日常・普段の彼らと女装している彼らは分

    (CLANNADの)志麻くん的女装男子消費スタイルの安全性 - 好き好きほにゃらら超愛してる
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2008/11/22
    そっか、フィクションであることは”絶対的な安全圏”じゃないのか…
  • 男の服は費用計上、女の服は資産計上 - pal-9999の日記

    男同士の場合、服装はかなり気の抜けたものになります。アイロンのかかってないシャツや、エリが変色した上着、ヨレヨレのズボンを身につけていても特に誰も気にしません。男女で遊ぶときには格好良いカレが、男同士で誰かの家に集まって飲むときには別人のようだったりします。 女は集団に接触すると、一種のドレスコードを察知してしまう傾向があります。集団が要求している (とその女自身が考えている) 水準に満たない服装をしていると、勝手に批判的な視線というか、無言の圧力みたいなものを感じてしまいます。そういうおかしな受容器官が女には存在するのです。 だから女はグチをもらします。女同士でいると疲れる、と。 女と化粧とインターネット という話を、元婚約者兼元恋人兼元友人兼元ただの知合、現在僕のことをロマサガ2スレ以下だと思っている、うぃん太さんがしていたので、ちょいと尻馬して、男性と女性の愉快な違いについてお話しよ

  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 悪用厳禁「洗脳力」は自己限定で

    あらゆる成功にトドメを刺すスゴ。3章まで読めば、ほとんどの自己啓発は無用。さらに4章では、より高次の「夢」を実現する方法まで紹介されている。6章は悪用厳禁、他者を支配下におくやり方がある。要するに、自分(や他人)を洗脳する方法が書いてある。 自分を洗脳 → (自分の)成功に向かって自分を注ぎ込み、実現させる 他人を洗脳 → (高次の)夢に向かって他人を巻き込み、思い通りにする だから、自分だけの成功の実現のために、他人を利用することができてしまうため、前者は詳しく、後者はぼかして書いている。 amazon評に「ノウハウが分かりにくい」とあるが、6章のことだろう。むべなるかな、「わざと」そうしていることに気づけよと。手取り足取り説明すると、誰でも悪用できる強力な催眠術のようなものだから。コトの重大性を理解できないような輩には、最初からお断り、というやつ。著者のblog[ドクター苫米地ブ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 悪用厳禁「洗脳力」は自己限定で
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2007/05/24
    困難なことに対処する「ごほうび」→"脳内イメージ(脳内彼女)を、現実の何かにリンクさせる"
  • もろ式: 読書日記 - よくあるメール

    最近、学生とのやり取りでメールを使うことが多いのだが、学生から来るメールはこういうのが多い。 From: hogehoge@docomo.ne.jp To: s-moroNO@SPAMhanazono.ac.jp Subject: (no title) 明日休みます。 お前誰やねん。この時点で無視しても全く問題ないと思ったりもするが、情報教育を担っているという職業意識から、こんな返信をする。 From: s-moroNO@SPAMhanazono.ac.jp To: hogehoge@docomo.ne.jp Subject: あなた誰? 花園大学の師茂樹です。 失礼ですが、あなたはどなたですか? 「明日は休みます」という文面からして、花園大学の学生さんみたいですが。 それに対する学生からの返信。 From: hogehoge@docomo.ne.jp To: s-moroNO@SPAMh

    もろ式: 読書日記 - よくあるメール
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2007/05/18
    "差出人は、自分のことであると相手にはわかると確信している"→"横のつながりに無関心で、いちばんトップの人といきなり結びつこうとする、という傾向"
  • 悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan

    一週間東京に行って帰国したところ。これからしばらく寝たり起きたりで、消耗しきった身体に体力が戻るのを待とう。今年二回目の東京だったが、こちらに戻ってくるとすべてのモードが全く変わって、ブログを書く力もようやく沸いてくる。 ある日、東京で気のおけない親しい友人たちとオプティミズムの話になった。「ウェブ進化論」のオプティミズムを誤解する人が多いね、という話がよく出るが、その日もそんな話になった。オプティミズムとは、生来人間は素晴らしいものなんだから「世の中、ほっておいても何とかなるさ」みたいな呑気でいい加減な考え方とは全く違うものだ。オプティミズムの質を全く理解せぬまま、オプティミズムはけしからんと言う人が多いね、というのは僕もよく思う。 ところで別の友人との集まりで、話がなぜかそちらのほうに流れ、アランの「定義集」の話になった。僕が敬愛してやまない森有正(ぼろぼろになるまで読んだ四冊の)

    悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2007/03/02
    "死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである"
  • 生理的に受け付けない嫌いなものは、ある - 吉田アミの日日ノ日キ

    どうしても嫌なものはある。確実にある。何がどうあれ、どうあがいてもダメ。考えるのも嫌。できれば出会いたくない。だって、嫌いなんだもんというものがある。これが多ければ多いほど人生は生き難い。テキトーな距離感で出会わないようにする予防が必要。しかし、その予防をしていても不意に襲ってくることはある。それが事故であればある程度、我慢できるが人為的なものであれば、それを向けた相手に対して怒りの感情が湧く。 かくいう自分はあまり嫌いなものがない、と勝手に思っていた。理知的な人間は感情的になるものじゃない。あれこれ嫌いを作っていては、社会生活に支障をきたす。何事も我慢だというわけで、無理をしていたら自分だけストレスが溜まるという、よくない状況に。これは良くない。嫌なものは嫌だと拒絶することが必要だ。 嫌いと好きの感情は強いものだ。どうしようもない感情であって、それを押し留めることは難しい。一番多い感情は

    生理的に受け付けない嫌いなものは、ある - 吉田アミの日日ノ日キ
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2007/01/23
    嫌いが何かを分析すればそれが嫌いな理由が判明する→"そこまでしてまで、嫌いに手間をかける必要があるのだろうか?"
  • 2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ[絵文録ことのは]2007/01/13

    ドメイン差し押さえが報じられている2ちゃんねるであるが、2ちゃんねらーが様々な騒動を起こすとき、そこには「正義に基づく暴走」がみられるように思う。 彼らは、正義の旗の下に「悪人」を糾弾し、正義の旗の下に「善意」を喧伝する。今なお続くmixi乗っ取り犯による自己正当化の発言を見ている限り、彼らはあくまでも自分たちの行動が正しく、それに反するものをすべて敵と見なす。 自分たちは正義である――だから何をやっても正しい、逆らう奴が悪い。そんな意識が2ちゃんねらーには見え隠れしている、と私は感じている。 (ここで言う「2ちゃんねらー」の定義は後述する) ■悪意と善意 【磨】毎日新聞「ネット君臨」考-ITニュース:イザ! 毎日新聞の記事「ネット君臨」に対する反論として、産経新聞のコラムはこう書いている。 記事では「ネットでは住人たちが一つの話題に群がり、ときに『悪意』が燃えさかる。彼らはそれを『祭り』

    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2007/01/14
    "殺人予告は「2ちゃんねる利用者の一部の人がやったことで、普通の2ちゃんねらーには関係がない」と主張する"→"折り鶴やゴミ拾いといった「善行」についても、(同様のことを)主張すべきではないか"
  • 暴論:「正義の味方」こそ規制すべきなのではないか - H-Yamaguchi.net

    正確にいうと、まったく根拠のない話ではない。以前メディアにも登場したが、ヒーローものが子どもの攻撃性を助長する、というお茶の水女子大の坂元章教授の研究。この分野は専門外だし、坂元教授自身も「さらに検証していく必要がある」と述べているようなので、これをもって断定すべきという筋合いでもないようだが。ともあれIGDAサイトに出ている引用部分を孫引用。 坂元教授らは2001年11月から12月にかけて、神奈川県や新潟県などの小学5年生を対象に、よく遊ぶテレビゲームと攻撃性に関するアンケートを実施、1年後に同じ児童に追跡調査を行い、周囲の人への敵対心を表す「敵意」など、攻撃性に関する5つの指標について、その変化を調べた。 6校の児童592人についての調査結果を分析すると、知的だったり、見た目がかっこよかったり、魅力的な特徴を持つ主人公が登場し、攻撃するゲームでよく遊んでいた児童は、1年後に「敵意」が上

    暴論:「正義の味方」こそ規制すべきなのではないか - H-Yamaguchi.net
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2006/12/27
    "ある特定の子どもが「正義の味方」に、別の特定の子どもが「悪者」となるといった「役割の固定」があったとしたら、そういうのを「いじめ」と呼ぶのではないのか。"
  • なぜ「かわいい」が氾濫するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「東京カワイイウォーズ」 大人気のカリスマモデル“エビちゃん”。販売絶好調のファッションビル“渋谷109”。2万人近い女の子が熱狂するファッションショー“東京ガールズコレクション”…。いまファッション界で人気を集めるものに共通するのは女の子たちの「かわいい」という声だ。 製品の品質やブランドのネームバリューより、「かわいい」と感じたものをその場で消費するようになった女の子たち。そんな女の子たちが消費者代表となったファッション業界では、いま、長年の作り方や売り方を根から問い直すような変革が始まっている。アパレルのプロを排除して企画されるデザイン。年々短くなる流行サイクルに対応するための超ハイスピード生産。実際の店舗を持たず、24時間女の子の消費をキャッチするネット販売の出現…。 NHK特集 「東京カワイイウォーズ」 http://www.nhk.or.jp/special/onair/06

    なぜ「かわいい」が氾濫するのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    coherent_sheaf
    coherent_sheaf 2006/11/27
    「かわいい」は「ベタ」→"空気を読むという「メタ」の読み合いのストレスから解放され、癒される"