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  • 天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考(季節・暮らしの話題 2020年05月01日) - tenki.jp

    今日から五月。新緑まぶしい爽やかな季節の到来です。旧暦(太陰太陽暦)の五月には他の月と同様さまざまな異名がありますが、もっともポピュラーな和風月名では皐月(さつき)。新暦の五月も「さつき」は転用されていますが、旧暦の五月は新暦の5月下旬~7月上旬ごろ(概ね新暦の6月前後)で変動し、そして必ず五月中に夏至を迎えることになります。「さつき」という月名の意味や語源については、民俗学が生んだある説が真実であると信じられ、困ったことになっています。 中国最古の語釈辞典『爾雅』では「五月為皋」つまり「五月を皋(こう)と為す」とあり、皐は皋の異字体で、皐月の皐はこの記述から来ています。 皋とは、「高い」「白く輝く」「平坦で広い水の岸辺」「大きく魂呼ばい(死者の名を呼んで魂をこの世に引き戻す信仰儀式)の声を上げる」などの意味があるとされます。 『字統』(白川静)によれば、皋または皐は「暴」と元は同じで、「

    天下の俗説「サ神」信仰の矛盾とは?和風月名「皐月(さつき)」考(季節・暮らしの話題 2020年05月01日) - tenki.jp
    consigliere
    consigliere 2020/05/03
    オレも「サ神」はどうかと思うが「「稲作を古語でサと言った」という根拠に心当たりがありません」は・・・。早稲はワサ(ワセ)だし、どこまで先行研究をフォローしたかね。
  • 実際には何も食べないのに、「文字を食べる」という不思議な習俗(おまじない)(季節・暮らしの話題 2015年11月24日) - tenki.jp

    実際には何もべないのに「文字をべる」という習俗もあります。 たとえば、舞台などに上がるとき「人」という文字を手のひらに3回書いて、べる(飲む)仕草をすると度胸がつく、というおまじないがあります。 今でも落語家や芸人がよく番前にやることのようです。 昭和の大名人・八代目桂文楽も「人」の字を手のひらに書いてから高座にのぼったといいます。 歌手の越路吹雪は作詞家で友人の岩谷時子に、ステージ前に背中に「虎」の字を指で書いてもらっていたというエピソードが残っています。 古くからある文字信仰のひとつなのでしょうが、江戸時代の歌舞伎役者初代・中村仲蔵もこの仕草をやっていたとされていることが、芸能の世界で広まったきっかけのようです。 また、歌舞伎の「助六」には「俺の名を手のひらに三べん書いてなめろ。一生女郎に振られることがねえ」という台詞が出てきます。 「文字をべる」ことについての逸話は、古くか

    実際には何も食べないのに、「文字を食べる」という不思議な習俗(おまじない)(季節・暮らしの話題 2015年11月24日) - tenki.jp
    consigliere
    consigliere 2015/11/24
    ちなみに郗愔の話は『世説新語』(術解篇)にあります。
  • 元祖建築テーマパーク「三渓園」と、近代横浜の物語(季節・暮らしの話題 2015年05月27日) - tenki.jp

    ざっと散策するだけでも、たっぷり一時間はかかる三渓園。17.5haの敷地には、10棟の重要文化財、3棟の横浜市指定有形文化財を含む、由緒ある歴史的建造物が点在します。時代は室町から大正まで、施設は塔や堂、地蔵堂などから別荘屋敷、茶室、邸宅、民家まで多岐にわたり、遥か京都をはじめ、鎌倉や岐阜からも移築されました。古い木造建築が青葉に映える光景は、まるで時代劇の舞台かと見まがうばかり。庭園の醸し出す、重厚さの中にも気取らない素朴な詫び寂びモードは、三渓園をつくりあげた実業家であり茶人でもあった、原三渓(1868-1939:名富太郎)の世界観なのでしょう。 富太郎は婿養子でした。岐阜の豪農・庄屋の家に生まれ、早くから絵画や漢詩を学んだ早熟な少年は、やがて大隈重信に政治・法律を学びます。ところが、助教師となった東京跡見学校で教え子・屋寿(やす)と恋におち結婚したことで、富太郎の人生は一変するの

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