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architectureとbuddhismに関するconsigliereのブックマーク (13)

  • Belgrade pagoda  - researchmap

    consigliere
    consigliere 2019/08/28
    「1929年にヨーロッパで最初に建設された仏教寺院のひとつ」
  • 法隆寺中門、姿現す 瓦屋根と基壇の修理完了

    法隆寺(奈良県斑鳩町)で、中門(国宝、飛鳥時代)の修理が完了し、周囲の素屋根が解体された。中門は約3年ぶりに姿を現し、五重塔(同)も見える写真撮影のポイントが復活した。 中門は入り母屋造りで、幅約12メートル、奥行き約8メートル、高さ約14メートル。金剛力士立像(重文、奈良時代)が安置され、上層の高欄には「卍(まんじ)崩し」の意匠が施されるなど、飛鳥時代の建築様式を伝える。 しかし、明治36年の修理から約110年が経過。県文化財保存事務所によると、劣化が激しく雨漏りがしていたため、瓦屋根の葺き替え工事を進め、基壇の修理も行った。 中門は金堂(国宝、飛鳥時代)や五重塔などがある西院伽藍(がらん)の正面。観光客や修学旅行生らにとって定番の撮影位置となっている。 法隆寺の古谷正覚執事長は、「久しぶりに飛鳥時代の薫りが感じられる風景が戻り、うれしい」と話している。

    法隆寺中門、姿現す 瓦屋根と基壇の修理完了
  • 奈良 薬師寺 中世の戦火などで失われた「食堂」再建 | NHKニュース

    世界文化遺産になっている奈良市の薬師寺で、中世の戦火などで失われていた「堂」と呼ばれる建物が再建され、完成を祝う法要が営まれました。 当時の伽藍(がらん)全体を復興させようと、去年3月から再建工事が進められ、このほど完成しました。 完成した「堂」は幅およそ40メートル、高さおよそ15メートルあり、26日は再建を祝う落慶法要に関係者およそ1700人が参列しました。 法要では、薬師寺の村上太胤管主が「堂」の尊である「阿弥陀三尊浄土図」に特大の筆を向けて魂を入れる儀式を行いました。参列した人たちは、僧侶たちによる読経の中、尊に手を合わせていました。 「堂」が再建されたことで、薬師寺が取り組んできた伽藍の復興はほぼ完了したことになります。 村上管主は「多くの人が集い、仏教への理解を深める場所にしたい」と話していました。 落慶法要は27日と28日も営まれ、「堂」はことし7月1日から一般

    奈良 薬師寺 中世の戦火などで失われた「食堂」再建 | NHKニュース
  • 万松寺:コンピューター制御の納骨堂 織田家ゆかりの古刹 | 毎日新聞

    織田信長の父信秀が織田家の菩提(ぼだい)寺として建立した亀岳林(きがくりん)万松寺(ばんしょうじ)(名古屋市中区大須)で21日、遺骨2万柱を収容できるコンピューター制御の納骨堂、最新式のLED照明を備えた多目的ホールを持つ「白龍館」が完成した。 織田家ゆかりの古刹(こさつ)は、建物正面脇に白い竜のモニュメントが置かれた近代ビルとして生まれ変わった。地上5階、地下2階建て延べ3135平方メートル。地下は納骨堂、2~3階は20…

    万松寺:コンピューター制御の納骨堂 織田家ゆかりの古刹 | 毎日新聞
  • (141)東大寺東塔跡の調査(上) - なぶんけんブログ

    基壇 古代では最大級 奈文研では、2015年に、東大寺・奈良県立橿原考古学研究所とともに発掘調査団を組織して、東大寺の東塔跡の発掘調査をおこないました。 奈良時代の東大寺には、東塔と西塔という二つの巨大な七重塔が建っていました。1180年の平重衡の焼き討ちによって、これらの塔も焼けてしまいましたが、その後、少なくとも東塔は再建されたことが文献からわかっています。 発掘調査では、この鎌倉時代に再建された塔跡が、まず姿を現しました。塔の基壇(基礎の土壇)は正方形で、一辺が約27メートルもあり、高さは約1・8メートル前後と推定されます。基壇の上には、径4メートルほどの大きな穴が規則的に多数あいていました。これは塔の柱の下に置かれた礎石を抜き取った穴です。 奈良時代の塔の基壇は、鎌倉時代の基壇にすっぽりと覆われ、部分的にしか確認できませんでしたが、その規模は一辺約24メートルと推定されます。古代で

    consigliere
    consigliere 2016/07/21
    「2016年度はこの奈良時代の塔を解明する発掘調査をおこなう予定」
  • 東大寺の焼けた東塔、巨大な土台跡を確認 国内最大級か:朝日新聞デジタル

    平安時代に兵火(へいか)で焼け、鎌倉時代に再建された奈良・東大寺の東塔(とうとう)が、中国・宋伝来の最新技術で建てられた、国内最大級のものだった可能性が高まった。東塔跡(国史跡)を発掘した寺が19日発表した。奈良時代の創建時より一回り大きく、国内に類例のない規模だったことがうかがえるという。 大仏殿の南東と南西に750~60年代ごろ、東塔と西塔(さいとう)が建てられた。東塔は平氏の焼き打ちに遭い、1227年に再建されたが、1362年に落雷で焼け落ちた。 寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所が、柱を立てる礎石を置いた穴や階段、石敷きなどを発掘。鎌倉時代のものとみられる基壇(きだん、土台)は一辺約27メートル、東西南北の各面が柱間3間の構造で、建物部分が約17メートル四方だった。一方、創建時の階段の端とみられる石も出土。基壇は一辺約24メートルとみられる。 現存する仏塔で最も高い京都

    東大寺の焼けた東塔、巨大な土台跡を確認 国内最大級か:朝日新聞デジタル
  • 薬師寺の食堂を再建へ 17年落慶予定、400人収容:話題のニュース:中日新聞(CHUNICHI Web)

  • 鑑真ゆかりの「波状文様」? 唐招提寺で三彩瓦出土:朝日新聞デジタル

    中国・唐の高僧、鑑真(688~763)が創建した奈良・唐招提寺で、8世紀の奈良時代に作られた、特殊な「奈良三彩(さんさい)」とみられる瓦片が大量に見つかった。寺と奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)が9日発表した。唐招提寺でしか確認されていない独自の文様で、鑑真に関連した施設を飾った可能性が指摘されている。 橿考研によると、講堂と西室(にしむろ、僧坊)跡に挟まれた調査地で、軒平(のきひら)瓦(幅22・5センチ、長さ17センチ、厚さ4・5センチ)や丸瓦など、緑と白、褐色の3種類のうわぐすりを施した計65点が出土した。三彩瓦は平城宮や東大寺、西大寺など重要な建物で使われたが、いずれも鹿の体の模様に似た「鹿(か)の子(こ)文様」なのに対し、唐招提寺は3色を波のように塗り分けた「波状文様」でほかに出土例がないという。 平安時代の文献によると、鑑真は境内西北の「大和上室」で暮らしたとされ、死後も肖像が

    鑑真ゆかりの「波状文様」? 唐招提寺で三彩瓦出土:朝日新聞デジタル
  • 薬師寺・東塔の心柱が動いた 1300年の歴史で初:朝日新聞デジタル

    明治期以来、約110年ぶりの解体修理が進む奈良・薬師寺(山田法胤〈ほういん〉管主)の国宝・東塔(とうとう、8世紀前半ごろ、高さ34メートル)で8日、塔中心部を貫く「心柱(しんばしら)」が基壇から移された。約1300年の歴史で心柱が動くのは初めて。2019年に落慶予定の修理は大きな節目を迎えた。 12年6月に始まった解体はほぼ終わっており、上下2の木材で接がれた心柱のうちの下部(約17メートル、直径最大約90センチ)だけが残っていた。この日は垂直に立てた状態で台座に載せられ、人力で水平に約10メートル移動させた。内部は長年の劣化で大きな空洞があるため、立てたままの状態で新しい木材で補強する。 解体作業はほぼ終わったが、東… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 こちらは有料会員限定

    薬師寺・東塔の心柱が動いた 1300年の歴史で初:朝日新聞デジタル
  • お知らせ : 京都新聞

  • 清酒発祥・正暦寺支援を 大雪で破損資金不足 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    清酒発祥の地と伝わる奈良市菩提山町(ぼだいせんちょう)の正暦寺で堂が破損し、ゆかりの蔵元や日酒のファンらが修復の支援を続けている。24日には同市でチャリティーイベントを開く予定で、「由緒ある寺が元の姿を取り戻せるよう、多くの人の協力をお願いしたい」と呼びかけている。(有留貴博) 正暦寺は平安時代の992年に創建された。室町時代には120の僧坊が立ち並んだという。戦国時代以降、所領が減らされて、いまは塔頭(たっちゅう)の福寿院と大正時代再建の堂が残るのみとなっている。 酒造りは室町時代、多くの寺で重要な収入源になり、15世紀半ばの古文書には、正暦寺の造る透明度の高い「菩提泉」が名酒として人気を集めたと記される。境内には「日清酒発祥之地」と書かれた碑が立つ。 堂が破損したのは大雪が降った2月14日。県内に24年ぶりに大雪警報が出て、市内では最大15センチの積雪を記録した。大原弘信住職

    consigliere
    consigliere 2014/08/23
    関連記事: http://www.yomiuri.co.jp/national/20140829-OYT1T50087.html 「「清酒発祥の地」巡るライバルの危機に募金活動」いい話
  • 延暦寺本堂、60年ぶり改修へ 10年かけ屋根や柱など:朝日新聞デジタル

    天台宗の総山で世界遺産に登録されている比叡山延暦寺(大津市)で、堂の国宝・根中堂(こんぽんちゅうどう)が約60年ぶりに改修される。約10年かける大事業で、修理中も堂を公開する予定だ。2年後の着工を目指して準備している。 延暦寺は標高848メートルの山頂近くにあり「論湿寒貧(ろんしつかんぴん)」と言われる。「論」は経典の意味を論じることで、「湿」はくぼ地にあり湿気が高いことを意味する。 改修される根中堂は幅約38メートルで、高さと奥行きがそれぞれ約24メートル。湿気対策のため土台に高さ50センチまで石を積み、回廊の柱は植物性油に松ヤニを混ぜて塗装する「チャン塗り」と呼ばれる手法でできている。今回の修理は堂と回廊の屋根の葺(ふ)き替えと、朱色が剝落(はくらく)した柱や天井の塗り直しが中心となる。 徳川家光が1642年に再建し… こちらは有料会員限定記事です。有料会員になると続きをお

    延暦寺本堂、60年ぶり改修へ 10年かけ屋根や柱など:朝日新聞デジタル
  • 中国に巨大仏像が続々、新たな観光の目玉に

    (CNN) 観光名所となっている香港の天壇大仏(高さ34メートル)や海南島の南山海上観音聖像(同108メートル)などを建造した会社が、中国国内で2014年中にさらに10体の巨大仏像建造を計画しているという。中国語雑誌の新周刊が17日までに伝えた。 この会社、航天晨光は江蘇省無錫市の公園にある高さ88メートルの大仏も手掛けた。昨年1年間でこの公園を訪れた観光客は380万人、観光収入は12億人民元(約200億円)以上。同社は新たな巨大仏像の建造で同様の成功を狙う。 中国は河南省魯山県に世界最大の仏像、魯山大仏(208メートル)があるほか、1200年以上前に崖を掘って建造された四川省楽山市の楽山大仏(高さ71メートル)は世界最大の石仏として、ユネスコの世界遺産に指定されている。

    中国に巨大仏像が続々、新たな観光の目玉に
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