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歴史に関するcrybbのブックマーク (5)

  • インターネットが生まれるまで - デマこい!

    徒歩よりも遅かった ローマ帝国時代後期、ローマ支配下のエジプトの法的文書には、暦日と在位中の皇帝の名前が記載されていました。当時はローマで新しい皇帝が即位しても、それがエジプトに伝わって法的文書に反映されるまでにタイムラグがありました。このタイムラグを調べると、古代における情報伝達の速さを推測できます。また、近世に入った1500年頃の情報伝達の速さは、ヴェネチアの商人たちの日記から推測できます[1]。 その結果を見ると、平均時速はほとんど変わらず時速1・5キロメートルほどだったようです。産業革命以前の世界では、情報伝達は人間の歩行速度よりも遅かったのです。 出典:グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』下巻p177 出典:グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』下巻p178 近代の情報伝達の速さは、ロンドンの新聞から推測できます。世界中で起きた事件がロンドンで報道されるまでのタイム

    インターネットが生まれるまで - デマこい!
    crybb
    crybb 2024/04/13
    すごくまとまってて良い/モールスが画家なの知らなくてwikipedia見たら、厳格な保守派で絵画にもそれが現れている一方で、世界に自由をもたらす電信の開発も、それを社会に普及させる活動もやっているのが面白かった
  • 中世の写本に「カタツムリと騎士の戦い」が大量に描かれているのは一体なぜ?

    13世紀後半から15世紀のヨーロッパの写には、なぜかドラゴンでも悪漢でもなくカタツムリと戦う騎士の姿が数多く描かれています。の内容や文章の趣旨とは無関係なことが多い謎の挿絵について、イギリス・ウェールズのバンガー大学で中世文学を研究しているマデリン・S・キラッキー氏が考察しました。 Why medieval manuscripts are full of doodles of snail fights https://theconversation.com/why-medieval-manuscripts-are-full-of-doodles-of-snail-fights-206255 キラッキー氏によると、カタツムリとの戦いが最初に見られるのは、1290年ごろの北フランスで制作された彩飾写とのこと。それから数年すると、似たような挿絵がフランドル地域やイギリスなどヨーロッパ各地の

    中世の写本に「カタツムリと騎士の戦い」が大量に描かれているのは一体なぜ?
    crybb
    crybb 2023/09/04
    中世の写本を浅くしか知らないので「与謝野晶子はなぜ力道山を殺さなかったのか」と言われた時の気持ちになった。為になります。
  • https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/1631438692077424641

    https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/1631438692077424641
    crybb
    crybb 2023/03/05
    根拠を示しているので強い。辞書が言葉の「定義」をしてるわけじゃないのは、同じ言語に対して辞書が複数ある時点で分かるよな。
  • 100年ぶりの大発見 数奇な人生を歩んだメアリーの暗号を解く

    1840年にアンリ・セルールによって描かれた、多くの宝石を身につけたスコットランド女王メアリー・スチュアートの肖像画。フランスのベルサイユ、ベルサイユ宮殿所蔵。(PHOTOGRAPH BY DEAGOSTINI, GETTY IMAGES) スコットランド女王メアリー・スチュアート(1542〜1587)は、秘密のメッセージを送る達人だった。暗号解読者たちは何世紀にもわたって彼女の暗号技術に悩まされてきた。彼女が残した手紙が解読されるたびに、学者たちはそこに記された情報に胸を躍らせてきた。 特に重要な手紙は、彼女がイングランドで19年にわたって幽閉されていた時期に書いたものだ。メアリーはフランスの高官に数十通の秘密の手紙を書いていて、なかには、スコットランド女王の座を取り戻し、従姉妹であり政敵でもあるイングランド女王エリザベス1世を廃位させる陰謀に関する機密情報も含まれていたと考えられている

    100年ぶりの大発見 数奇な人生を歩んだメアリーの暗号を解く
  • 「カフェー=エロ」の時代があった?!純喫茶の歴史を深堀りしたら「不純なカフェー」に辿り着いた | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    文化人のサロンが発祥だったはずなのに、どうして「不純」な店が増えてしまったのでしょうか? 日の喫茶店の歴史を紹介しつつ、その経緯を読み解いていきます。 日最初の喫茶店「可否茶館」は経営不振で4年で閉店 まずは、日に喫茶店が生まれた頃の話を。 通説として「日最初の喫茶店」とされているのは、1888(明治21)年に東京・上野に誕生した「可否茶館」です。(読み方は「カヒサカン」「カヒチャカン」「コーヒーサカン」など諸説あり) 「通説として」と書いたのは、可否茶館以前にもコーヒーを提供した店が存在したこと、また設備の内容から喫茶店と呼べるのか? と疑問を持つ研究者もいることからです。(※この記事の論点は「日最初の喫茶店はどこか」ではないので、これ以上は掘り下げず話を先に進めます) 可否茶館の跡地に立つ記念碑 創業者は、鄭永慶(ていえいけい)氏(日人)。海外生活が長かった鄭永慶氏は、「知

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