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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (31)

  • "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠

    ネットを眺めていてふと気付いた。 現在、日のメディア上では、ネットであれテレビであれ「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ」という風景がリピート再生されている。なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでなく、責任者は罵倒され、土下座させられる。法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを、社会正義とみなすような空気ができあがっている。もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはないし、マスメディアも何わぬ顔で報道する*1。バッシングが公認される大義名分がある限り、責任者が唾を吐きかけられてもしようがないよねー、という不文律ができているらしい。 インターネット上での“炎上”も似ている。失言・過失・違法行為があったと判明し

    "叩いて構わない奴はとことん叩く"空気と、いじめの共通点 - シロクマの屑籠
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2012/07/07
    ある程度の規模のいじめが始まった時点で、被害者に落ち度が「あったことにされる」。あとは”空気”によっていじめは集団全体に大規模化。
  • 経済成長への固定観念で、60年代世代は視野が狭くなっているんだろうか??

    人の精神構造の変化が モノ売れない時代つくったインタビュー「消費崩壊 若者はなぜモノを買わないのか」第2回/精神科医・和田秀樹氏に聞く : J-CASTニュース 勝間 VS ひろゆき 討論会 【ネットの匿名性】 【若者への起業促進】:ニュー速VIPブログ(`・ω・´) 「経済成長は絶対善。幸福のための必須目標。」 経済成長へのこだわりが強すぎるあまり、世代と時代を読み損ねているんじゃないかとしか思えない記事に、立て続けに遭遇して、ウヘェと呻かずにはいられなかった。 リンク先の1つ目は、和田秀樹Dr.*1による『日人の精神構造の変化でモノが売れなくなった』という記事、2つ目は、勝間和代さん*2がメインをつとめる『BSジャパン デキビジ』におけるひろゆき*3との対談、である。 2つの記事に共通していると私が感じたのは、和田秀樹Dr.も勝間和代さんも、経済成長への固定観念にとらわれるあまり

    経済成長への固定観念で、60年代世代は視野が狭くなっているんだろうか??
  • 「非モテ」から「リア充 氏ね」へ――マジョリティ化するルサンチマン - シロクマの屑籠

    非モテ男性が集うコミュニティといえば、今では『非モテSNS』が比較的有名だが、数年前までは『はてなダイアリー』が非モテ男性の溜まり場になっていたし、さらに遡って2001年頃は『テキストサイト』が非モテ芸の中心地だった。そのことを覚えている人は、今ではもう少ない。 こうした、非モテの過去から現在についてまとめた同人誌が出ているというので読んでみた。『奇刊クリルタイ』という小規模な同人グループながら、今回は速水健朗さん*1や森岡正博さん*2らをゲストとして招くなど、頑張っているようだ。 この同人誌を読み終わって、私は、さいきん薄々感じていたことをようやく意識化できたような気がした。それは、「非モテ」というのはどうやら終わったらしい、ということだった。 かつて「非モテ」というアイデンティティが存在していた 数年前、「非モテ」はそれを自称することによって、とにかくも何かアイデンティティを得られるよ

    「非モテ」から「リア充 氏ね」へ――マジョリティ化するルサンチマン - シロクマの屑籠
  • 母親を恨んでなんになる - シロクマの屑籠

    “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠 リンク先の文章では、“ママのお人形”タイプの人について書いた。現代の20〜30代、特に男性には珍しくないメンタリティながらも、自信や自発性の範囲を制限しがちな、なかなか厄介な性分だと思っている。 この手の“ママのお人形”タイプの人達のなかには、転じて、母親を恨みはじめる人も混じっているようにみえる。まぁ、気持ちは分からなくもない。けれども、親を恨むのはあまりお勧めは出来ない、というか、親を恨んで何になるんだろう…と思う。 恨めば自発性が高まるのか? 憎めばコンプレックスがとれるのか? 怒れば幸せになれるのか? そんなわけがない。恨みは親と自分自身の双方を不幸にするだけでしかない。「怒りが発散できるじゃん」と反論する人もいるが、制御されない衝動性や怒りや妬みは、損失や喪失しか生まないし、幸せを運んでくることなどありはしない。単に総不幸

    母親を恨んでなんになる - シロクマの屑籠
  • “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠

    “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” インターネット上でみかけた、なんとも痛烈なフレーズである。 20代〜30代の男性で、このフレーズを他人事と笑って済ませられる人がどれぐらいいるだろうか。 “ママにとって理想の良い子”として生活せざるを得なかった男性諸氏。 “ママの言うとおり勉強し、塾に通って大学に入った”男性諸氏。 “いつもママの顔色を窺いながら幼年時代を過ごしてきた”男性諸氏。 俗に、“三つ子の魂、百まで”というけれど、上に挙げたような処世術に終始してきたような人は、近年の世代には決して少なくない。共感よりもエゴで包み込むような母親・安定した情緒ではなく予測困難な不安定さを提供する母親のもと、“ママのお人形”にならざるを得なかった・ならずには生き延びられなかった人は、“ママのお人形”だった頃の痕跡を、人格や処世術に色濃く残しているのが常である。 こういった“ママのお人形”問題は今に始

    “あんた、ママのお人形で終わるぜ?” - シロクマの屑籠
  • たまには“神経”も労わってあげてくださいよ  - シロクマの屑籠

    GWもそろそろ後半戦。 充実した時間を過ごされた方も多いんじゃないかと思う。 反面、身体や神経を使い果たして疲労困憊、とにかく休みたいという人も結構いるんじゃないだろうか。特にGWの場合、ストレスの溜まりやすい4月直後の連休ということもあって“心の充足感”を夢中に求めてしまいやすく、気付かぬうちに疲労を溜め込んで体調を崩してしまいやすい。 メンタルヘルスを語る際、人々は“心の充足感”に着眼するし、“他者への依存”や“承認欲求”などに強い関心を示す。そして、よく語る。世間でも、「コミュニケーションを介して他人から元気をわけてもらう」などといった表現がまかり通っている。 けれども、コミュニケーションやレジャーの類は“心の充足感”には寄与しても、“神経の疲労”をとってくれるわけではない。そして神経が疲労しすぎてくれば、楽しいものも楽しめなくなるし、仕事でもプライベートでも領発揮が困難になってし

    たまには“神経”も労わってあげてくださいよ  - シロクマの屑籠
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2009/05/05
    精神科医が”神経”って言葉をこういう風に使っていいのかな。とはいえこの考え方は大事だと思う。休むと疲れるから常に働くか遊ぶかしてるって人は危ないとか言うしなー。
  • オタクの葛藤をかわいく映す、映し鏡としての『らき☆すた』 - シロクマの屑籠(汎適所属)

    らき☆すた (6) (角川コミックス) 作者: 美水かがみ出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)発売日: 2008/09/10メディア: コミック購入: 9人 クリック: 82回この商品を含むブログ (172件) を見る 『らき☆すた』の六巻が平積みにされていたので、買ってさっそく読んでみた。相変わらず、「あるあるー」と思うネタ満載で楽しかったわけだが、ちょっと引いた目線で眺めると、ネタのそれぞれが現役女子高生にとっての「あるあるー」ではなく、(僕自身も含めた)オタク男性諸氏にとっての「あるあるー」に照準づけされたものであることに、微かな寒気を感じた。例えばコンプティーク以外に出張して書かれた四コマ----月刊あすか用に書かれた四コマ----などは、明らかに異なる読者層にとっての「あるあるー」を提供できるように調整されていて、そこら辺のあざとさというか抜け目無さが、非常

    オタクの葛藤をかわいく映す、映し鏡としての『らき☆すた』 - シロクマの屑籠(汎適所属)
  • 承認欲求、心の保水力、そして塩害。 - シロクマの屑籠

    今朝、インターネットを巡回していたら、以下のような言葉に出会った。 「生きていてもいい」 「生きているとうれしい」 「死ぬとかなしい」 そんな言葉をかけてほしくて、かけられても、砂漠にじょうろで水を注ぐように、すぐに渇いてしまう。際限がない。 承認がほしい。 癒しをください。 好きと言って貰いたい。 インターネット上ではどこででも見かける執着である。けれども、水を撒いてもすぐに乾いてしまう土地・保水力の高い土地があるのと同じように、同質の承認や声がけがあっても、すぐに心が乾いてしまう人というのもいれば、いつまでも言葉を内に秘めてしっとりしていられる、心の保水力の高い人もいる。 ここからは喩え話。 世の中には、熱帯雨林気候な土壌の人、温暖湿潤気候な土壌の人、ツンドラな土壌の人、砂漠な土壌な人、などなどが、存在している。水を撒く(=承認や癒しの言葉をかける)のは簡単だが、土壌改造は、一朝一夕に

    承認欲求、心の保水力、そして塩害。 - シロクマの屑籠
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/08/22
    心の保水力の違いってなんなんだろ。/ブコメが比喩大会になっておる。
  • 5/24北極ネトラジの要約 - シロクマの屑籠

    以下に、先日5/24の北極ネトラジ04:[エヴァンゲリオンを通して視る、オタクと萌えとコミュニケーション] のおしらせ - シロクマの屑籠で放送した内容の大筋と、質疑応答の要約を用意しました。放送を振り返りたい方は、以下をご覧ください。 【前半】EOEを退けたオタク達が至ったメディアの地平----補完無きセカイに適応するための処世術 個人的には、1995〜97年エヴァで庵野監督送ったメッセージは、「痛みや齟齬を含んだ他者と向き合え」だったと思う。シンジがアスカと共に共に地上に再び降り立ったというのは、主人公に、痛みを伴った他者と生きる道を選ばせた、ということ。シンジは自己否定されるぐらいなら、首を絞めてコミュニケーションを回避するぐらいチキン。再生したアスカもアスカで、再生するや「気持ち悪い」。彼らの態度はかなりひどいものだが、他者の色々な側面を今までずっと否定したり回避したりしてごまかし

    5/24北極ネトラジの要約 - シロクマの屑籠
  • オタク界隈という“ガラパゴス”に、“コミュニケーション”が舶来しました - シロクマの屑籠

    時代は オタク=コミュニケーション貧者 オタク愛好家=冴えない根暗 ではなくなってきてるんじゃないかと思う。 例えば僕が「脱オタサイト(汎用適応技術研究[index])」を開いた2001年頃だったら、秋葉原であれコミケであれ、[オタク=コミュニケーション貧者][オタク愛好家=冴えない根暗]という図式は、確率としては、かなりの確度で当てはまっていたと思います。インターネットで『侍魂』『ちゆ12歳』なんかがヒットしていた当時、“オタクでも服装を整えよう”とか“オタクだけど周りの目を気にしてみよう”などと考える人の姿はまだ疎らで、今で言うアキバ系ファッションが最盛期でした。 この2000年前後においては、服飾面でも、会話技能や処世術でも、アニメやゲーム趣味を主な娯楽にしている思春期男子と、そうではない思春期男子には、コミュニケーション能力のアベレージにかなりの落差があったと思います。当時、“脱オ

    オタク界隈という“ガラパゴス”に、“コミュニケーション”が舶来しました - シロクマの屑籠
  • “空気”に依存してませんか? - シロクマの屑籠

    あなたは“空気”に依存してませんか? もちろんここで言う“空気”は、「空気読め」「KY」などと言われる、アレである。複数の人間が集まった時に自然と作り出され、あたかも場にいる人達の総意のように振る舞い、逆らうことに一定の抵抗感を覚えるような、あの雰囲気のことだ。 「逆らい難い空気だった。」 「空気がそうだったんだから、従うしかなかった。」 自分にとって望ましくない選択を不承不承選ぶ時や、何かを我慢せざるを得ない時には、あなたは「空気」を悪し様に呪う。自分は悪くないが空気を読むしかなかった、と。しかし、誰かに望ましくない選択を押し付けるときや、何かを禁止する時には、こうも思うのだ。 「お前、空気読めよ。」 「あいつ、空気読めないやつだな。」 しかし、空気を呪う場合であれ、空気を押し付けるのであれ、空気ってのは便利だ。何でもかんでも空気のせいに出来るからだ。悪いのは常に空気で、責任があるのも常

    “空気”に依存してませんか? - シロクマの屑籠
  • 非モテ・非コミュ方面をまとめる為の備忘メモ - シロクマの屑籠

    そろそろ、自分なりに非モテ・非コミュ問題の結論をまとめたいと思っているので、重要と思われる文章を備忘的に集めて置いておくことにする。 非モテ・非コミュの幼少期に関連した文章 http://d.hatena.ne.jp/Agguy0c/20071031/1193805381 ・Agguy0cさんの、生まれ育ちについての独白。両親との関係について綴ったうえで、自分自身のなかに生まれた不安感と空白について言及している。両親との関係と、Agguy0cさんの現在までの非コミュ的メンタリティには、多かれ少なかれの因果関係があると推定される*1。そして、親の世代のメンタリティが子の世代であるAgguy0cさんに世襲しているかのように読める部分もある。「他人と親密な関係を結ぶ事がもし出来ないとしても、せめてこの連鎖を断ち切りたい」という悲壮な表明で、このエントリは締めくくられている。 http://d.h

    非モテ・非コミュ方面をまとめる為の備忘メモ - シロクマの屑籠
  • 「どんだけ一人なのか」「こんだけ一人なんです」 - シロクマの屑籠

    拝啓、id:kameda007さま 以前から、kameda007さんのブックマークコメントは興味深く拝見していました。うちのブログにも、沢山の滋味深いコメント、ありがとうございます。そのなかで、以前から気になって仕方がないブクマコメントが一つありまして、いつかゆっくり再検討したいと思っていました。 前々から不思議だった。まずもって一日中ネットでの繋がりから離れられないような感覚は、正常であるのか。次に、常に誰かと繋がっている感覚がないと安定しないのではないかとか。逆にどんだけ一人なのかと思うよ。 http://b.hatena.ne.jp/kameda007/20080318#bookmark-7911398 この文章を寄せてくださったkameda007さんは、おそらく私よりも幾らか年上の、ある程度精神的にも安定している誰かなのだろう、とお見受けしています。まず安定したメンタリティを持った

    「どんだけ一人なのか」「こんだけ一人なんです」 - シロクマの屑籠
  • twitterは、スルーされていても擬似承認が得られる凄いツールである----誤配と承認 - シロクマの屑籠

    http://blog.livedoor.jp/kensuu/archives/50497166.html http://wp.fujikake.net/archives/205 上記リンク先で挙げられている放電コミュニケーション、に関する指摘は妥当なものだと思う。自分が傷つくリスクや最小化しつつも、承認体験はゲットしておきたい人が、少なくとも日のインターネット界隈には沢山存在していると思う。そして勿論、twitterというコミュニケーションツールもまた、これまでのインターネットコミュニケーションツールと同様、そういったローリスクな承認欲求の備給の場として多くの人に愛用されつつあるようにみえる。 しかし、このtwitterには、blogやmixiなどといった従来の多くのコミュニケーションツールと比較して特別に優れた点があると思う。というのも、blogやmixiとは異なり、twitter

    twitterは、スルーされていても擬似承認が得られる凄いツールである----誤配と承認 - シロクマの屑籠
  • 非コミュのエゴと、コミュニケーション - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/milkmaker/20080314/1205514409 リンク先の文章に書かれている“非コミュの苦悩と悪意”なるものについて、エゴイストな僕が私見を述べてみることにします。 「自分は何か言われるまで何もしないから、あなたも何か言われるまで何もしなくていいよ」という人と、「自分は言われなくても色々するから、あなたも言われなくても色々してね」という人。 非コミュは自然と前者の認識を持っている。けど、非コミュに悪意を向ける人には後者の認識がある。 http://d.hatena.ne.jp/milkmaker/20080314/1205514409 当にそうなんでしょうか。非コミュ・非モテを自称する人達は、当に「自分は何か言われるまで何もしないから、あなたも何か言われるまで何もしなくていいよ」という、さっぱりした人達なんでしょうか。 しかし、そ

    非コミュのエゴと、コミュニケーション - シロクマの屑籠
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/03/15
    エゴの操作や交渉のできなさが非コミュの問題だと考えてます。 ただ、単に「スキル」の問題ではなくて自意識のありようの問題かな。
  • すぐに結果が出ないと我慢ならないメンタリティ - シロクマの屑籠

    なぜ大学で即戦力は育たないか - 雑種路線でいこう 即戦力、即戦力…。 すぐに結果を出せる、すぐに戦力になる人材を求めている企業。大学で学んだ人はすぐに使い物になるべきだ、というのは「人を育てる」「人を抱える」という視点からみれば短絡的にみえる。そんな事では、失敗に対して臆病で、即戦力かもしれないけれども可能性が頭打ちにされた人材が育つことになってしまいそうだ。尤も、「指揮官クラスはヘッドハンティングしてくれば良い」と企業が考えているとすれば、金の卵を苦労して育てるインセンティブなど存在しないかもしれないけれど。育てるより引き抜くほうがローコストだとすれば、育てることなどそっちのけになるかもしれないが。 以下、エントリの論旨とは大分ずれた話になるけど、即戦力や即業績というのって、必ずしも企業側だけのメンタリティじゃないような気がする。学生の側だって案外そうなんじゃないのか?すぐに戦力になり

    すぐに結果が出ないと我慢ならないメンタリティ - シロクマの屑籠
    dasaitama_osamu
    dasaitama_osamu 2008/02/10
    トライアンドエラーもできないこんな世の中じゃ ニート
  • 1/18第一回北極ネトラジの要約 - シロクマの屑籠

    以下に、先日1/18に【北極ネトラジ】第一回:[底なし承認欲求] のおしらせ - シロクマの屑籠で放送した内容のメインの筋と、質疑応答の要約を用意しました。放送を振り返りたい方は、以下をご覧ください。 【前半パート:アンバランス化する承認欲求の備給状況----ニコニコ動画と労働環境、MMOと引きこもり----】 ・承認欲求、という言葉は他人に認められたいという感情を示しているけれど、この言葉に込められる承認の形式は割と様々。単に「褒めてもらう」というだけに留まらず、暴走族の暴走やネット上のかまってちゃんなども承認欲求の権化で、褒めて貰うというレベルを放棄してでも、ネガティブでもいいから自分を認知して貰おうと試みるのも、相当に承認欲求を渇望していると言えると思う。 ・ネット上で割と引用されるのはマズローの欲求階層論(参考:自己実現理論 - Wikipedia)。生存に不可欠な欲求が満たされる

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  • 自意識チャリンカー(自意識自転車操業) - シロクマの屑籠

    自意識チャリンカー(自意識自転車操業)。 俺をみてくれ俺を承認してくれ俺をスゴイと言ってくれ、という感覚は、多かれ少なかれ誰もが持っているものだろう。自己承認なり、自意識の備給なりといったものは、架空の聖人君子でもない限りは多分幾らかはあるに違いないものなわけで、追い求めること自体はさしていけないことでもあるまい。 しかし、こうした自己承認や自意識の備給を自転車操業せずにはいられない自意識チャリンカー達においてはどうだろうか。自己承認や自意識を備給しなければならない需要が強いから自転車操業なのか、自己承認や自意識を入手する方法・経路が極度に不足しているから自転車操業なのかは人それぞれだろうが、自意識チャリンカーと化し、無理が多く今後の展開を狭めるような自意識蟻地獄に落ちている人があるように思われる。自己承認と自意識の備給を自転車操業した挙句、当人の適応の幅を一層狭くし将来性をもいつぶす、

    自意識チャリンカー(自意識自転車操業) - シロクマの屑籠
  • 非モテメンタリティからの脱却に寄与しそうな体験とは - シロクマの屑籠

    男女交際は非モテメンタリティを払拭させるか - シロクマの屑籠 男女交際が出来たからといって、必ず非モテメンタリティから脱却できると決まっているわけではないことを上記リンク先では書いた。では逆に、どういう体験であれば非モテメンタリティから脱却する芽となり得るのか?以下に、それを書き出してみることにしてみた。 男女交際:男女交際のすべてが非モテメンタリティを軽減させるというわけではないだろうけれど、やはり多くの男女交際は非モテメンタリティの改善に幾らかの効果があるのではないか、とは思う。ただ、その為には、能動性の無いメンタリティやウジウジしたところも含めて異性に理解してもらう必要があるのではないか、とは思う。非モテメンタリティが厳しすぎる場合には、理解するばかりでなく、非モテ等身大の自分自身を受容して貰わなければ*1効果が乏しいかもしれない。非モテ側が、異性の前で格好と体裁を繕うことに終始し

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  • 承認欲求って、そんなに悪者なのかなぁ?? - シロクマの屑籠

    http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20071213/1197521756 何やら、立派にみえることを勧めている人を発見しました。曰く、「世界にただ在るものとして在る強さを持て」とのことです。他人からの評価に右往左往することなく、『エヴァンゲリオン』のシンジやアスカのように他者からの評価に汲々とすることなく、独り屹立する自分自身、なるものを推奨しておられるようです。「心からしたいことをしなさい。誰にとって価値がなくとも、誰に承認されずとも、あなたは別に好き勝手に存在していいのである。人は質的に、無限に自由なのだから。」。そのうえで自己承認欲求を後ろ向きなもの、とid:y_arimさんは述べてます。もし個人が、ロードス島の巨神像や足摺岬の灯台のように揺るがなく立つことが出来るとしたら、それはそれで美しいことだとは思います。 しかし、そんなことって娑婆世界を生きる私達

    承認欲求って、そんなに悪者なのかなぁ?? - シロクマの屑籠