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「友愛」か「博愛」か―fraternitéをめぐる考察 | ちきゅう座
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「友愛」か「博愛」か―fraternitéをめぐる考察 | ちきゅう座
<岩田昌征(いわたまさゆき):千葉大学名誉教授> 現代史研究会(2010年12月4日)で専修大学名誉教授... <岩田昌征(いわたまさゆき):千葉大学名誉教授> 現代史研究会(2010年12月4日)で専修大学名誉教授内田弘氏の『経済学批判要綱』に関する氏の哲学を拝聴した。私は氏の講義の内部に立ち入ってコメントする学知に欠ける。学ぶのみである。 ここでは、氏が講義の中で若干論じた自由・平等・博愛(友愛)の中の博愛(友愛)について一言したい。これら三語は、言うまでもなくフランス語のliberté,égalité,fraternitéの訳であって、自由と平等は適訳であるが、「博愛」はミスリーディングな不適訳である。現代史研究会の合澤氏によれば、かの廣松大先生も誤訳であると常々口にしていたそうである。 日本社会ではfraternitéの原義「兄弟関係」、「兄弟愛」の地平を跳び越して「博愛」まで行ってしまった。それが英語化したfraternityを三省堂の新コンサイスで見てみると、原義どおりであり、かつbro