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続・死生論 12
ホフマンの論点に戻るならば、彼はフロイトは「儚さについて」の論文において、明示的にではないが、死... ホフマンの論点に戻るならば、彼はフロイトは「儚さについて」の論文において、明示的にではないが、死についての議論を実存的なレベルで扱っているという。そこでのキーワードは喪の前触れ foretaste of mourning という概念だ。やがて失われる対象に対してあらかじめ喪の作業を進めることの必要性を説いたのである。しかしそこでは愛する対象の喪について論じていながら、事実上自分の死についても論じているとホフマンは考える。つまりこの論文はそのままフロイトにとっての事実上の死生論なのだ。無意識の時間性を主張したフロイトは、しかしこの喪の先取りの問題において、明らかに時間性を持ち込んでおり、それはフロイトのそれ以外での機械論的な議論とは一線を画している。 人が有限性に直面した時に生じる価値の問題について扱うという実存的な姿勢は、人間の本質的なあり方であるとベッカーは主張するが、フロイトの「儚さ」