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「フーコー、もうひとつのディスクール理論」in『シリーズ言語態1 言語態の問い』(山中桂一との共編著)、第14章(pp.311-342) 東大出版会、2001年
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「フーコー、もうひとつのディスクール理論」in『シリーズ言語態1 言語態の問い』(山中桂一との共編著... 「フーコー、もうひとつのディスクール理論」in『シリーズ言語態1 言語態の問い』(山中桂一との共編著)、第14章(pp.311-342) 東大出版会、2001年 フーコー、もうひとつのディスクール理論 石田英敬 0.フーコー言説理論の生成:『知の考古学』のプレオリジナル稿をめぐって 現代の社会や文化の理論にとって、ミシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-1984)の言説理論がもたらしたパラダイム転換の意義については多言を要しないだろう。「ディスクール(=言説) le discours」[1]の実践や制度の側面から社会を理解し文化を分析するというフーコーの理論が、1966年の『言葉と物:人間科学の考古学』[2]から、ディスクールについての方法論的な反省の書とされる1969年の『知の考古学』[3]にいたる1960年代後半に集中的に練り上げられたこともよく知られている。 最