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【コラム】昔の大阪市電は24時間運転だった…「日本人は究極の夜型」だった? | Osaka-Subway.com
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【コラム】昔の大阪市電は24時間運転だった…「日本人は究極の夜型」だった? | Osaka-Subway.com
大阪市電……いわば路面電車のことで、大阪市営地下鉄の先輩にあたる電車です。 昭和44年まで、大阪市内に... 大阪市電……いわば路面電車のことで、大阪市営地下鉄の先輩にあたる電車です。 昭和44年まで、大阪市内にはくまなくこの市電が走っていました。写真は「広電前」と書かれた広島の電車ですが、この車両は元大阪市電の電車です。 昭和7年の山手線の終電は品川着02:30、中央線は新宿発01:27、今よりずっと遅い。同じ頃、大阪市電は24時間運行していた。いまの駅は終電後閉めるが、昔は始発まで開いていた、電車がそうなら会社も呑み屋もそうだろう。日本人は戦前のほうが夜型で、戦後早く寝るようになったのである。 pic.twitter.com/IHgDnLptmA — 高木壮太 (@TakagiSota) July 15, 2017 その大阪市電は、なんと戦前までは24時間運行だった…という衝撃の新事実が今回明らかになったのでご紹介します。 あわせて、昔の日本人は夜型だった…という説も話題になっています。 当時