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映画批評) 溝口健二『残菊物語』の「視線」と「声」のからみあい(引用の織物) ――加藤幹郎「視線の集中砲火」と蓮實重彦「言葉の力」 - 秋谷高志 批評をめぐる試み
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映画批評) 溝口健二『残菊物語』の「視線」と「声」のからみあい(引用の織物) ――加藤幹郎「視線の集中砲火」と蓮實重彦「言葉の力」 - 秋谷高志 批評をめぐる試み
溝口健二監督『残菊物語』は驚くほどのスピードで、原作小説掲載、新派上演を経て、映画化された。 一九... 溝口健二監督『残菊物語』は驚くほどのスピードで、原作小説掲載、新派上演を経て、映画化された。 一九三七年(昭和一二年)九月、『サンデー毎日』秋季特別号に村松楓風(しょうふう)の短篇小説『残菊物語』が掲載され、同年一〇月には巖谷三一(愼一)脚色、川尻清譚演出によって明治座新派興行で上演された(菊之助を花柳章太郎、お徳を水谷八重子、五代目菊五郎を喜多村緑郎)。花柳が原作を読み舞台化を希望したという。その好評により、二ヶ月後の一二月には明治座で同じく巖谷脚本、花柳主役で『続残菊物語』が上演されたが、これは原作の末章「残んの花」にあたる帰京後の菊之助の復活から、お徳と同じ病による死までである。 そして早くも一九三九年(昭和一四年)一〇月には松竹と溝口健二によって映画『残菊物語』が公開された(菊之助を新派舞台と同じ映画初出演の花柳章太郎、お徳を同じく新派の森赫子(かくこ)、菊五郎を二代目河原崎権十郎