エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
『江戸の菓子1-1』
メタボンのブログ 気ままに駅伝、ラグビー、ゴルフ、歴史、雑感を書いていきます。 かなり幅広くなりそ... メタボンのブログ 気ままに駅伝、ラグビー、ゴルフ、歴史、雑感を書いていきます。 かなり幅広くなりそうですが、興味のあるジャンルがありましたら ごゆっくりどうぞ。 御菓子所 菓子が庶民に普及するのは、8代吉宗が推進した国内生産の 砂糖=和三盆が安く出回るようになった江戸中期以降です。 羊羹も現代の様に棹羊羹になったのも江戸時代です。 「船橋を わたって来たと 菓子とうじ」 船橋屋織部 餡に寒天を加え固めた「練羊羹」が出来たのが寛政年間の頃、 練羊羹は大変な人気になり、有名な深川の船橋屋では、 日に千棹くらい売れたという。 大きさは長さ6寸(18センチ)、幅1寸(3センチ)、厚さ1寸ですから、 小さいですね。 しかし、その値段は1棹が銀2匁(200文)(3、4千円くらい)だったという。 ですから庶民には容易に手が出ないですね。 「羊羹を すなおに食って 睨まれる」 お客さんには礼儀として羊羹を
2018/12/28 リンク