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黄燐焼夷弾という言葉の存在自体が黄燐を主剤とした焼夷弾の存在証明 - 非行型愚夫の雑記
米英軍は他の焼夷弾や爆弾と共に黄燐焼夷弾も戦略爆撃に用いました。 無差別戦略爆撃で黄燐焼夷弾が大量... 米英軍は他の焼夷弾や爆弾と共に黄燐焼夷弾も戦略爆撃に用いました。 無差別戦略爆撃で黄燐焼夷弾が大量使用された例としてハンブルク空襲が挙げられます。 http://web311.pavilion.net/2WWhamburg.htm http://www.diplo.jp/articles03/0308-5.html 1943年7月24日。チャーチル首相が目をかけていたイギリス空軍爆撃司令官ハリス大将、通称ボンバー・ハリスは、ドイツ第二の都市であり主要港を抱えるハンブルクに対し、史上初の絨毯爆撃を開始した。天からの火によって滅びた旧約聖書中の町の名を取ってゴモラ作戦と名付けられた爆撃は10日間に及び、 5万5000人の民間人犠牲者を出し、町の半分を叩きつぶすことになる。300機から1000機の編隊による爆撃が、昼間はアメリカ軍、夜間はイギリス軍によって繰り返され、当時の大量破壊兵器である黄燐
2021/03/29 リンク