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ノーム・チョムスキーが泣くのを私は見た(前置き) - 私の闇の奥
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ノーム・チョムスキーが泣くのを私は見た(前置き) - 私の闇の奥
前回のおわりに掲げた Fred Branfman という人の回想記『When I Saw Noam Chomsky Cry(ノーム・チョム... 前回のおわりに掲げた Fred Branfman という人の回想記『When I Saw Noam Chomsky Cry(ノーム・チョムスキーが泣くのを私が見た時)』の翻訳に入る前に、少し私的な思い出話を綴ります。 http://www.salon.com/2012/06/17/when_chomsky_wept/ 前回、チョムスキーとの付き合いは長いと私は申しましたが、長い間この人の書くこと言うことに注意を払って来たというだけの事で、組織立ててこの人の事を調べて来たのではありません。また、長いと言っても、私がカナダに移住した1968年以後のことで、それ以前は優れた言語学者だというぐらいの知識しかありませんでした。1968年といえば、ベトナム戦争の最中で、ソンミ村虐殺事件もその年の3月16日に起りました。拙著『アメリカ・インディアン悲史』の冒頭に私はそれを掲げました。ベトナム戦争は、特に